髪結師は眠り姫の誤解を解きたい
ヒーロー視点です。最後にヒロイン視点が少しあります。
「ねえ、髪結師さん?今日はどんな髪型にしてくださるの?」
レティシアは無邪気に振り返り、カミーユを見つめる。
「今日は、全体を軽く巻いて、耳上の髪は編み込んでまとめてみようかと思います」
敢えて敬語を使わなければ、ずるずると素の自分が出てきてしまいそうだ。
「まあ!うれしいわ!私が巻いてみたいと言ったから、考えてくださったの?」
輝く笑顔を見せる彼女に、カミーユは必死に表情を引き締める。
「貴女の髪でできるかどうかは、試してみないとわかりませんが、できると思います。熱を加えて巻きますので、あまり動かないでくださいね」
「わかったわ。じっとしています」
レティシアはカミーユに背を向け、椅子に座り直した。この時だけは、少し気を緩めることができた。
彼女の心のような、明るく真っ直ぐな髪に触れるときだけは。カミーユはようやく、素直に顔を綻ばせた。
自室に戻り、へなへなと椅子に座り込むカミーユを、従者のシリルが冷ややかに見つめた。
「殿下」
「うん、わかってる。僕が全部悪い。だから、そんな目で見ないで」
情けなく顔を覆った主人に、シリルは大きなため息をついた。
「もう半年になりますよ」
「うん」
「婚約したのに半年も顔を見せない、不誠実な婚約者だと思われてますよ」
「うん」
「今日こそはと言って、何回言えずに来たんですか。もう限界ですよ。流石に温厚な公爵もお怒りでしょう。彼女だって、こんな婚約者は婚約破棄したいと思うんじゃないですかね?」
「やめてくれ……婚約破棄なんて嫌だ」
出会いからやり直したい……!
カミーユの切実な願いである。
***
カミーユとレティシアの婚約が整ったのは半年ほど前。完全なる政略結婚だ。
主に薬や植物の研究をしているカミーユは、それなりに研究の場では活躍している。表に出ない故に、カミーユは変わり者の第三王子と揶揄されることが多い。自身は気にしないが、相手の女性はどうなのだろうと気になっていた。
婚約者となって初めて挨拶に向かったとき、カミーユが公爵家に着くと、何やら慌しかった。
どうやら婚約者のレティシアが自室で眠ってしまったらしい。一度寝るとなかなか起きない性質らしく、汗をかきかき謝罪する公爵に、彼の日頃の苦労が垣間見えた。
婚約者殿はどうやらのんびりした人のようで、カミーユは少し安心した。同じくのんびり屋と言われるカミーユとは、相性がいいかもしれない。
せめて顔を見ていくかと聞かれ、婚約者とはいえ淑女の部屋を覗くのはどうかと思い、カミーユは一度は遠慮した。しかし公爵の下がった眉と自身の好奇心に負けて、少しだけ覗かせてもらうことにした。
彼女はまるでお伽話のお姫様のように、ソファで無防備に眠っていた。
一枚の絵画のようで見惚れていると、その手に握られたものに気がついた。カミーユはシリルの制止を無視して中に入り、刺繍道具をそっと取り上げた。手にしていた針は布に刺さっている状態だったが、何かの拍子に刺してしまうと危ない。
カミーユは安堵して、ふとレティシアに目を移した。
はちみつ色の髪は窓からの光にきらきらと輝いていた。まるで陽の光そのもののようで、つい、手が伸びた。ひと房手に取ると、指からサラサラと零れ落ちる。
目が合った。
金の睫毛に縁取られた、紫水晶。
カミーユは慌てて後ずさり、尻餅をついた。
「大丈夫?それから、あなたは誰?」
鈴を転がすような声はこのことかと、頭のどこかでカミーユは思う。
「わ、私は、かみゅ、い……」
思い切り噛んだ。
そのせいでカミーユを髪結の専門家だと誤解した彼女の、あまりにもうれしそうに輝いたその顔を見て、カミーユは違うとは言い出せなかった。
後ろから感じた冷たい視線は気になっていたが。
妹の髪を結い慣れていてよかったと思ったのは初めてだった。ちょうど、出がけに使った道具がポケットに入っている。
カミーユはクリームを少し手に取り、レティシアの髪に馴染ませた。彼女の髪はサラサラでコシがない。これではただ結おうとしてもうまくいかないだろう。カミーユはレティシアの髪を結うのに集中した。
本当に簡単に編み込んでリボンで結んだだけの髪型を、彼女はとても喜んでくれた。その美しくも無邪気な笑顔に、カミーユはあっさりと恋に落ちた。
