第四話 既視感
【六月十日 15:33】
リンドウは目を覚ました。周囲を見渡すと授業を真剣に聞いているクラスメイトたちの姿が目に映った。
まだ授業中だ。どうやら居眠りをしていたみたいだ。
(あれ、いつの間に寝ていたんだろう。)
記憶がどこかあやふやだ。よだれが垂れてしまっていないかを確認したあと、姿勢を正して前へと向き直る。
先生がちらりとこちらへと視線を向けた。居眠りしていたのがバレたのだろう。ただ注意をするつもりはないみたいだ。リンドウはほっと安堵した。
(何だか、見覚えがあるような・・・。)
リンドウが強く感じたのは既視感だった。どこか、この光景に見覚えがあるように感じていた。
寝ぼけているのだろうか。ぼんやりとそんな考えが頭に浮かんだ。土日の休日以外に毎日授業を受けていればそんな感覚を覚えることもあるのかもしれない。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「寄り道しないで帰るんだよ。」
「はーい!」
「いつものとこで集合なー!遅れるんじゃねーぞ!」
「そっちこそ!」
「こらっ、そんなに走ると転んでしまうよ。」
授業が終わって一斉に動き出すクラスメイトたち。
その内の一人の男子に目が止まった。彼はランドセルを掴んで先生の静止を振り切って走り出していた。
この光景をリンドウは知っていた。強い既視感、この後にどうなるのかリンドウには分かった。それこそ一度見たかのような。
(あの子、転ぶ。)
思わず手を伸ばそうとしたが時すでに遅し、彼は体勢を崩した。
「あっ・・・!」
そのまま木製の床に熱烈なハグをかましていた。
「うっ、・・・ぐす。」
「ああ、怪我はないかい?」
「だい、・・・じょうぶ。」
「立てるかい?あっ、また走って、何処か痛むのなら保健室に行くんだよ!」
伸ばそうとした手を引っ込めたリンドウは、その手をまじまじと見つめた。
彼が転ぶのは分かっていた。何故分かったのか、それは既に同じ光景を見たことがあるからだ。
リンドウは昨日を、正確には今日のことを思い出した。
(違う、あれは夢じゃない。絶対に現実だった。)
夢の出来事ではなく、本当に起こったこと
あの夜の出来事は今もしっかりと覚えている。徐々に記憶が鮮明になっていく。
あの夜、七不思議を探しに学校へと忍び込んだことも、怪奇現象に見舞われたり、先生に見つかったことも全部思い出した。先程まで忘れていたことだ。
帰る準備もせずに廊下へとリンドウは出た。そして窓ガラスに映る自分の顔を見て確信する。
(わたしは、誰?)
自分ではない誰かの顔が反射して映っている。見慣れた顔の筈なのに、自分ではないと今ならはっきりと認識出来た。
この身体は自分のものではない。
(自分じゃない、誰かになってる?どうして?それに、今日が繰り返されてるの?)
何が正しくて、何が正しくないのかが分からない。結局、今のリンドウに認識出来たのはそこまでだった。
教室へと戻って黒板を見る。今日の日付がチョークで書かれている。日直がサボっていなければ間違っていないはずだ。
(六月十日・・・、やっぱり昨日と一緒。)
リンドウはようやくこの世界の異常を認識した。
しかし、この違和感の始まりはどこだったのか。いつから繰り返されて、何を忘れているのか。分からない、何も分からなかった。
分かっているのは今日が繰り返されていて、知らない誰かの身体になっている。そのことを誰も疑問に思っていないということだ。
「◼️◼️ちゃん、大丈夫?」
黒板の前で立ち尽くしていたリンドウを心配してか声をかけられた。話しかけてきたのはリーダーの女の子だった。
今のリンドウを見たら誰だって心配することだろう。顔色は血の気が失せたように真っ青であるし、茫然自失としていた。
リンドウの心の内を大きく占めていたのは焦りだった。状況を打開する方法が見つからない。ただの小学生だ、こんな超常現象どうしようもないだろう。
「えっ、あ、ううん。大丈夫。」
どうにかして今を変えないといけないと思いはしても、その手段が見当たらない。
本当にただリアルな夢、白昼夢を見ていただけなのかもしれない。でも心は、感覚はそれを否定している。あれは現実であったと。
「大丈夫には見えないわよ、いいからこっち来なさい。」
リーダーの女の子に連れられてこられたのは双子がいる場所だった。
「それで、どうしたのよ?」
「・・・その。」
「悩みでもなんでも口に出した方が楽よ。」
リーダーに急かされてリンドウは意を決した。自分一人ではどうしようもないと理解したからでもある。
リンドウは三人に何が起きたのかを出来るだけ詳しく伝えた。ただ、反応は芳しいものではなかった。
「えーと、今日が繰り返されてるってこと?」
「それってアニメかドラマの話?どんな話かと思ったら、心配して損したわ。」
当然真剣には取り合ってくれなかった。それもそうだろう、まだ寝ぼけているんじゃないかと言われても仕方のない話だ。
彼女たちがこのことを認識出来ていたら話は違っていたのかもしれない。
それともこれが本当に一回目の繰り返しだったのだろうか。もしかしたら、同じように自分も認識出来ていない時があったのかもしれない。
(なら、どうして自分は気づけたの?)
