第一話 始動
暇つぶしになれば幸いです。
地響きと共に闇夜を蠢く無数の異形。数えるのも馬鹿らしくなるほどの大群が押し寄せる。
大地は至る所で大きく抉れ陥没している。それはまるで大きなスプーンで掘り起こしたかのようだ。従来の地形から逸脱しており、普通では有り得ない状況だ。
辺りには暗雲が立ち込め、暗闇の中で炎が映える。もし世界の終わりがあるとするのならこんな光景になるのだろうか。まるで天災だ。
そこにあるのは紛れもない地獄だった。
漆黒を体現した怪物が数え切れないほど存在している。それは大地を、空を進み行軍を続けている。戦火は広がり続けていく。
それに抗う者たちがいた。数多の怪物と対峙し戦う者たちがそこにはいる。
人の身体を優に超える体躯を有している怪物と正面から戦い拮抗している。
これは人類と怪物の戦争だ。
「足を止めるな!此処で一匹でも多く仕留めろ!」
戦場では部隊の隊長だろう人物が声を張り上げ指示を出している。
彼女たちは普通の人間には出来ない速さ、力で怪物と渡り合う。怪物たちの歩みが止まった。否、彼女たちによってその歩みを止めさせられたのだ。
各々の得意とする武器で怪物と対峙する。放った斬撃が身体の一部を斬り落とし、追い討ちをかけるように銃撃した。
一体、また一体と討ち倒す。しかし、怪物の数は減らない。倒したそばからそれ以上の数が次から次へと襲いかかってくる。
「隊長!キリがありません!」
「ちっ、これほどの数が一体どうやって。」
「陣形を崩すな!一秒でも多く時間を稼げ!ここが我々の死に場所だ!」
しかし、怪物の数は戦う者たちの数より遥かに多い。どれだけ卓越した技量を誇っていたとしても数に勝つのは難しい。加えて怪物たちが疲労を感じているのかすら怪しい。
戦力が拮抗してしまった時点で人類の不利が確定しているのだ。
「下を向くな!前を向け!一匹でも多く道連れにしろ!」
「・・・はいっ、隊長!」
時間が経つほど動きは鈍くなっていく。部隊の隊長だろう人物が声を張り上げ鼓舞しているが気合いだけで乗り越えられるものではない。疲労は積み上がっていく。
一手、たった一手のミスで戦線は容易く崩壊する。
「あッ、ぐぅぅッ。」
「ーーーッ!」
攻撃を防ぎきれず隊員の一人が負傷した。死んではいない、しかしこれ以上戦える傷では無かった。たった十数分の死闘、それだけの時間でこの戦場の趨勢は決まってしまった。
他の戦場でも同じように人類側が押されている。まるで終わりのない怪物の行軍になす術は無かった。
彼女たちは決して弱くはない。寧ろ強き者たちだった。
これ程の数の怪物が現れたことは、これまで無かった。何もかもがイレギュラーであった。
これはこれまでの災害を超えた、大災害であった。
一つが崩れればドミノのように連鎖して倒れていく。湧き出るように現れる怪物に蹂躙されていく。
「たい、っちょう・・・。わたしの事は、いいです。まもる必要は、ありません。」
「・・・すまない。」
「あやまらないで、ください。・・・勝って、必ず。」
部隊を指揮していた者は直ぐに陣形を変えた。
「人類は必ず勝利を手にする。・・・どれだけの犠牲を払おうともだ。」
このままでは全てが漆黒に呑まれて塗り潰されていく事だろう。このままであったなら。
戦場の暗闇を駆け抜ける流星が一条。
凄まじい勢いで飛翔した矢が目前で砕け散った。
「高みの見物かしら、一人だと寂しいでしょ?こっちに来て貴女も一緒に踊りましょう。」
「・・・効いていない。でも想定内よ、これより交戦を開始する。我ら天威に勝利を。」
月光の輝きに照らされ運命の一戦が始まろうとしていた。
これは災害と呼ばれる怪物とそれに抗う人類の物語。
◆ ◆ ◆
【side.リンドウ】
「・・・ゥ。」
誰かの声がする。意識が少しづつ浮上していく。
