第十話 徒花の咲く頃に⑥
ヴァールは記憶を整理し、息を整えると次のように言葉を続けた。
「ここで行われていた研究は、・・・プロジェクト:ノアと呼称されていました。」
プロジェクト:ノア。それがヴァールが思い出したこの研究所で行われていたであろう計画の名前である。
天威とはまったく別の組織なのだろう。このプロジェクト名をシオンたちは耳にした覚えはなかった。
「人類の進むべき最良の道を観測し誘導する・・・。それがプロジェクトの最終目標だと聞いています。」
「未来視に近い事をしようって訳?」
「そんな事、可能・・・なんですか?スケールが大き過ぎてちょっと、想像もつかないかな。」
ヴァールの話したプロジェクトの概要は荒唐無稽に聞こえるものだった。
カルミアの言う通り理解出来る範疇を大きく逸脱しており、それがどんなものであるのかまるで見当もつかなかった。その話を口した本人ですら自信が無いのか半信半疑といった様子である。
しかし、本当にそんな事が可能になるのであれば世界各地に現れる災害の対処にも余裕が生まれるだろう。
「その、詳しい事は・・・わたしも知りません。
ただ、忘れてしまっているだけなのかもしれませんが・・・。」
自分で口にしながらも計画の詳しい内容については記憶に無いようでヴァールは声をつまらせていた。
そもそもとして、この計画についての詳しい事を聞かされていないのか、忘れてしまっているだけなのか分からないからだろう。
頭を抑えたヴァールをシオンがそっと支えた。
「大丈夫だよ。何も知らない私たちにとってはどんな情報でも大助かりだ。それに、あの花びらが貴方の記憶を呼び覚ますのであれば、今の疑問も解消されるかもしれない。」
「そう・・・ですかね。ううん、何だかそんな気がして来ました。それなら皆さんのお役にたてるようにあの花びらを見つけて記憶を取り戻さないと・・・。」
やる事に変更はないという事だろう。むしろ方針がより明確になったと言える。花びらへの接触によってヴァールの記憶が戻っていっているのを見るに、この考えは間違いではないだろう。どんな理屈かは分からないが、少なくとも花びらの重要性が上がっている。
ヴァールの仲間を探し、ついでに花びらも見つけ彼女の記憶を取り戻す。
「この場所にヴァールさんの仲間がいたのは確かみたいですけど、・・・最近、人がいた痕跡が見つかりませんね。」
「それは・・・。」
何らかのプロジェクトが進行していたのであれば、この研究所で活動していたのは確実だ。しかし、カルミアの言うように人が最近いたような痕跡が見つからない。
研究所そのものは廃墟同然であるし、どうにも噛み合わない。
それに此処に来るまでヴァール以外の人に出会ってはいない。それは生存者もそうだが、死者もだ。遺体も見つかっていない。言い方が悪いかもしれないが、もし災害によって殺されてしまったとしても死体が消える事はない。この惨状を引き起こした存在が何であれ此処まで見つからないのは不自然だ。
既に脱出していないのであればヴァールが逃げ遅れた事になる。そうでないのであれば、他の人物がどこかで戦っているのかも知れない。
しかし、それ以上に亡くなってしまっている可能性の方が高いだろう。何処かに上手く隠れられていればと小さな希望に縋るしかない。
「ヴァールさん、どうか覚悟はしておいて欲しい。どうにもならない時は、どうしてもやってくる時が来るんだ。」
「その・・・!わたしとは比べものにならないくらい凄い人達ですからきっと大丈夫ですよ!もしかしたら、その内ひょっこり出てくるかもしれませんから。・・・だから。」
「・・・・・・。」
明らかに状況は良くない。ただ、直接その事を口には出来そうに無かった。少なくともこの施設を探し終えるまでは結果は分からないのだから。
別れの辛さ、虚無感をリンドウは思い出していた。だから、リンドウは心の内で彼女の望みが叶う事を願った。
「彼らの話を聞いてもいいだろうか。」
「勿論です。まず、ヴェルさんですがみんなの頼れるお姉さんで困った事があれば親身に相談にのってくれるんです。それから写真を撮るのが好きでした。」
施設を移動していく道中でシオンはヴァールにそう問いかけた。
