97話
古びたアパートの一室に無法魔女が一人。
金払いの良い上客に乗り換えたばかりで、多少散財するくらいでは財布が痛まなくなっていた。
「そうかからず、フィルツェ商業区はオーレアム・トリアが取り仕切ることになる……っと」
少女は札束を前にして笑みを浮かべる。
一月も掛からない……早ければ半月で勢力図が大きく書き変わると予想していた。
新進気鋭のシンジケート"オーレアム・トリア"は、過去に類を見ない早さで規模を拡大し続けている。
既に幾つかの組織が傘下に収まる決断を下しているほど。
フィルツェ商業区はガレット・デ・ロワとオーレアム・トリアによって完全に二分されている状況だ。
その裏でどのような闇が潜んでいようが関係ない。
彼女にとって大切なのは報酬の額であって、現状の倍額を提案してきた彼らは"良い人"に違いないのだ。
テーブルに並べられた豪勢な食事も高価な酒も、全て今の雇い主あってのこと。
裏社会において金は正義だ。
だが唯一気掛かりなのは、ガレット・デ・ロワの首領――アダムという男の存在だ。
少女も何年か裏社会で仕事を請け負って生きてきたが、あれほどまでに残忍な人間は一度も見たことがなかった。
――報復。
アダムに関する良い噂は聞かない。
彼と言葉を交わした人間の大半は、彼を畏れて言いなりになるという。
愚者級の無法魔女とはいえ、大きな組織を相手取るには力が不足している。
それでも悠々と構えていられるのは、さすがのガレット・デ・ロワもオーレアム・トリアとの全面戦争は避けるだろう……という楽観的な考えをしていたからだった。
怠惰にソファーの上で寝転がって食事をしていると、夜遅い時間にも関わらずチャイムが鳴る。
「ん、なんだよ……」
面倒そうに体を起こす。
そして、まだピザのデリバリーが来ていなかったことを思い出す。
「……おっそいな、文句付けて値切るか」
これだけ待たされたのだから多少は構わないだろう。
生身の人間では、魔女に脅されて抵抗できるはずもない。
こうして誤った判断をしてしまったのは、夜遅い時間だということと、彼女が大量に酒を飲んでいたせいだろう。
威勢良くドアを開けて声を上げようとして――。
「――これで三人目」
状況の整理が追い付く前に、銃弾が何発も撃ち込まれた。
手で触れられるような距離にいる。
これだけ近付いてしまえば、愚者級の魔女では魔法を使うことさえ許されない。
「通信士? 片付けた」
『――了解。回収班を向かわせる』
通信を切ると、クロガネは部屋の中を見回す。
報酬が弾んで浮かれていたのだろう。
とはいえ、さすがに警戒心の欠片もない素人同然の動きでドアを開けるとは予想もできなかった。
基本的に魔女は一つの能力しか持たない。
殺しを生業とする無法魔女の大半は攻撃系の能力であるため、他の部分は生身の人間と同様に頭を使って補う必要がある。
クロガネのように多彩な能力を保有することは本来有り得ないことだ。
人知れず、迂闊な行動によって命を落とした無法魔女も少なくないのだろう。
「……」
今回は通信士が獲た情報をもとにクロガネが現場に向かい、あとは標的を仕留めるだけ。
あまりにも簡単な仕事だ。
一人でも探し出せないことはないだろう。
だが、ガレット・デ・ロワの情報収集能力は極めて高い。
こうして襲撃をするにしても、組織立って動くことによる利点は実感できていた。
それでも、どこかに所属するつもりはない。
この世界に自分の居場所を作りたいとは思えなかった。
◆◇◆◇◆
――フィルツェ商業区、三等市民居住区"D3"。
荒れ果てたスラム街。
元はそれなりに栄えていた繁華街のようで、廃墟同然に放置されたビルが幾つも立ち並んでいる。
空気も埃っぽく、風が吹く度に目を細めてしまう。
あまり長居はしたくない場所だ。
クロガネはアタッシュケースを地面に置いて、ロックを解除する。
中からマルチコプター式のドローンを取り出して安定した地面に設置する。
「指定座標に到着した」
『――了解。ドローンを起動する』
プロペラが回転を始め――勢い良く空に飛び上がる。
簡素な見た目に反して、予想の数倍は速度が出ているようだった。
「まだボイスチェンジャーを使う必要あるの?」
『あー……まあ、気分の問題ってことで』
ドローンが旋回を始める。
周囲の状況を細かく把握しているようだ。
『昨日までと違って、ここらはオーレアム・トリアがシマにしてる。不測の自体に備えてくれ』
フィルツェ商業を取り仕切っているのはガレット・デ・ロワだが、最近では幾つかの地域が奪われている。
中でもこの"D3"近辺は、オーレアム・トリアの構成員が度々出入りしているらしい。
――『探知』
クロガネも周囲を探る。
魔女に絞って広域を調べると、三つほど気になる反応があった。
手早く座標位置を送信する。
「魔女が三人……咎人級二人、愚者級一人」
『了解――対象座標を中心にレーダーを展開させる』
ドローンが座標位置に接近しつつ、四方に向けて大きな針のようなものを射出した。
『信号針の範囲内、一キロ四方の生命反応をレーダーに出せる』
「へえ……」
便利なものを持っている……と、クロガネは感心する。
見たところエーテルの気配は感じられない。
純粋な科学技術のみで生み出されたものなのだろう。
「魔法工学は取り入れないの?」
『これはこれでセンサー避けになる。今の時代に、こんな物好きなヤツなんて少ないからな』
エーテルを感知する機器は高価だが、使用されること自体は珍しくない。
特に政府機関の重要施設等には必ずと言っていいほど張り巡らされている。
また、MEDによる阻害を受けるリスクもあった。
魔法工学技術の発展した現代だからこそ、エーテルに頼らない科学技術が役立つ時もある。
『趣味も兼ねてるのは内緒ってことで』
「……そう」
クロガネ自身も魔力に頼った戦い方をしている。
対魔武器等も取り入れているが、純粋な科学技術のみの武器や装置はほとんど持っていない。
持ち運びには弾薬等を貯蔵している『倉庫』に入れる必要がある。
いざという時にMEDによって取り出せなくなってしまうのでは意味がないだろう。
ナイフの一本ぐらいは携帯すべきだろうか……と、考えながら移動を始める。
File:無人追跡機『A-6 multicopter』
マルチコプター式の追跡ドローン。
直径2センチ長さ20センチほどの信号針を四方に射出することで、精度の高い生命探知レーダーを範囲内に展開させる。
最高時速は140km。