「リンドウ、・・・そろそろ起きる時間だよ。」
優しげな声が聞こえる。聞き慣れた声だ。重力に抗うのも難しいほどの身体の重さを感じながら彼は目を開ける。
そこには長い金髪をたなびかせた女性がその青眼でこちらをみつめていた。
「シオン・・・隊長・・・?」
「リンドウ・・・焦る必要はないよ。今はまだ訓練の時間、本番でこうだったら困るけど。・・・そうならない為の訓練だからね。」
リンドウと呼ばれた青年は一見すると少女と見間違えてしまいそうな見た目だ。黒髪にメッシュのように一房だけ銀髪が混じるショートの髪は土で汚れている。傍には大剣が転がっている。
リンドウは潔く現状を認識した。訓練の途中でどうやら気を失っていたようだ。
目の前にいる彼女はリンドウが今所属している隊の隊長であるシオン。加えて、家を失っていたリンドウを引き取った人でもある。
(疲れで、倒れていたみたいだ。・・・まだまだ足りないな。)
リンドウは先程までしていた訓練を思い起こす。決して無茶な訓練ではないが評価するなら"辛い"が妥当だろう。ひたすらに打ち合い限界まで続けるそれは逆に非効率的と言えるかもしれない。とはいえ、これもまた必要な訓練であった。
戦場において疲れたからストップなどという道理は通用しない。自身の限界を知り、それを仲間が知り、共に戦う。何よりも生存率を上げる為の訓練だ。
「立ち上がれるかい。」
「・・・もう一度。」
「もっと力を抜いて、余り力み過ぎてはいけないよリンドウ。」
リンドウは服についた土を払いながら急いで立ち上がる。それを見てシオンが再び武器を構える。彼らの周囲からは武器のぶつかり合う音が聞こえて来る。他の隊員もまた各々の特訓をしている。
リンドウは自分だけが休んでいる訳にはいかないと思った。
暖かい日差しに似合わない物騒な剣のぶつかり合う音が再び響き始める。訓練は再開された。
◆ ◆ ◆
時は遡り、訓練が行われていた数刻前。
リンドウは教室へと案内されていた。リンドウにとって今日が新しい部隊に配属され、他の隊員との初めての顔合わせだ。
ここでは災害と呼ばれる怪物と戦えるように適性のある者を育成し、隊で一丸となって戦う為の機関だ。
それぞれの地域には支部があり、災害への対応をしている。
部屋には6人の人物が集まっている。見た目に目を瞑ればリンドウ一人だけが男性であり他の5人は女性だ。若干の場違いを感じなくもない。とはいえ、このアウェーな環境の中でもリンドウにはどこ拭く風のようだ。いっそ無関心と言えるほどに。その姿は人付き合いを求めていないように見える。
「今日から新しく一人仲間が増えるんだ。先に自己紹介をしてもらおうか、リンドウ。」
そう言って教壇に立つシオンはリンドウに視線を寄越す。リンドウはその視線を受け椅子から立ち上がり"自己紹介"をする。
「・・・リンドウです、よろしく。」
「それだけ・・・・・・?はぁ、リンドウは見ての通りちょっとだけ人見知りなんだ、・・・どうか仲良くしてあげて欲しい。」
(何か足りなかったのだろうか・・・?)
顔色一つ変えずに簡素な自己紹介を終わらせたリンドウに視線が集まる。シオンはため息を吐きながら呆れているようだ。その視線を受けてもリンドウは堪えた様子はない。ただ、シオンの様子を見て至らない部分があったのだろうかと考えた。
尤もリンドウの自己紹介を聞いたシオンは、やっぱりといった感じで予想がある程度ついていたようであったが。
「貴方たちにも自己紹介をお願いしようか。」
シオンはリンドウ以外の隊員に目配せをした。簡素というより事故を疑うようなリンドウの自己紹介を流し、これもしょうがない事だと他の隊員にバトンを渡した。
「はいはーい!ユリだよ!困った事があったらお姉ちゃんを頼ってね!困り事が無くてもお話しようね!リンドウ!!」
(子供・・・・・・?)