前回がイレギュラーだったと考えるべきなのだろうか。
彼女たちも、先生もいつもと変わらない。切っ掛けはなんだったのか。
違ったのはあの幽霊?それとも怖がってよく見れなかっただけで普通の人間だった?
確かに日常では起こり得ない恐怖体験ではあるが、何故それで一日が繰り返されたことが認識できるようになるのか。それとも、この繰り返しを行っているのがあの幽霊だったりしないだろうか。
(何が何だかまるで分からない。)
深刻そうな表情のリンドウを見て、三人とも少しは話しに付き合ってくれる気になったようだ。
「繰り返し、分かんないや。あー、どっかで聞いたけど結果には原因があるとかー?原因はー、なんだろ。」
「馬鹿ね、原因なんて分かるわけないわよ。まずはどうして繰り返されてるのか考えた方がいいわ。」
「それって原因と何が違うのさ。」
「違うわよ、もっと大雑把に見ろってことよ。」
リーダーの女の子が率先して話を続けてくれた。
「例えば、繰り返されてるのは時間が巻き戻っているからとかね。当然、どうして時間が巻き戻っているのかは分からないわ。だから原因なんて考えるだけ無駄なのよ。」
「なるほどね!なら時間じゃなくて過去に戻ってるとかどうかな?◼️◼️ちゃんだけそのことが分かってるならこっちの方がぽいっじゃない?」
次々とどうして今日が繰り返されているのかを考えてくれた。信じてくれていなくとも、これはリンドウにとって有難いことだった。
ただ、リーダーの女の子が言った通りその原因はまったく分からない。結局のところ、一番重要な『どうしたらこの繰り返しが終わるのか』は分からないままだ。
「うーん、夢とか?夢だったらなんでも有り得そうだし。」
「それいいね、夢だとしたら。ん、その夢を見てる夢の主ってやつが犯人だね!」
(時間の巻き戻し、過去に戻る、それに夢、このどれかだったとしても、・・・何も出来ない。)
やはり結論は変わらなかった。現状がよくなることを祈るくらいしか出来ることは無さそうだった。
「雑談もここまでにして、・・・今日の夜、大丈夫よね?」
「もち、オッケー!」
「でも、今日は雨が降るってテレビで見たけど・・・。」
(雨が、降る?)
