93話
――エルバレーノ四番街、ガレット・デ・ロワ本拠地。
貧民区画の奥に、アダムの邸宅である洋館が立てられている。
周辺には生きる当てもない三等市民で溢れているが、彼らの大半は"アダムの慈悲"に期待して住み着いている。
彼らは使い捨ての駒だ。
準構成員にさえ任せられないような危険な仕事を斡旋し、生還できたなら報酬にありつける。
その中で見込みのある者はアダムから声をかけられたりするのだが、そもそも生還すること自体が極めて稀なことだった。
「縋るしかねえんだよな、コイツらも」
カルロは嘆息する。
もし構成員として迎えられたならば、三等市民として強いたげられる日々から脱却できるだろう。
彼らはそれのみを希望として生きるしかないのだ。
「掬い上げられた人間はいるの?」
「いるぜ、ここにな」
カルロは自分自身を指差して胸を張る。
今でこそ正規の構成員として迎えられているが、元はスラムで燻っていたらしい。
「幾つも仕事を引き受けて、その度に成果を挙げられるなら構成員入りも夢じゃない。まぁ、飢餓状態の素人にそれができるとは思えないけどな」
俺は運が良かっただけだ……と、カルロは言う。
本来であれば、十分な栄養も取れていない状態では危険な仕事から生還できるはずもない。
大半は使い潰されるだけで人生を終えてしまう。
素人向けの"簡単な仕事"とはいえ、当然ながら命の危険が伴っている。
あの残忍なアダムが身内以外をどう扱うかは想像に易い。
それでも唯一、この地獄から脱却する方法がこれなのだ。
無いに等しい希望でも、無いよりはマシだろう。
「ベルナッドはどうしてガレット・デ・ロワに?」
「あー……働いてた酒場が、ボスに反抗的な態度を取っていたみたいで……」
経営を圧迫するほどのみかじめ料に反発したのだと。
結果として店長は消息不明、店員たちも脱兎の如く逃げ出してしまった。
不幸なことに、直前まで連休を取っていたベルナッドには知らされることもなく――。
「ある日出勤したら、酒場がガールズバーに改装されてたんだ」
そして、偶然居合わせたアダムたちに捕まって受付係にされてしまった。
準構成員という立場で、組織管理下のバーに配置されている。
ストレスで胃薬を常用する生活になってしまったが、少なくとも『白兎亭』の中まで構成員が詰めに来るようなことはない。
稼ぎ自体は以前よりも上がっているから……と、この状況をなんとか受け入れているらしい。
組織内にも様々な人物がいる。
末端であればベルナッドのような境遇の者も少なくないのだろう。
だが、正規の構成員となれば、アダムに一目置かれるような才能の持ち主が集まっている。
まだ経験の浅いカルロでも、感心するような機転の利かせ方をすることもあった。
学ぶべきことが多い。
ガレット・デ・ロワと関わることは、クロガネ自身にとっても成長の良い機会となる。
「さて、と……ボスにどう報告したものか」
到着して、カルロは頭を悩ませつつドアノブに手を伸ばす。
そしてゆっくりと開け――内側から銃口が覗き出る。
「うおっ――」
驚くよりも先に、クロガネが横から蹴り飛ばしてカルロを射線から外す。
一息遅れて「バーン!」と男の声が聞こえた。
「……わざわざお出迎え?」
「気が緩んでねえかと思ってな」
ドアの奥からアダムが現れ、情けなく地面に転がっているカルロを足で小突く。
襲撃を退けて気が抜けていたのだろう。
アジトのドアに手を掛けた時点で、警戒心は完全に消え去っていた。
「常在戦場の心持ちでいるモンなんだがなぁ?」
「うっ……すみません、ボス」
気まずそうにカルロが立ち上がる。
こういった"試し方"を好んで、かつ相手を問わず行うのがアダムという男だ。
もしカルロを射線から外さなければ、クロガネに対する評価も下がっていたことだろう。
「躾は後回しだ。ベルナッド、裏にある"商品"を白兎亭に持っていけ」
「は、はいボス!」
ベルナッドは慌ただしく屋敷の裏に向かう。
一刻もはやく、このストレスだらけの場所から逃げ出したかったのだろう。
そんな小心者の背中を笑いながら眺め、ようやくアダムが銃をしまった。
「さぁて、仕事の話をしようじゃねえか。楽しくなるぞ?」
招き入れられ、屋敷の応接室に通される。
File:エルバレーノ四番街
フィルツェ商業区北西部に位置する街。
地域内格差が激しく、表通りから外れると治安の悪い貧民区画が広がっている。