それを受けてヴァールが誇らしげに研究所の仲間を紹介していく。話を聞いていく内に彼らがどれだけ彼女の中で大切な存在なのかが伝わって来た。それは仲間という括り以上に家族であるのかもしれなかった。
「ウルさんは、普段適当に見えて弓の扱いが凄く上手なんです。見たらきっと驚くと思いますよ!」
「ふふっ、機会があれば是非拝見したいね。」
「それから主任は・・・。」
ヴァールが主任と呼ばれていた人物の紹介をしようとした所で少し考える動作をした。これまですらすらと話していたので、どうしたのかとリンドウはヴァールの顔をみた。
どうやら思い出に浸っているみたいで、その表情は安堵と優しさに満ちていた。ヴァールが小さく笑みを見せると口を開いた。
「主任はダメダメなオジサンです!」
「え!?」
この流れなら褒めると思っていたのかカルミアがヴァールの言葉に驚きの声を上げた。
「普段はぐーたらで、トップが休まなきゃ下も休まないだろとか、あれは自分が休みたいだけですからね!」
ただ、その罵倒には確かに親愛が見え隠れしていた。その姿はまるで子供で、素直に褒める言葉を口にしたくない照れ隠しの一つなのだろう。
一通り言いたい事を言ったのかヴァールが一息つくとこう続けた。
「・・・みんな凄い人達で、彼らは強い人たちだと、思ってました・・・さっきまで。あの花びらの記憶を見返して、それが少し違うって気付いたんです。・・・強くあろうとしていたんですね。自分よりも優先して他の人を気遣えるくらい優しい人達なんだって。・・・わたしと違って。」
自分の事で手一杯なのでと自虐を込めてヴァールはそう口にした。
ヴァールの心中にあったのは不安だった。何故自分一人だけがこの場所にいるのか。その答えを知るのが怖かった。彼らは自分を置いて逃げたりするような人たちではない。だから結果的に亡くなっていたとしても、その過程には戦闘があっただろう。
であれば、自分だけが逃げ出したのだろうか。彼らを置いて一人だけで。
「・・・それは、違う。」
「リンドウさん?」
ただ、リンドウにはヴァールの言った事が違っていると感じた。一つだけ抜けているのだと思った。
結局の所、自分自身の事を理解するのが一番難しい事なのかもしれなかった。
「・・・ずっとカールと呼ばれた人の事を気にしていた。その気遣いも優しさの筈だから。」
「いえ、・・・そんな事は。」
「ううん、わたしもそう思う。ヴァールさんも自分以外の誰かを自分以上に優先して気遣える凄い人だよ。だって今だってずっと気にしているよね。」
ヴァールの言った言葉はそのまま彼女の今にも当てはまっていた。
今だって彼女は自身の危険を顧みずに同行を願い、仲間を探す為に必死になっている。それが優しさでない訳が無い。
「そう、だと・・・いいですね。あ、いえ・・・、シオンさんたちにも感謝しています。ずっと心強いから・・・、ありがとうございます。」
「ふふ、どういたしまして。」
そうこうしていると主制御室を抜けて避難区画と指定されている場所へと辿り着いた。ただ、やはりと言うべきか人の声は聞こえず気配も無い。むしろ先程聞いたばかりの聞きたくなかった音が耳へと入った。
「此処が避難区画だね。ただ、この音は、・・・災害がもう中に。人がいれば救助優先で、行くよ。」
「はい、シオン隊長。」
避難区画に入ると想像通り複数の災害がいた。ただ、見渡す限り人はここにはいなさそうである。誰かが戦っているという事も無く、そこには災害だけがいた。
予想外の事が起こるという事もなく、シオンたちが災害を討伐すると辺りを静寂が包んだ。
「生存者は見つからなかったわね。・・・ただ、またこの花びらが見つかったわ。」
「確認しようか。」
一同が頷き光が辺りを包む。
◆ ◆ ◆
「個体識別、照合完了。本日はどのようなご用件でしょうか。」
「用事なんて無いですよ。ただ貴方に会いに来たんです。」
「それにはどんな意味があるのですか。」
二人の女性が話している。目の前にいる女性は初めて見る人だ。どこか無機質な印象を受ける。
記憶の主は声質からして外で見つけた花びらで見た記憶の女性だろうか。
