第三話 過去
リンドウの人生には幾つかの山と谷があった。そんな彼の始まりはとある孤児院に拾われた所からである。
そこは街の外れに建てられた小さな孤児院であった。院長と両手で数えられる程度の子どもしかいない小さな小さな孤児院。
暖炉から薪の燃える小気味好い音が聞こえてくる。部屋を明るく照らし、炎が優しく揺れている。子供たちが忙しく何かを準備している。
「どうかな、お姉ちゃん。」
「流石は自慢の妹です、よく出来ていますね。」
「もう、そんなに褒めないでよ。・・・こほ。」
災害という怪物がいつどこから現れるのか分からないこの世界で平穏とは容易く壊れてしまう儚いものだ。故に孤児は珍しくないものである。多くの人々の人生があれらの怪物によって歪まされた。親を亡くした、子どもを失った、愛する人と二度と会えなくなった、様々な理不尽がそこら中に溢れている。
それでも、リンドウは幸運にも自身の家となる場所に巡り会えた。
「飾り付けもばっちりね。ほら、そろそろ時間ですから迎えの準備をしましょう。院長が今日の主役を連れて帰って来ますから。」
「勿論、いつでも大丈夫ですよ。」
「う、・・・うん。」
どれだけ一般的な幸せから離れた位置にあったとしても幸せに変わりはない。幸福を量として測る事が出来ない以上、優劣を決める事もまた出来ないのだ。
そこは確かにリンドウにとっての『家』だった。かけがえのない温かさを内包した場所だ。
複数の足音が聞こえて来る。彼女たちが視線がそちらへと集められる。ガチャリと扉が開けられた。
「 「 「誕生日おめでとう!」 」 」
クラッカーの音と空中へと散らばったカラフルな紙吹雪。
飾り付けされた内装がリンドウの目に映る。突然の事に固まってしまったリンドウがぼんやりと舞い散る紙吹雪を眺めている。きらきらと光が反射し、まるで夢の中にいるかのような美しさがあった。
院長によってそっと背中を押されて前へと一歩出る。
リンドウはこの優しさに溢れた孤児院で少なくない時間を過ごした。リンドウを構成する要素として間違いなく大きなウェイトを占めている。
「・・・誕生日おめでとう、リンドウ。」
ルビアがリンドウの側へと来ると祝福の言葉を送った。天威にて奇妙な再会を果たした彼女、ルビアと初めて出会ったのもこの場所だった。
当時のリンドウと同じように彼女は口数が少なかった。何を考えているのかがまるで分からないくらいには表情の変化も乏しかった。ただ、どんな性格であってもリンドウにとってルビアという存在には『姉』という印象を抱いている。
それはルビアが『家族』を気にしている事に気づいたからだ。
さり気無い優しさや気遣いを、共に過ごしている内に感じるようになった。理解出来るようになったから。
リンドウにとってあの場所は『家』であり、彼女たちは『家族』だった。かけがえのない場所の筈だった。
時が目まぐるしく流れる。水が上から下へと流れていくように、時間は止まってはくれない。
ーーーパチッ、パチ。
目に映るのは暖炉の火が見せる温かさとは正反対の痛みを伴う熱さだ。暗闇を赤が照らしている。燃え盛る炎と黒煙がリンドウへと現実を突きつける。
(いや、・・・いやだ。こんな、・・・ちがう。)
順風満帆な日常は唐突に終わりを迎える事になる。幸せが長続きする事はなかった。
リンドウにとっての大きな転換点となった日。たったの一日にも満たない時間で全てが崩れ去った。
業火に包まれる孤児院。あの日の燃え盛る炎が今でも目に焼き付いている。リンドウは、灰となっていく家をただ見ている事しか出来なかった。
彼の人生に安寧の二文字は無かったと言えるだろう。
「どう、・・・して。」
全てはその一言に集約される。薄れゆく意識、朦朧とした視界の中でそう言葉を発した。
リンドウはあの日の事をよく覚えてはいない。何故孤児院が燃えていたのかも、他の家族が今何処にいるのかも何も知らなかった。燃え盛る炎だけが心に深く刻まれた。
それどころか、それ以前の事も殆ど思い出せなくなった。心を握り潰されてしまったのかと思ってしまう程に痛みを感じた。流れ出でる涙の意味すら分からなかった。
あの日を境に、記憶があやふやなものになっている。それでも覚えているものは、心に残ったものは、大きな・・・、大きな喪失感であった。
夜が明け、炎が消え、元の形も思い出せなくなるほど破壊され尽くした家の前で立ち尽くす。
(・・・きっと、帰って来る。)
リンドウは待った、待ち続けた。炭化し廃墟となった家を一人で綺麗にしようとした。だって、こんな姿になってしまった家を見たらきっと悲しむだろうから。
手を傷だらけにしながら、何が正解かも分からずにただ黙々と。
(・・・此処が家だから。)
しかし、目に映るのは瓦礫と燃えた木片のみ。元通りになりはしない。
