第八話 夢
エクサルス大森林での任務から数日が経った。
災害の討伐に関連する任務が割り振られることもなく、比較的に穏やかな日々が続いていた。これにはシオンの体調を気にしていたリンドウも安堵した。
日も暮れ始めた頃、訓練を終えたリンドウは寮へと足を進めていた。
「・・・そろそろ時間かな。」
(・・・歓迎会、どんな感じになるんだろう。)
今日はシオン隊へと入隊したリンドウへの歓迎会が開かれる。リンドウは帰路につきながらふとそんなことを思っていた。
リンドウが入隊してからそれなりの時間が過ぎたが、元々予定していたらしい歓迎会を漸く行う事が出来るそうだ。
朝の時点でユリが張り切って寮のロビーを飾り付けしている姿をリンドウは目にしていた。
(・・・楽しみ、なんだろうか。)
シオンの話ではこの歓迎会は恒例行事のようで、新しく部隊に人が加わる度にこうして時間を見つけて歓迎会をしているそうだ。
こんな風に歓迎をして貰う事があるなんてリンドウは思いもしていなかった。
(・・・でも本当にいいのかな。)
嬉しいことであるのにリンドウの胸の内にはもやが付き纏っていた。
安否さえ分からない孤児院の家族に対して、自分だけが幸福を享受してしまっている事に申し訳なさを感じている。その事がリンドウの歩みを鈍らせている。
再び何かを手にすることをリンドウは恐れていた。
「あっ、リンドウくん!もう準備は出来てるよ。」
「・・・今、行く。」
(・・・今は、気持ちを切り替えよう。)
寮の入り口でこちらを手招きしながらリンドウを呼ぶカルミアがいた。その声色は明るい。
寮の扉を開けカルミアに連れられて進んだ先のロビーは、普段と違い煌びやかに飾り付けされており見事なパーティ会場となっていた。
テーブルには豪勢な料理が並べられている。辺りは温かな雰囲気で満たされており、数日前に危うい状況になっていた事などまるで無かったかのようであった。
「・・・?」
(?・・・ユリはいないみたいだ。)
ユリ以外の全員が会場となっているロビーに集まっていた。
体調不良をおくびにも出さしていないシオンに、乗り気ではなさそうなエリカ、いつも通りに見えるルビアがいる。
リンドウが来るのを待っていたのだろう。ただ、辺りを見ても飾り付けを頑張っていたユリの姿は何処にも見当たらない。
「歓迎会を始めようか。グラスは持った?それじゃあ、リンドウの入隊を記念して乾杯。」
「乾杯!」
ユリはこの場にいないがシオンはこのまま歓迎会を進めるつもりのようだ。
それぞれがグラスを手に持ったのを確認してシオンは乾杯と言った。グラスのぶつかり合う音が小さく部屋に響く。
◆ ◆ ◆
料理を皿にのせるとリンドウは端の方へと移動した。どうにも彼女たちの姿を見ていると居た堪れなさを感じてしまうから。
不運が自分ではコントロール出来ないものであっても、迷惑をかけてしまっていることに変わりはないのだから。
(・・・ここにいてもいいのだろうか。)
途端にこの場所にいることが間違っているのではと感じた。
この煌びやかな会場が自分には相応しいものではないと強く思えた。それほど広く感じてはいなかったこの場所が途端に大きくなった気がした。
シオンたちがいるというのに、どうしてか一人ぼっちになっているみたいだった。
「はぁ、パーティーの主役がこんな隅っこにいていいわけ?」
「・・・だめ、だろうか。」
「それ本気で言ってるなら面白くないわよ。」
エリカの問いに的外れな言葉を返す。彼女はやっぱり呆れた表情でリンドウを見ている。
元よりこうした場での過ごし方の分からないリンドウである。無意識の行動であるとはいえ隅の方へと移動したことには何もおかしなことであるとは考えていないようだ。
こんなパーティーの趣旨を理解していないリンドウを見兼ねてか、エリカは話しかけて来たのだろう。
(・・・歓迎会に参加してくれるとは思えなかったけれど・・・。)
エリカの事を不思議そうにリンドウは見返した。
彼女もじっとリンドウを見ている。リンドウは若干の居心地の悪さを感じた。いつも以上に纏まらない自身の感情からかリンドウは目を逸らす。
「何よ、その顔は。どうせあたしが来ると思っていなかったって感じでしょ。」
「・・・。」
(・・・どうして分かったんだろう。)
リンドウは自分で思っているよりも自身の表情が豊かなのではないかと思い始めた。