その日のうちに誤解を解いておけばよかったと、カミーユはのちに後悔した。
* * *
「カミーユお兄様?髪を結ってくださる?」
ドアの隙間から、妹のリュシエンヌがひょこりと顔を出した。
「リュシエンヌ。ドアはノックしてから開けるんだぞ。お前ももう6歳になるんだから」
つい緩んでしまう顔を引き締めながら、カミーユは彼女を抱き上げた。
「ごめんなさい。お兄さま。それで、今日はどんな髪型にしてくれるの?」
「そうだなあ。どうしたい?」
「このまえの、ふわふわがいいわ!」
「そうか、じゃあ、動かないでいられるか?」
「できるわ!」
「よし、それならやろう」
カミーユは幼い妹の金の髪を優しく撫でた。
リュシエンヌの髪は子どもらしくサラサラしていて、癖がつきにくく結いにくい。他の令嬢を見て自分もしてみたいと言い出した髪型は、彼女の髪質ではなかなか難しかった。
それを聞いたカミーユは、研究者らしいこだわりで様々なものを試し、ついに髪につけるクリームを作り出した。それを馴染ませてからであれば、ある程度髪に摩擦が生まれてまとまりやすくなるのだ。
レティシアに巻き髪にしてみたいと言われた時には、カミーユは研究そっちのけで考えた。巻いて時間をおくだけではすぐに取れてしまう。
リュシエンヌは喜んで協力してくれた。その結果、カミーユは髪を保護しつつ、熱したコテで巻く方法を編み出した。リュシエンヌには頭が上がらなくなった。
その昼夜の努力を見ていたシリルには、努力の方向性が間違っていると言われたが。
それでも、カミーユはレティシアの願いを叶えてあげたかった。他ならぬ自分にしかできないのであれば、尚更。
レティシアからの手紙はうれしかった。カミーユはその柔らかな筆跡や、彼女らしい素直な文章に癒された。しかし読み終えると、返事を書くのが憂鬱になった。
書きたいことを書くわけにはいかない。レティシアの悩みを知っていることも、本当は素のままの彼女の髪も素敵であることも、彼女への気持ちも。
結局、カミーユはいつも、気候と健康のことしか書かれていない薄っぺらな返事を書いた。せめてその字に想いがこもるように、丁寧に。
本当のことは自分で言わせて欲しいと、公爵家の方々にもレティシアを騙すようなことをさせてしまって心苦しかった。
しかし、もし、嘘をついていることを許されなかったら。王子である自分との結婚は断れないとしても、彼女の心は手に入らないだろうと思うと、勇気が出なかった。
こんな自分に嫌気が差す。次こそは、きちんと告げなければ。
カミーユは決意した。
* * *
「ねえ、髪結師さん」
どう切り出そうか迷っているうちに、レティシアがいつものように椅子に座ってしまった。その美しい髪を梳かしながら自分の鼓動の音を聞いていると、彼女が言った。
「あなたは、他の方の髪も結うの?」
「は……?」
カミーユはポカンとした。レティシア以外の髪を結うのは、妹だけだ。それがどうしたのだろう。
「あのね、私、私は……」
レティシアが勢いよくこちらを向いたので、カミーユは慌てて櫛をポケットに入れた。
立ち上がったレティシアに真っ直ぐに見つめられ、ごくりと喉が鳴る。
「私は、あなたのことをお慕いしています」
体が揺れるほどの衝撃だった。レティシアはカミーユの心臓の限界を試そうとしているのではなかろうか。
カミーユの頭は大混乱だ。ものすごくうれしい。飛び上がりたい。しかし、今の自分はカミーユではなくて。
「ですが、私は第三王子殿下の婚約者です。ですから……」
本当のことを言うのは今しかないと思い、カミーユは口を開いた。
「私を連れて逃げてください!」
カミーユはそのまま、再びポカンと口を開けた。
「と、言えたらいいのですけど……公爵家の娘として、そんなことはできませんし、あなたにそんな気はないことは、わかっています。ですから……ですから……」
びっくり箱のように飛び出してくるレティシアの言葉に、カミーユの頭はついていけない。
そして。
「きっぱりと振っていただけませんか? 今日で、髪を結ってもらうのも最後にします。とてもお世話になっていたのに、急にごめんなさい」
輝くばかりの笑顔を浮かべたレティシア。