それでもリンドウは幸せだった時間を思い出して、元あった形に戻そうとする。既に崩れ去った残骸を形だけ取り繕うように積み上げていく。
テーブルがあった場所には元の形も見る影もない木の板を。
椅子があった場所には壊れかけの箱を。
小さな本棚のあった場所には燃えて何が書かれているのかすら分からない本のカケラを。
子供一人の力では限界がある。現実は夢のように美しくはない。
翼の折れた小鳥が再び空を飛ぶ事をどれだけ夢見てもそれが不可能であるように。一度失ったものが本当の意味で元の形を取り戻す事はない。誰も戻っては来なかった。
涙がポロポロと次から次に溢れて来る。拭っても、止まらない。
崩れ去ったものがもう元には戻らないと理解した。
◆ ◆ ◆
リンドウの記憶はまるで迷路を歩いているかのようにはっきりとせずあやふやだ。彼は記憶の多くに蓋をしている。胸にぱっくりと空いた隙間がリンドウを押し留める。
孤児に始まり、そこで手にした家となる場所は灰となり、まっとうな生活が出来ていたのは本当に僅かな時間である。
その平穏な時間でさえも、大切な人たちを奪われゆく強烈な記憶によって上書きされ殆どを思い出せないでいる。そう、どれだけ綺麗な思い出があろうと、それが綺麗であればあるほど奪われた時に心の痛みは大きなものとなるからだ。
リンドウは失ったものを、その手から零れ落ちたものを直視出来なかった。
(・・・あの場所は、もう無い。・・・もう会えない。)
時折り吹く風の冷たさによって現実を叩きつけられる。リンドウの手を握って温めてくれる人はおらず、手を引いてくれる人もいない。
帰る場所は無く、温かな時間が再び訪れる事もない。
孤児院から半ば強制的に放り出される事となったリンドウはあてもなく彷徨い歩いた。
率直に言って彼は新しく何かを手にしようとする事を恐れた。再び失う恐怖に耐えられなかったからだ。リンドウ自身はその事を考える余裕すら無かったが、人との関わりを避けた彼の行動をもし内情を知る人物が見ていたなら分かりやすいものだっただろう。
歩いて、ただ歩いて、気づけば人気の無い場所に辿り着いていた。
不運でありながらもリンドウは運にも恵まれていたのかもしれない。幸運でなければ生きていられたかも怪しいものだっただろう。
リンドウは災害に巻き込まれた。人を避けている内に彼は災害の発生場所に辿り着いてしまっていたのだ。歩く気力も尽き路地裏のコンクリート壁に凭れ掛かる様に座り込んだ。
辺りからは災害が近づいて来ている。異形の化け物たちがやって来る。
(此処で・・・。)
リンドウの頭には漠然ととある事が思い浮かんでいた。生きる気力さえ尽きていたリンドウには、逃げ出そうという考えさえ浮かんで来なかった。
ただ、死が近づいて来る。リンドウはそれを受け入れようとした。
しかし、それが新たな出会いへと繋がった。
「助けに来るのが遅れて・・・ごめんね。」
次の瞬間には災害が目では捉えきれない速さで切り刻まれていた。バラバラと崩れ去り粒子となり飽和する。残酷な世界で場違いな美しさがあった。
その声色はとても優しいものだった戦闘の音が鳴り止まない戦場で、あの日のように劫火に包まれる街の一角で彼はシオンに拾われた。
◆ ◆ ◆
【side:シオン】
もし、運命というものがあるのならそれは決まった線路を通る一方通行の電車なのだろう。行き先は変わらず、定められた時刻に決まった道を通る。
だから、シオンは運命を信じない。散ってしまった命を運命だからの一言で片付けたくはないのだ。
「・・・っ。」
災害によって廃墟と化していた街を駆け抜けていく。原型すら留めていない家屋が前へと進む度に目に映り込む。凄惨な光景に思わず息を呑む。
ヒーローは遅れてやって来るという言葉があるが的を射た表現だろう。ヒーローがやって来た時には既に手遅れになっているのだから、それはその時点ですでに間に合っていない事を意味している。それはワルキューレたちにも同じ事が言える。
彼女たちに出来るのは災害を倒し、生存者を保護する事のみだ。根本的な解決には至らない、対処療法に過ぎない。
(・・・全てを助けられる何て甘い考えは持っていない、けれど・・・一人でも多く助けられるように全力を尽くさないと。)
今も各所から戦闘音が聞こえている。彼女たちは命を賭けて戦っているが全てを救える程の力は無い。
大災害によって齎された被害はとてつもなく大きなものだった。最上位ワルキューレに始まり、ワルキューレの多くが戦死、又は外傷による事実上の引退に追い込まれた。災害の出現数が一時的に減ったとはいえ、それに対応出来る程の数がいない。ワルキューレは簡単に補充出来る存在では無い。人員が足りていないのだ。
こうしてシオンが担当エリア外にまで派遣されているのも人手不足が要因としてある。
(この災害たち、何処かに向かっている?)