エリカは一瞬呆れたような表情を見せたあと、小さくため息をついた。何か彼女にも思う所があったのかもしれない。
「はあ、別にどうだっていいわ。・・・隊長にお願いされたからってだけよ。それに・・・いえ、何でもないわ。」
「・・・そう。」
どのような会話が二人の間にあったのかは分からないが、どうやらエリカはシオンの熱意に負けたようであった。
エリカは適当にテーブルの上の料理を小皿に移すと順に食べていく。
「今から言うことはあたしの独り言。・・・聞き流しなさい。」
「・・・?」
彼女はそう前置きして話し始めた。唐突なことであったがリンドウは耳を傾けた。
「・・・もし、あんたがあれを自分の不運のせいだと思っているのなら。・・・それを、後悔しているのなら。」
エリカは一拍溜めたあと澱みなく言葉を続けた。リンドウの瞳を見て、真剣な眼差しでエリカは伝えた。
「不運があっても跳ね除けられるように強くなりなさいよ。」
(・・・彼女なりに励ましてくれているのだろうか。)
普段の彼女は隊の中でも一歩引いた位置にいる事が多い。
何故エリカが人付き合いを避けているのかはリンドウには分からない。ただ何らかの理由があって意図的にしていることはリンドウにも理解出来た。
パーティーの雰囲気が口を軽くさせたのか、何であれエリカのアドバイスを無碍にするつもりは無い。
「・・・ありがとう。」
「ふん、お礼を言われる様な事じゃないわよ。・・・せいぜいこの時間を楽しみなさい。」
それがエリカなりの気遣いだったのだろうか。その言葉にどんな意味を込めたのか、リンドウには全てを読み取る事が出来ないけれど、それは一つの解答のような気がした。
言い終えるとエリカは直ぐに顔を逸らしてリンドウから離れていった。言いたい事は言ったという事なのだろう。
(・・・彼女はこの場に来てくれた。それにこうして話しかけてさえくれている。)
彼女の印象からこういった事には不参加かと思っていたがエリカもしっかりと参加していた。
(・・・優しい人だ。)
エリカが何を考えているのかは分からない。だから、リンドウは行動で彼女の人となりを推測するしかない。
少なくとも、リンドウはエリカにチグハグな部分があったとしても優しい人であると思った。
「・・・。」
(・・・不運を跳ね除けられるほどに強くなる。・・・私に出来るのかな。)
先程のエリカの言葉を思い返す。脳裏を過ぎるのはあの日のことだ。
襲いかかって来た無数の災害を一人で対処する。そんなことが出来るのだろうか。リンドウは即座に無理だと感じた。確かに最上位ワルキューレのような存在はいるが、人の努力だけでどうにかできるのなら今頃災害は脅威になっていなかっただろう。
リンドウの皿に乗せられた料理は手付かずだ。エリカがリンドウの元を離れると、ルビアが側へとやって来た。
「・・・悩んでる?」
「そう、かもしれない。」
彼女らしくマイペースに、けれど言葉ははっきりと芯を捉えているようであった。堂々とした佇まいはリンドウとは対極的だろう。
リンドウはルビアが悩んでいる姿を見た事が無い。記憶を掘り起こしても思い当たる節は見つからない。
自分と彼女とで何が違うのだろうか。
ずっとリンドウは悩んでいた。では、何に悩んでいるのか。
ここにいてもいいのか、災害を誘き寄せてしまう不運な自分が彼女たちと一緒にいていいのか。だからだろうか、ルビアの問いかけにすんなりと言葉が出た。
解決することは容易だ。この場所から離れればいい、また一人に戻るだけだ。ただそれだけのこと。
(・・・そう、それだけのこと、・・・のはず。)
そこまで考えてリンドウは何かが違うと違和感をもった。気づかない内に手を強く握っていた。微かに震えている手を見る。
リンドウは恐れている。ただ、リンドウにはその根元が何処から来ているものなのか理解出来ていない。
ルビアがリンドウに更に近づきそっと肩を抱き寄せる。
「・・・過去はどうあっても変えられない。」
「・・・・・・。」
「・・・けれど、これからの事はまだ決まっていない。」
まだ、誰も失っていない。ルビアの言葉が胸の内にすっと溶けていく。
このまま過去ばかりに目を向けていれば今すらままならなくなり、未来で望む選択すら出来なくなるだろう。ルビアは直ぐ側にいる。誰もいなくなっていない。彼女の温かさが現実を正しく認識させる。
「リンドウ・・・。」