そう言って最初に立ち上がったのはこの教室で一番小柄で幼い少女だった。立った衝撃で椅子が倒れたがお構い無しだ。胸を張るようにしてお姉ちゃんアピールをするが見た目だけで判断するなら姉というより妹である。
リンドウもそうだがユリと名乗った少女も場違い感が否めない。明らかに"戦う者"にはまるで見えないからだ。
流石のリンドウも唐突な開幕姉宣言には困ったのかシオンの方を見る。シオンはまた別の意味でため息を吐いた。
「ユリは私の隊の隊員というより預かり子のようなものなんだ・・・。スノ・・・いえ、支部長から頼まれて預かっているの。」
普段はここまでのぶっ飛び具合じゃ・・・いや、こんな感じだろうかとシオンも困惑気味だ。どうやらユリは誰に対しても姉を名乗っている訳ではないようだ。何かがユリの琴線に触れたのだろうか。
リンドウとユリの似ている点を上げるとするなら髪が銀髪であるというくらいだろう。尤もリンドウの方は髪の一房がメッシュになっている程度でやはり共通点は無いと言える。
(・・・会った事は、多分無い。)
ユリを見て思い出してもみたがやはり思い当たる節は無かった。リンドウには姉のような人物がいるが少なくともユリでは無い事は確かであった。
何とも言えない空気の中で声を上げる者がいた。
「あはは・・・、ユリちゃんはいつも元気だね。えっと、・・・わたしはカルミア。戦うのはあんまり得意じゃないけど・・・これから一緒に頑張ろうね。」
ユリの後だと普通過ぎる自己紹介だろう。カルミアは控えめな性格のようで遠慮がちに自己紹介をした。
そこにざっくばらんとした横槍が刺さる。
「あたしはエリカ、よろしくする気はないわ。お友達ごっこがしたいなら他の人とやって頂戴。」
その鋭い視線からは刺々しい印象を受ける。エリカはリンドウとは別の意味で人付き合いを必要としていないようだ。
シオンがエリカに視線を送るがエリカは視線を逸らしてあらぬ方向を見た。それを見てシオンは複雑な表情をした。怒りを見せている訳では無く、それとは別の感情に見えた。
リンドウはそのエリカの態度をどちらかと言えば好ましく思った。人付き合いがどうしてか苦手なリンドウには彼女くらいの距離感が良いと考えているようだ。
「・・・よろしく。」
最後に至っては自己紹介ですらないが、リンドウはそれを気にした様子を見せない。寧ろもっと別のことに考えが及んでいるようだった。
シオンが彼女、ルビアの自己紹介のようなものを聞いてリンドウに問いかけた。
「そういえばルビアとリンドウは知り合いだったようだね。」
シオンの視線からはよく似た自己紹介をした二人を見比べてどこか納得しているようであった。
「・・・同じ孤児院で、生活していた。」
「そう、ならもし分からない事があっても聞く相手には困らなそうだね。」
少しだけ強張った身体をほぐした。リンドウはルビアの事を知っている。それに自分と同じように口数が少ない事もよく知っていた。
とはいえ、こうしてルビアに会うのは実に数年ぶりの事であった。その変わっていない、変わらなすぎる姿にリンドウは心の中で小さく安堵もしていた。
「自己紹介はこれで一通り出来たね。暫くはこのメンバーで任務に出る事になるだろうから・・・仲良くしてとは言わないけれど、どうか気にかけてあげてほしい。」
少しばかり前途多難そうな未来を想像してシオンは小さくため息を吐いた。
◆ ◆ ◆
【講義室】
場面は変わって室内へと戻る。教室にはまばらに人が座っており、視線が資料とスクリーンを行ったり来たりしている。大きな教室ではあるものの空いた空席が多いように見える。
教室にはリンドウに加えて支部に所属している他の人も講義を聴きに来ているようであった。
教壇に立つのは隊長である彼女、シオンだ。
「私たちの所属する『天威』の成り立ち、最大の敵である『災害』についておさらいしようか。」
シオンが口にしたのは天威の歴史だ。
『 世界に突如として現れた怪物、それは唐突に発生する自然災害のように生きる人々を蹂躙した。人類の紡いできた文明を踏み躙るように破壊していった。
殺されるのをただ待つ者はいない。人類は持てる力の全てで抵抗した。
しかし、人類の生み出した数々の兵器は怪物には効果が薄く倒し切るには有効打足り得なかった。
どこからやって来るのかも、目的が何であるのかも、どのように生まれたのかさえ分からない怪物たちによって人類は劣勢に立たされていた。