彼女の言葉を聞いてリンドウは疑問に思った。あの夜、雨は確実に降っていなかった。外を歩いて学校を往復したから、間違えてはいない筈だ。
リンドウの疑問を他所に彼女たちの会話は続く。
「雨かぁ、やだなあ。なら別の日にしない?」
「ダメよ。あのフェンス、もう直しちゃうって聞いたの。だから雨でも決行よ。」
「んー、ならしょうがないかあ。傘持って行かなきゃだね。」
時間が巻き戻った訳でも、過去に戻った訳では無いのだろうか。
分からない。リンドウの中に漠然とした不安だけが募っていく。この世界に一人置いていかれてしまったような疎外感を感じていた。
本当にただの悪夢見てしまっただけなのか。
(夢なら、早く覚めてほしい。)
ただ、悪夢が覚めることだけを願った。
◆ ◆ ◆
【六月十日 22:12】
風が吹くと、木の葉がカサカサと音を立てる。その音が、まるで誰かが話しているとみたいで、思わず肩がビクッとなる。
二度目の夜道、怖さは変わらなかった。寧ろ怖さが増したようだった。人は理解出来ないものほど恐れるのかもしれない。
結局リンドウは同じように深夜の学校へと向かっていた。
どうして今日が繰り返されたのかは分からない。どんな行動が影響を及ぼすのか、何を選択するべきなのか。リンドウは迷ってばかりだった。
(神社、前と一緒だ。すごく明るいのに、見てるだけで不安になってくる。)
学校への道中で目にしたのは、あの神社だった。賑やかに見えるのに、人は誰もおらず不気味な印象を受けた。
リンドウは足早で駆け抜けようとした。近寄るべきじゃないと身体が拒絶しているみたいだった。
ただ、その足は途中で止まってしまった。思い出してしまったからだ。
(そうだ、昨日はこの場所であの幽霊が。)
背筋が凍り付く、というのはこういう感覚なのだろう。
背後から、冷たい空気が肌を撫でる。それはまるで、冬の夜に窓を開け放ったような、生きた人間にはありえない温度だった。
動けない。
正確には、動こうとしても体が言うことを聞かない。足は地面に縫い付けられたように、腕は鉛のように重い。喉はカラカラに乾き、悲鳴を上げることすらできない。
感じる。
確かに、そこにいる。
背中に突き刺さるような視線。
「なにが、何が、・・・したいの?」
返事は返ってこなかった。
それから、10秒、30秒、1分経って異様な気配が居なくなっていることに気づいた。
(・・・消えた?)
恐る恐る、背後を振り返る。闇が広がるばかりで、先程まで確かにそこにいただろう存在の姿は、もうどこにもない。
何度も何度も周囲を見回す。街灯の光が、心なしかいつもより優しく感じられる。
(・・・い、いない。)
ようやく、確信できた。あの悪夢のような存在は、もういない。
全身から力が抜け、膝がガクガクと震え出す。立っているのがやっとだった体が、もう限界だと訴えている。支えを失った体は、ずるずると地面に崩れ落ちた。アスファルトの冷たさが、熱を帯びた肌に心地よく感じる。
「ふぅ・・・、はぁ・・・。大丈夫、大丈夫。」
荒い呼吸を繰り返しながら、しばらくその場に座り込む。心臓はまだ激しく鼓動し、全身は冷や汗でぐっしょりと濡れている。
ゆっくりと、深呼吸をする。吸って、吐いて、吸って、吐いた。少しずつ、呼吸が落ち着いてくる。心臓の鼓動も、少しずつ穏やかになっていく。
(・・・もう、大丈夫。)
そう言い聞かせながら、手のひらを地面につける。アスファルトのザラザラとした感触が、現実世界に繋ぎ止めてくれる。
ようやく、立ち上がる気力が湧いてきた。足はまだ少し震えているけれど、なんとか歩けそうだ。
勇気を出して話しかけてみても何も進展はなかった。ただ残ったのは疲れと恐怖だけで、徒労に終わっただけだった。
こんな場所には1秒でも長くいたくはなかった。
「夢なら醒めてよ。」
一歩、また一歩と、ゆっくりと歩き出す。後ろを振り返ることは、もうない。
◆ ◆ ◆
【六月十日 22:29】
公園について交わしたやり取りに大きな違いはなかった。
違いがあるとすれば全員が傘を持っていることくらいだろうか。まだ雨は降っていないとはいえ、確かに天気は悪そうだった。時折吹いてくる風はどこか湿っており、何処か遠くではゴロゴロと雷の鳴る音が聞こえていた。
「よーし、行くわよ。」
「あっ、行く前にこれ。お菓子持ってきたんだ。」
「それ酸っぱいのがあるやつよね。何でそのチョイスなのよ。」
「だからいいんだよ!」
チューイングソフトキャンディーでキャンディに包まれた内部には甘いしゅわしゅわがある。4個入りで一個だけ酸っぱい味のある駄菓子だ。
手渡されたものを受け取った。夜にこうして集まってお菓子を食べる。
リンドウはキャンディを口の中へと放り込んだ。
「・・・甘い。」
口の中に広がる甘さ。どうやら当たりを引いたみたいだ。少しだけ来て良かったと思えた。