「・・・分かった。」
言葉数は少なくとも一つ一つの言葉がリンドウの事を真摯に考えたものであり、どの言葉も聞き逃せるものではなかった。
リンドウはもっと今を正確に見つめるべきなのだと感じた。
「二人はとっても仲が良いんだね。」
「・・・カルミア。」
そこにやって来たのはお皿にチョコレートでコーティングされたマシュマロを差し出すカルミアであった。
デザートにどうかなと笑顔を見せる。それをリンドウは受け取った。甘い香りが周囲に漂う。
「お話しの途中にごめんね。・・・迷惑だったかな?」
「・・・構わない。」
「・・・良かった。ここの所、リンドウくんの調子が良くなさそうに見えたから心配だったんだ。」
ルビアさんも気にかけていたみたいで安心したなと、ほっとしたようにカルミアは話した。
確かにリンドウには思い当たる節が幾つかあった。ここ数日夢見が悪かった事も影響しているのかもしれない。
言い忘れてた事があったんだと苦笑いしながらカルミアは言った。
「あっ、そうだ。改めて、リンドウくん。シオン隊にようこそ!」
こうして歓迎されている事にリンドウは嬉しく思った。何だか昔に戻ったような、懐古のような感情を抱いた。
本当に全員が無事にいられる事に安堵した。
「・・・ありがとう。」
お礼の言葉はすんなりと口から出た。あれだけ迷惑をかけてしまったのに彼女たちはリンドウを遠ざけることをしなかった。
少なくとも彼女たちに報いるべきだとリンドウは思った。
「そういえばユリちゃんの姿が見えないけど。」
「準備に張り切り過ぎたみたいで今は眠っているよ。」
「あはは・・・、ユリちゃんらしいですね。」
カルミアの言葉を聞いてシオンが答えた。リンドウたちの会話を微笑ましく見ていたようだ。
シオンの言葉を聞いてリンドウも納得がいった。一番彼女が楽しみにしていたと言っても過言ではないというのに。どうして寝ちゃったんだろうと悲しみに暮れるユリの姿が目に浮かぶ。それともどうして起こしてくれなかったのかと怒るのだろうか。
ただ、彼女らしい行動だった。ルビアとカルミアと入れ替わるようにしてシオンがリンドウに話し掛ける。
「リンドウ、しっかりと食べている?」
「・・・食べている。」
いつも通りの自然体のシオンがリンドウの元へとやって来た。幾つかの料理をお皿に盛ってリンドウに手渡す。リンドウは言われるがままに受け取ってそれを食べた。
普段通りの姿を目にしたからこそ、あの時の、エクサルス大森林での任務の際に見たシオンの弱った姿が際立って見える。
(・・・今は平気そうに見える、けど。)
リンドウは果たしてあの時にどんな選択をする事が最善であるのか分からなかった。シオン以外のみんなにも傷付いて欲しくないと思った。
けれど、リンドウが出来た事は結局ただ耐え忍ぶ事だけだった。何をするにもそれを実現する為の力が足りない事に気づいた。
考え込んでいるリンドウを見てシオンは口を開く。
「もし、あの時の事を気にしているのなら、こう言うのが適切がどうか分からないけれど、・・・嬉しく思うよ。」
「・・・嬉しい?」
リンドウが感じている感情とはまるで真逆の嬉しいという言葉を聞いて一層分からなくなった。あの時の事を思い出すと、あの時のシオンの苦しそうな姿を見ると、こんなにも心臓を掴まれたような重苦しさを味わうというのに。
それに続く言葉を聞いた時、シオンの表情を見た時、少しだけリンドウは救われたように感じた。
「ええ、そうだよ。それはリンドウが大切に思ってくれているからこそ感じる感情だろうからね。」
「・・・・・・・・・。」
その気持ちを知れただけでシオンにとって十分過ぎるものだった。それはリンドウが考え続けている証拠でもあり、リンドウがまた一歩前へと歩き出した証拠でもあるのだから。
シオンはリンドウに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「ただ、ずっと気を張り続けていたら疲れてしまうよ。だから、休める時にしっかりと休むんだよ。」
「・・・うん。」
頭の中で渦巻いている事に気づかれているようで、リンドウは気恥ずかしく思った。以前はこんな感情を抱きもしなかったのに。
少しだけリンドウは顔を俯かせた。リンドウはまた別の意味で感情に整理がつかないようであった。
すると頭に温かな重みを感じた。