暗雲が立ち込める中、希望の光が差す。神は人類を見捨ててはいなかった。怪物たちに抗う力を持つ者たちが現れたのだ。彼女たちはあれほど人類が苦戦していた怪物をその身で倒せる力を有していた。
そして、怪物に対抗し得る力を持つ者たちを束ねる組織が表舞台に現れたのだ。
その組織の名は『天威』。
天の威光は我らが元にあると声高々に謳いその存在をあらわにした。そして、戦う者たちが皆女性であった事から『ワルキューレ』と呼称される事となる。それが今からおよそ数百年も前の話である。
しかし、事はそう簡単には進まない。今尚、ワルキューレたちが戦っている事が現状を物語っている。
人類の力を超える力で怪物を次々と倒していったワルキューレであったが全てを倒し切るには至らなかった。
怪物との交戦の月日が繰り返され、終わる事のない怪物の誕生は一般人にとって余計な不安になるとして秘匿される事となる。
そして、怪物によって引き起こされた被害の規模から怪物の呼称を『災害』とした。
天威は人類の守護者であり、最後の砦。災害を乗り越える事を目的とした組織だ。
そして現在より十数年前。人類にとっての大きな転機が訪れる。
災害の統率者、のちに『使徒』と呼称される怪物が顕現したのだ。この戦いで前代の天威の長や最高戦力と謳われていたワルキューレが戦死している。
使徒の討伐は苛烈を極めたが多くの犠牲を払いながら人類はこれを辛くも討伐した。
被害は人類の想定を大きく上回るものであったため、この使徒の襲来を『大災害』と位置づけた。
使徒の討伐後も災害は現れ、災害と人類の終わりの見えない戦いは今もまだ続いている。』
「・・・というのが、ワルキューレの歴史であり成り立ちだね。」
淡々とシオンが天威の歴史を語った。話を纏めるならこうだろう。
『人類と敵対する災害と呼ばれる怪物がおり、それと戦う者をワルキューレと呼び、所属する組織が天威だ。』
リンドウはこの事に関して以前聞いていた内容と変わりないと再確認した。
「ワルキューレはエーテルと呼ばれる特殊なエネルギーを生成し操る事で災害と戦える。この力があるからこそ私たちワルキューレは災害と同じ土俵に立てるんだ。」
(・・・エーテル。どうして私にも扱えるんだろう。)
リンドウは自身の手を見つめた。リンドウもまたこの不思議な力であるエーテルを扱えるからこそこの場にいる。
他の人と違う点はリンドウが男であるという事だ。
災害との長い歴史の中でエーテルに関する研究が続けられているが謎は未だに多く残っているらしい。加えてエーテルに関連する情報は天威によって厳密に管理され、詳しい内容については特別な階級の者にしか開示されていないそうだ。
「逆に言えばエーテルに適応出来なければワルキューレとして災害と戦う事が難しくなるんだ。」
それについては皆んな良く理解しているだろうけれどとシオンは繋げた。
災害には銃器などの対人を想定していた武装では効果が薄い。シオンの言うようにエーテルという特殊な力が扱えて初めて災害と張り合える。
「ただ、エーテルへの適性がある事が良い事であるかは分からないけれど・・・。」
戦う力を持ってしまったが故に戦場に駆り出されるのと、戦う力が無い故にワルキューレの勝利を祈って待ち続けるのとではどちらがましなのかは悩む問題だろう。
もしかしたら、一番辛いのは戦いたくても戦う力を持たない者なのかもしれないが。
「ワルキューレは階級分けがされている。下位から最上位までの四段階だね・・・これはあくまで目安でしかないけれど。」
下位は見習い程度で上位以上のワルキューレが同行しなければ任務には出られない、中位からはその制限がなくなり、最上位に至っては単独での任務を任される事もあるそうだ。
もっとも最上位にまで上り詰めたワルキューレの数は片手で数えられる程に少なく、その位に辿り着く事の難しさを物語っている。
最上位のワルキューレはまさしく一騎当千であり英雄と言っても差し支えないだろう。
「上位の位になるほど危険な任務に配属される事が多くなる。天威は災害に対抗する為の組織として最も大きいけれど、それでも世界各地で発生する災害被害をカバーするには人手が足りない。」
要するに力をつける程に忙しくなるという事だ。持て余せるほどに戦力は余っておらず災害も待ってはくれない。であれば力のある者に負担が集中するのも自然な道理だ。
「目下、災害とは別に注意を向ける必要のある事がある。それが『リベリオン』と呼称される組織だね。」
(・・・・・・?)