「あえて言うならそれそのものが用事です。ただ、人というのは時に意味の無い行動をするものですから。」
「それは効率という観点から見れば合理的ではありませんね。」
「人の行動自体が合理性だけで決められているものではないですよ。それに、効率を求める事が正解でも無ければ、遠回りした方が良い時もあるんです。」
そうして視点の主は目の前の女性の頭へと手を伸ばし優しく撫でた。
「何をしているのですか。」
「分かりやすく行動で親愛を表現してます。わたしは貴方よりも年上ですからね。お姉ちゃんなんですよ。」
「生まれた年月で姉であるかを決めるのは合理的ではありません。それにこの場所での所属歴は私の方が長く、加えて貴方より優れている点が多々あります。」
「さらっと今ディスりましたか?ええ、まあ、姉とは寛大ですから気にしません。気にしていませんよ?」
「ダウト、嘘ですね。」
会話の流れからして血の繋がった家族ではないのだろう。ただ、そうでなくとも二人は仲の良い姉妹みたいだった。
「・・・緊張は解れましたか?」
「この身体は緊張とは無縁のものです。ですが、人を真似、現在のコンディションを口にするのであれば絶好調と伝えておきましょう。」
記憶の主は唐突にそんな事を口にした。用が無いというのがそもそも嘘だったのだろう。これから起こる何かに不安を抱いているのかも知れなかった。
「・・・うん。これでラプは、わたしたちの計画は最終段階に至る。・・・もう残されている時間は多く無い。」
「過去を学習し、現在を解析し、未来を観測する。人類が進むべき道は必ず見つけます。」
「頼もしいですね。ただ、・・・時には遠回りも必要だって事を忘れないでね。」
二人の会話が続いているが、意識が遠のいていく。現実に戻される。
◆ ◆ ◆
先程の記憶の整理がついたのかヴァールがぽつりぽつりと話し始めた。
「彼女が・・・ラプラス、プロジェクトの中核を担う存在です。わたしも会ったことがある筈なのですが・・・、その、思い出せません。」
「思い出せた範囲で大丈夫だよ。」
「はい・・・。彼女はプロジェクトの末に誕生した人工知能で彼女の演算を元に未来を観測するのが目的です。」
「人工知能・・・、人と会話しているみたいでしたけど。」
話し方が多少違和感を覚える程度でそれ以外は人と変わらない印象を受けた。
ただ、再び同じ疑問が湧き出る。つまりそれが可能なのかという点だ。どれだけハイスペックな演算機を使おうと未来を予測する事は不可能に近いだろう。それこそ、この話しは局所的な未来、部分的な未来を見るといった話しでもなさそうなのだから。
「プロジェクトとして承認されているからには成功する確率があったんでしょうね。」
「エネルギーの確保は難しくはありませんでした。通常は害にしかなりませんが純エーテルがありますから。」
エネルギーの捻出が何とかなったのなら、次はそれでどうするかだろう。ヴァールが言葉を続ける。
「物理法則を歪める存在がこの世界にはいますよね。」
「災害の使徒の事だろうか。」
「そうです。あれらの存在が鍵だった、・・・そうです。その・・・、詳しい理論はわたしにも分からないのですが。」
(・・・物理法則、歪める?)
ヴァールは思い出せないのか顔を顰めている。少なくとも今の説明でリンドウは理解できなかった。ただ、シオンは今の話で理解したようだった。彼女の仲間にも何らかの展望があったのだろう。
「まあ、いいわ。どれだけ荒唐無稽でもそれを達成する可能性があったのならね。・・・なら、この計画は成功したわけ?」
「その、・・・筈です。少なくとも失敗ではなかったと。」
(・・・、成功した?)
ヴァールは朧げながら計画そのものは失敗はしていないと口にした。なら別の疑問が浮かび上がるだろう。未来が観測出来るのならこの惨状は一体どういう事なのか。とてもではないが成功したようには見えない。
それこそ最良の未来だとは到底言えない惨状だ。
「なら、先へと進もうか。一番いいのは知っている人に話しを聞ける事だろうからね。」
「・・・!はい、そうですね!」
それでもヴァールの仲間を探そうと言うシオンにヴァールは強く返事をした。シオンたちは地下二階へと足を進めた。