今だけは忘れていいからとシオンはリンドウに言った。リンドウの髪を撫でるシオンの手つきは優しく温かいものだった。
「あの場で、リンドウは貴方の出来る事をしていたよ。よく頑張ったね。」
こんなに甘く感じるのは、きっと、今食べているチョコレートが甘過ぎるのが原因だとリンドウは思った。
窓越しに見える空には星々が光り輝いておりまるで祝福してくれているようであった。その輝きに負けないくらいにパーティーの会場も明るく照らされていた。
◆ ◆ ◆
歓迎会もお開きとなった頃、リンドウは一人寮の外で夜空を眺めていた。
誰も彼もが優しい、リンドウにはこの現状が手放したくはない宝物のように思えた。今になってリンドウは今までにシオンがしてくれた事を、献身を理解し始めた。恩などと言う言葉で収まらない程の感情がリンドウの中で根付いていた。
ただ、一緒に居られる事への嬉しさが増えるにつれてそれ以上の不安がリンドウの中で広がっていく。
焦燥感が、焦りとなってリンドウに纏わりついている。他の支部にいた時の方が気が楽であっただろう。
また、失う事になるのではないかという恐怖がいつだって思考を過ぎる。自分は一体どうすればいいのだろうか、考えなければいけない事が急にどっと押し寄せて来たようであった。
全てが甘い甘い夢のようで、苦い現実だった。
「ふむ、星を見ているのか。」
「・・・!、はい。」
「確かに綺麗だな。」
突然聞こえた声に少し驚く。日が落ち、星々の明かりだけが頼りな時間に誰かと合う事など考えていなかったから。
声のする方へと顔を向けるとそこにはこのルースト支部の支部長であるスノーフレークがいた。ルースト支部に移籍した際にリンドウはこの女性と一度顔合わせをしている。
それに最近では、エクサルス大森林での任務の際に助力を受けている。
「こうして面と向かって話すのは随分と久しぶりだ。リンドウ君、こうして顔を見に来るのに遅れてすまない。」
「・・・いえ。」
謝罪をするような事をされた覚えはない。むしろお礼を言わなくてはいけない立場だろう。あの時に彼女の援護がなければシオンか、他の誰かが今よりもっと危うい状態になっていたかもしれないのだ。
「様子を見るに歓迎会には間に合わなかったか・・・。」
スノーフレークの服装は仕事着のままだ。こんな時間まで仕事をして、その足で様子を見に来ているのだろう。
無駄足であるかも知れないというのに、こうして足を運んでいるのを見るにシオンと同じように良い人なのだろう。
(・・・あの時もそうだった。)
初めてこのルースト支部へとやって来た時、彼女に言われたことを覚えている。真剣な眼差しでスノーフレークは言った。
『この支部にやって来た以上は君の面倒を見る。この場所が君たちのもう一つの家になれるよう願っている。』
とても真っ直ぐな言葉だった。心の底からそうあれるよう願っているようでもあった。この人は真面目で、実直な性格をしているのだと感じた。
「何か不自由な事があれば気軽に言ってくれて構わない。」
「・・・ありがとう、ございます。」
「礼など不要だとも、もし言いづらければシオンを通す形でも構わない。」
笑みを浮かべながらリンドウに言う。長く引き止める訳にもいかないかと口にすると彼女は踵を返す。
「それでは、良い夢を。」
夜の闇と星の明かりが残された。
◆ ◆ ◆
暗闇を歩いている。真っ暗な闇が辺りを包んでいる。前に進んでいるのか、そもそも本当に進んでいるのかさえまるで分からない。
これは夢だ。リンドウは何の根拠もなくそう思った。
既視感だ。何度も見たことがあるような、そんな感覚。
歩き続けていると一片の光が見えた。明るい光だ。
リンドウは近づこうと必死になって歩く。真っ暗な暗闇の中でただ光に向かって進んでいく。
近づいて。その灼熱の光に近づいて。
これが夢だと気づく。
燃えている。火花の散る音が、家の崩れていく様子が目前に広がる。小さな孤児院が、家が燃えている。
頬に触れる感触に、目線を向ける。
そこには、◼️◼️◼️が◼️◼️ていた。
これは夢だ。
場面が急速に移り変わる。景色が一変した。目に映っているのはごくありふれた家だ。
◼️◼️の笑顔。自慢の◼️だ。彼女は大切な人だ。
会った事も無いというのに?
彼女は◼️◼️◼️者だ。◼️◼️てなどくれなかったじゃないか。
一体、何があった?
これは、・・・誰の記憶だ?
終わらぬ悪夢は巡り続ける。