その話を聞いてリンドウは疑問に思った。そのような組織がいる事自体初めて耳にした事であったし、その組織が天威と争ってどんな利益があるのかまるで理解出来なかったからだ。
こちらに関しては開示されている情報が少ないのだけれど、と前置きをしてシオンは続ける。
「任務先で対象組織からワルキューレへの妨害行為が確認されている。ただ、天威からは相対時の交戦許可が出されているくらいで明確に探し出して捕縛といった指令は出されていないね。」
それこそ手を出せない理由が無ければ不自然なほどに天威はリベリオンに対して無関心である。
「その、なぜ天威はリベリオンを積極的に探そうとしないのですか?明らかに敵対していますよね・・・?」
(・・・確かに、普通なら放置なんてしないと思うけど。)
教室から質問の声があがる。確かにシオンの話に対してその疑問は正しいものだ。明確に敵対しているという割にどこか対応がちぐはぐといえるだろう。
リンドウは天威に所属してからそれ程時間が経っているとは言えない為、現状に対して正しい認識が出来ているかの問題があると前置きするが、天威という組織は世界を統べていると言っても過言ではない巨大組織である。人類の守護者としての確固たる地位を持っている。それほどの戦力を有していながら天威はリベリオンを排除しようとしていない。
明らかに不自然な点しかないだろう。
「・・・どうだろうね。もしかしたら、リベリオンに関わっていられるほど時間も労力も無いのかもしれない。それとも、災害に注力して欲しいのかもしれない。」
リベリオンを倒してはいけない理由があるのか、それとも眼中にすらないのか。シオンにしてみればその辺りの事は考えるに値しないとばっさりと切り捨てているようだった。
「リベリオンの排除に積極的でないとはいえ、戦場で会えば敵である事に間違いはないよ。天威としてはそれで十分という判断のようだね。」
情報端末にリベリオンに関するデータがまとめてあるから各自確認しておいて頂戴と、これ以上の詳しい説明をシオンはする気がないようだ。それともこれ以上の説明を出来ないのかもしれない。
質問の声があがったからか、おずおずといった様子で他のワルキューレが手を上げた。
「その・・・、リンドウ隊員は男性なのに戦えるのでしょうか・・・?」
「ワルキューレの殆どは女性だから、そう思うのも無理はないね。」
リンドウがこの支部にやって来ている事を知っていた人物がいたようだ。この事は極秘でもないので隠されていた訳ではないが。
ワルキューレであれば当然の疑問だろう。ワルキューレの名前の通りに戦っている者は女性だ。リンドウのように男性でありながら戦う力を持つ存在に興味を引かれるのは仕方のない事である。
言葉通りの質問であれば何処も可笑しくはない。しかし、この少女の声色の中には懐疑の色が多分に含まれていた。
男でありながらワルキューレとしてこの場にいるリンドウに対する不信感が暗に見え隠れしている。
シオンはこれも想定内だと言った感じですらすらと答えた。
「リンドウのような例外がこれまでの歴史の中でいなかった訳じゃないよ・・・今から十数年前、『使徒』が現れた当時のワルキューレの中にはシグルドと呼ばれた男性のワルキューレが最前線で戦っていた。」
(・・・シグルド、男性でありながらエーテルを扱えた人。そんな人がいたんだ。)
男性でありながらエーテルを操れる者は確かに過去にも存在していたのだ。ただし、限りなく少ないと前置きがつくが。
つまりリンドウは前例の無い存在ではないのだ。
「それに一代前の天威の長は男性であり、ワルキューレとして戦場にも立っていた。」
男性のワルキューレは圧倒的に数が少ないがゼロではないのだ。彼等は確かにワルキューレとして共に戦っていた。
ただ、それらの事実はシオンにとっては考慮すべき部分ではないようだった。
「私たちワルキューレにとって必要なのは戦う力の有無だけ。それさえあれば性別がどうかなんて些細な違いだと・・・私は考えているよ。」
