隣の客はよく柿食う客だ
「隣の客はよく柿食う客だ。」
突然彼女は呟いた。突飛なことを言い出すのは今に始まったことではない。それが彼女の術中だと分かっていても、つい視線を向けてしまう。
「君は隣に座っている客人が柿を食べているのを見たことはある?」
「さぁ、どうでしょう。リンゴとかミカンに比べれば機会は少ないと思いますが、覚えていないだけで人生のどこかではあったかもしれません。」
「それはよかった。」
彼女は椅子に座ったまま音もなく笑う。何が良かったのかは理解できなかったが、この話はまだ続くことだけは分かった。仕方なしに体ごと彼女の方に向ける。
「奇遇なことに私も柿をよく食べる客というものに出会ったことはない。」
「そうですか。でも、こんなニッチな共通点で盛り上がれるような話題は私にはありません。明日には忘れていると断言できます。」
「つれないなぁ、君は。だけどこれほどまでに共感を得られない言葉が浸透しているなんて面白いと思わない?」
「ただの早口言葉です。早口言葉として機能してさえいれば、意味など二の次だったのでは?」
「ごもっとも。君が正しい。でもそれだとあまりにもつまらない。だからこそ理由をこれでもかとこじつけて、この言葉に隠された意味を解き明かして第一人者になりたいとは思わない?」
LED照明に照らされた彼女の顔は明るい。比喩ではなく物理的にだ。窓からは未だ陽が差し込んでおり、時間は十分に残されていることを悟った。
「どうすれば満足していただけるのでしょうか?」
「とりあえず、隣と客とは誰だろうね。」
「誰とでとれるでしょう。男とも女とも。子供かもしれませんし、老人だってこともある。そもそも複数人とだって考えられます。」
「なるほど、文頭から攻めるのは止めておこう。なら柿をたくさん食べなければいけない状況の方から攻めようか。」
「柿の賞味期限でも迫っていたのでは?」
「それは客側が気にすることじゃないだろう。環境に配慮した団体でもあるまいし。」
確かに環境問題に取り組むなら、柿よりも先に手を付ける問題の方が多い気がする。そもそも柿の賞味期限をよく知らない。
「まぁ状況についてはともかく、隣の客を見かけた人物……とりあえずAと呼称しましょう。そのAと隣の客は同じ目的を持っていると仮定します。サンプル数は二つですが、柿に思い入れのない私たちが柿を食べる客とやらに出会ってないのなら、ここは割り切ってもいいはずです。」
「いいよ。どこかで可能性を切り捨てないと話も進まないしね。」
「Aの目的の柿は何かしらのブランド品の柿だったとします。共通の目的である柿をたくさん食べる隣の人物が目に止まった、ではだめですか。」
微笑んだまま彼女は目を細める。きっと彼女のお気に召さなかっただろう。
「悪くはないと思う。ただブランド物の柿なんて売っている場所は限られているはずだ。」
売っている場所。彼女が指す場所はそう多くはないはずだ。少なくともそこらのスーパーにブランド物の柿が売っているところは見たことがない。そんな珍品が平然と並んでもおかしくない場所は限られている。
「確かに百貨店でバクバク試食を食べるのは難しいでしょうね。」
「少なくとも私には無理かな。」
希少価値のある果物を同じ人物が食べ続ければ注意を受けるはずだ。彼女でなくとも難しい。
「それなら果物の食べ放題とか……いえ、それだと最初に戻ってしまいますね。複数の選択肢の中で柿を選び続ける人は見たことがない。」
「見たことのない人間を探そうとしているんだ。前提条件くらい好きにしたっていいさ。」
「ならAは柿の食べ放題をしている会場に行ったことにしますか?その時点でAと私たちはかけ離れた存在になりますけどね。」
「そもそも論、似ている人間なんて簡単に見つけられるようなものでもないし、認識があっている保証もない。Aのことも好きにしたらいい。」
「そうですか。なら、そのまま話を進めましょう……個人的な興味ですが、柿の食べ放題とか実在するのでしょうか?」
「探せばあるんじゃない?」
脇に置いてあったスマホを操作する。何かしら意図したものが見つかったのか彼女の指は止まり、そのままスマホをこちらに向けてくる。
「ちょっと想定外ですがい言われてみれば食べ放題に含まれるのかもしれませんね。」
「そうかい?」
スマホの画面に映されていたのは柿農家の運営する柿狩りの広告だった。
「いえ、食べ放題のイメージが屋内の飲食店のソレだったので。」
「まぁアクティビティの方に分類されるかもね。そうするとAは何らかの柿狩りのイベントに行き、そこで他の客と遭遇したわけだ。」
「えぇ、思いのほかよく食べるその人物に感嘆したといった意味合いだと思います。」
「なるほどね。」
そう言った彼女の顔は微笑んだままだった。だがその表情がそのままの意味ではないことを知っている。
「何がご不満で?」
「別に不満ってわけじゃないけどね。だけど、ここまで来てこの結末は味気ないと思ってね。」
「じゃあどうしろと。」
「隣の客はよく柿食う客だ。私たちはこの言葉を文字通りに受け取り過ぎているんじゃないかな?」
察するに別解を示せというわけだ。だが、隣は隣。柿は柿にしかならない。仕方なしにスマホの検索エンジンを立ち上げた。
「客。基本的には自分を訪ねてくる人や商売相手のことを指すようですが、昔のアメリカの映画で招かれざる客といったものがありました。この例を参考にするなら不都合な相手にも客とさしていいでしょう。」
「なら柿狩りを運営するものにとって招かれざる客とはだれか。」
「えぇ、それについてですが私は柿の窃盗者ではないかと思います。」
「いいね、面白なってきた。」
「柿狩りの運営にとって一番の資本は柿そのものです。この際なので私たちが思っている以上の価値があるブレンド柿ということにします。普段値が張る柿を食べられるイベント。さぞ集客力のあるイベントになることでしょう。」
「だが集まる客は優良顧客だけとは限らない。」
「そうです。それほど価値のある柿がある程度の数が確保されている状況。幾ばくか頂戴して売れば小遣い稼ぎになる輩が表れてもおかしくはありません。その人物こそがAです。
Aは柿をせしめるために柿狩り会場に出向きましたが、その現場にいたのはAだけではありませんでした。そこにはAの同業者がいましたが、ここまではAの想定内だったはずです。でもAの想像を超える出来事がAの目の前で起きていた。それこそが……」
「柿を食べていた。」
「窃盗であれば迅速に物事を進めるのが鉄則のはず。だがその客とやらは味見をしながら事に当たっていたわけです。Aはそんな豪胆な行為に感嘆し、『隣の客はよく柿食う客だ』なんて発言したのではないかと思います。」
彼女の表情に変わりはない。あまりにも突飛した内容すぎて呆れられたのかと思ったが、時間をおいて口を開いた。
「本当にそんな人物に出会ったというのなら、私もお目にかかりたいかな。」
「ここまで話を盛るように仕向けたのはあなたでしょう。」
「ごもっとも、君のいう通りだ。」
「それでこの話はもういいですか?」
「そうだね。なら次は二人の盗人が鉢合わせる確率についてでも話そうか。」
窓から見える景色は未だ明るい。
盗人が鉢合わせる確率なんて知りようもないが、もうしばらく彼女との会話が続くことだけは分かった。