街を破壊する災害を斬る。その過程でシオンはある事に気がついた。本来であれば目につくもの全てを壊そうとする災害が何処かへと向かってるいるようだった。全ての個体がそうでは無い。何体かに一体、不自然に何かに引き寄せられていた。
少なくともこの瞬間においてシオンの行動は身を結んだ。彼女は偶然を手繰り寄せた。
街の路地裏、本来であれば人気の少ない場所に複数の災害が群がっていた。あと数秒遅れていればこの子の命は失われていただろう。
(間に合った・・・!)
そうしてシオンはリンドウに出会った。見た目は驚くほど容姿の整った少女、汚れた服を身に纏っておりアンバランスだ。
こんなに悲しみに溢れた場所で、思わず息を呑むほど綺麗な瞳をみた。その瞳を見た事があるような気がした。
しかし、感情は直ぐに別のものに塗り替えられた。
(・・・この子も。)
そこにあったのは何もかもを諦めさせられた者の目だ。死に対する恐怖はなく、ただ、空っぽの人形のようであった。
災害は容易く全てを無茶苦茶に壊し、人生を蹂躙していく。瞳からは明日への希望を見出せず、小さな小さな迷子の子どもがそこにはいた。吹けば飛んでしまいそうな危うさを感じた。
過去の、いつかの自分を見ているようであった。何にも出来なかった無力で、守られる事しか出来なかった子どもがそこにはいた。あの時に抱いた感情はどんなものであっただっただろうか。災害に対する怒りだろうか、それとも悲しみだろうか。
何であれシオンは、全てをぐっと飲み込んでリンドウに声を掛けた。
「助けに来るのが遅れて・・・ごめんね。」
「・・・。」
返事は無かった。しかし、それでよかった。助けの手を伸ばすのはワルキューレとしてよりも、それ以上に己のエゴだ。傲慢に、身勝手に、シオンは救いの手を差し伸べると決めた。
今にも崩れ落ちてしまいそうな小さな身体を優しく抱き寄せる。
(・・・この子はまだ生きている。それだけで、十分。)
どうか自分と同じように、この子にも『次』を見つけられるようになって欲しいと思った。それがどれだけの歳月がかかる事であろうと。あの時の自分がそうして貰ったように。
シオンは運命の存在を信じたくはないが、この出会いは運命を感じるには十分過ぎるものであった。
◆ ◆ ◆
その後、災害の発生区域から彼を連れていき保護という形で共に生活をする事になった。
元々天威も災害により生まれた孤児を引き取るといった活動も行っている。災害区域での生き残りであればエーテルへの適性及び汚染区域での活動耐性がある事が多い。根本にあるのは善意だけではなく新たな兵士の徴兵・育成にあるけれど。
大災害から数年、まだ災害の爪痕は大きく、深く残っている。世界にも、人の心にも。
「此処が今日から貴方の家だよ。」
「・・・。」
「さ、上がって。」
保護したばかりの頃のリンドウに意思と呼べるものはまるで見られなかった。
ただ、リンドウと一緒に生活をしていく内にこれがリンドウなりの拒絶の一種なのだという事に気がついた。
誰かと縁を結ぶ事を恐れているのだと気づいた。
シオンには多くのワルキューレと出会う機会があった。その経験を元にシオンは精一杯の愛情でもってリンドウに根気強く接した。
家族となってから数ヶ月程経った頃、リンドウがシオンの名を初めて呼んだ時、シオンは胸がいっぱいになった。
もう大丈夫だとも、安心して欲しいともシオンは言えなかったけれど。きっと、その言葉を投げかけて欲しい人は自分ではないと思っているから。辛い経験をした人間に、もう大丈夫だと、どの面を下げて言うのだろうか。シオンは気軽にその言葉を言う事は出来なかった。
だから、これ以上辛い思いをさせないように守るのだと、シオンは硬く決意した。
数年の歳月を経て漸くリンドウは今のリンドウになった。それでも人付き合いを無意識に避けているようであるし、その根本に根付く恐怖を取り去る事は出来なかった。
天威に入隊させる事を決意したのは自分一人では解決する事が難しい問題であると分かったから。
もしかしたら、時間が全てを解決してくれるかもしれない。しかし、時間が待ってはくれないことも多々ある。
「リンドウ、・・・天威に入隊してみる気はない?」
自分がいなくなった時に、リンドウがその足で歩けるようになるには足りないものがあったから。
多少強引であっても、この選択がリンドウにマイナスの効果を及ぼす可能性があったとしても、シオンは決めた。
幸いにもリンドウには稀有なエーテル適性があった。ワルキューレとして戦う事に何の問題も無い。この荒療治がどのような影響を及ぼすかは、結果を見るまで分からない事だから。シオンは可能性に賭けた。
願わくばリンドウが新たな人生を掴めるように。