その目尻から溢れたひと筋の涙を見て、カミーユは思わず、彼女を抱き寄せた。
彼女を傷つけたのは自分だ。カミーユはあまりの不甲斐なさに、自身を殴りつけたくなった。
「ごめん。僕がカミーユなんだ。君の、婚約者の」
衝動のままに謝り、真実を告げる。
「黙っていてごめん。本当に。君の気持ち、すごく嬉しい」
そこでカミーユは、はたと我に返った。遅れて、心臓がばくばくと暴れ出す。
当然ながら、リュシエンヌを抱きしめるのとは訳が違う。カミーユの鼻先に、はちみつ色の髪。甘い香りがする。顔がみるみる熱くなるのを感じる。
緩んだ腕の中で、レティシアが顔を上げた。潤んだ目に、また鼓動が跳ねる。
「カミーユ、殿下……?あなたが……」
「は、はい」
「では……私は、あなたに振られる必要はないの?」
上目遣いで見つめられ、カミーユは頭がくらくらした。倒れそうだ。
しかし、彼女を振るなんてありえない。
「振るなんて、無理だ」
カミーユは、レティシアの紫水晶の目をしっかりと見つめた。今、この想いを伝えなければ。
「レティシア。貴女が好きです。許されるなら、ずっと一緒にいさせて欲しい」
そして彼女に突きつけられた可愛らしい条件と、花咲くような可憐な笑顔に、カミーユはレティシアへの想いを更に深めたのだった。
公爵家の面々に王子らしからぬ謝罪をし、慌てさせた後。カミーユは城に帰って早速手紙を書いた。リュシエンヌのことを伝え忘れてしまったからだ。それから、次から次へと浮かぶ気持ちを書いているうちに、分厚い恋文ができてしまった。
「殿下。それ、読むの大変そうですが……本当に今すぐ届けさせるのですか?」
シリルが残念なものを見る目で言ったが、カミーユは蕩けるような笑顔だ。
「うん。悪いけど、手の空いた者がいればすぐにお願いしたい。彼女との約束に関わることなんだ」
「承知しました」
ため息混じりに言いつつ、シリルは幸せそうな主人を見て、ふっと口の端を上げた。
* * *
愛するレティシア
今朝別れたばかりだというのに、もう君に逢いたくなってしまった。君への手紙に、自分の本心を書ける幸せを噛み締めているよ。
先ほど、他の女性の髪を触らないと約束したけれど、一つ言っておかなければいけないことがあったことを思い出したんだ。
妹のリュシエンヌの髪に触れることは、許してもらえるだろうか。彼女は今6歳で、君と同じ髪質に関する悩みを抱えている。約束をしたばかりなのに、本当に申し訳ないと思うけれど……。
もし許してもらえるならば、明日、城に来てもらえると嬉しい。お茶会をしよう。迎えにいくから、そのときに返事を聞かせてもらえるだろうか。
それから君の髪について、言っておきたいことがある。僕は君の、そのままのサラサラの髪がとても好きだよ。もちろんどんな髪型も似合うし、素敵だけれど。
それから……
「ああ、だめだわ!」
レティシアはたまらず、読んでいた手紙をベッドに裏返し、突っ伏した。
「カミーユ殿下がこんなに、情熱的な方だったなんて、知らなかったわ……だって、今朝お帰りになったばかりなのに、こんな……」
「真っ直ぐな方だとは思っていましたが、すごい量の手紙ですね」
「もう。みんな教えてくれないなんて。私だけが知らなかったなんて。ひどいわ」
この半年間、自分だけが蚊帳の外で一人騒いでいたようで、面白くない。
レティシアは頬を膨らませた。
「お嬢様が、あの日殿下がいらっしゃることをお忘れになって、しかも寝てしまって、さらに勘違いなさったのがそもそもの原因ですので」
「それは……そうなのだけれど。そうね。私が悪かったわ」
「ですが、よかったではないですか。そうでなかったら、ご結婚されてもこんなに深い愛情を感じられたかどうか、わかりませんよ?」
アンヌがいつもの無表情を少し緩めて言った。
「そう……そうね。そうかもしれないわ。では、がんばって続きを読むわね」
レティシアはそう言って、再び手紙と格闘した。顔から湯気が出そうで、ベッドに座っていてもちっとも眠くならなかった。
お読みいただきありがとうございました。
お話が唐突に降りてきたので、書いてみたくなりました。お楽しみいただけていたら幸いです。
応援してくださった方、ありがとうございました!