「・・・回答有難うございます。」
「疑問が解消されたのならよかった。」
リンドウがこうして所属した、このルースト支部は所謂"掃き溜め"と影で呼ばれている。組織に従順でない者、和を乱す者、戦えなくなった者、集団行動が難しい者といったように軍隊としての在り方に合っていない者が集めらている。
例に漏れずシオンもまたそのような者の筆頭であった。
だからか、シオンは大抵の物事に寛容的である。誰にだって譲れないものや欠点の一つや二つあるものだ。それを揶揄して一体何の得があるのだと。
それが尚更に性別のような本人の意思で容易く変えられるものでないのなら尚更だ。
少しだけ変わった雰囲気の中で生真面目そうな人が手をあげた。
「語られた内容についてではないのですが、此処は他の支部と違ってどちらかというと学校・・・のような指導をされているのですね。」
「そうだね、・・・此処に来た子たちは今まで居た支部との違いに驚く事も多いのは確かだね。天威のスタンダードな教えとは逸れている。ただ、それがこの支部の意義でもあるんだ。」
天威に所属するワルキューレは駒として扱われる。作戦を遂行する為の駒だ。災害という厄災を押し留める為のもの。安全策をどれだけ練ろうとも犠牲は出てくる。天威の規則は軍隊と何ら変わらず、過酷な作戦故に少女たちはその過程で命を落とす事もある。
それをワルキューレたちは許容する。それは彼女たちの境遇に関わる事だ。
何らかの理由があってエーテルに対する稀有な適性を見出された者以外には、災害によって住んでいた場所を、家族を、友人を失った者が救助され天威に辿り着く事となる。
そういった者たちは災害に対して強い憎しみを持っている。それこそ、自身の命を顧みないほどに。
「多くのワルキューレが自身の死を厭わない。彼女たちには守りたかった者も、共に生きたいと思った者も、・・・もういないのだから。」
彼女たちは駒として扱われようと気になどしないのだ。それで災害を滅する事さえできれば構わないと。その命を容易く投げ出してしまう。
だけど、とシオンは続ける。
「だけど、全てが終わってしまったみたいに日々を過ごすのは違うと私は思っているんだ。」
シオンは別にその生き方を否定したい訳ではなかった。ただ、他の生き方を知って、その上で自分の人生というものを掴んで欲しいと願っているだけで。
シオンはこの場にいる隊員たちを見ているようでその先にある何か、或いは過去を見ているようだった。
「この支部に集められたワルキューレの多くが何らかの事情を抱えている。ただ、それと同時に貴方たちには考える時間が与えられたんだ。」
生き急ぐ必要は無いとシオンは語った。
シオンの声が教室に静かにそれでいて強く響いた。それは天威という組織としては不適切で推奨される事はない考えだ。"それ"がシオンがこの場所にいる理由でもあるが。
リンドウには生きていたいと思える理由がどうしても見つけられなかった。シオンの言葉を受け取れなかった。
リンドウの家族と呼べる存在はもうおらず、その空白がじわりじわりと蝕んでいた。殆ど思い出せもしないというのに、言葉に出来ない感情がいつだって纏わりついていた。
ただ、彷徨い歩いていたリンドウの手を取ってくれたシオンがいるからこそ今がある。シオンが生きろと言うのならリンドウは生きようと努力するだろう。それくらいの恩は感じていた。
「それに、貴方たちがこの現状を少しでも変えたいと思うなら、少しでも長く生きようと足掻いて欲しい。」
他の支部では得られないロスタイム。駒として消費されるだけだった道から逸れた脇道。この支部に集められた者たちはどうであれ選択肢を見つける為の時間を得られた。
「災害が憎いならそれでもいいんだ・・・ただ、これだけは覚えておいて欲しい。今を生きている人間だけが、欲しい未来を見つけられるのだから。」
授業の終わりを知らせるチャイムが静かに響いた。