90話
――統一政府、■■■■中枢領域。
赤毛を揺らしながら、仮面の魔女――アグニが闊歩する。
この場所は社会全体における最重要機密が保管されている。
セキュリティに認められた管理者権限を持つ者のみが足を踏み入れられる場所だ。
「相変わらず、ここは肌寒いね」
独り言だ。
他には誰の姿もない。
コートのフロントボタンを閉め、小さく息を漏らす。
だが気温が低いわけではない。
馬鹿げたエーテル値を示す中枢領域は、凍てついた魔力を常に纏っている。
並みの人間では立ち入ることは出来ない。
セキュリティを解除して放置したとしても安全なくらいだ。
施設内は過剰なエーテル値による異常が度々観測されており、また、それを鎮静化させるだけの防衛システムも構築されている。
何者が生み出した施設なのかさえ、誰も知らずに維持されていた。
ただ一人を除いて。
厳重なロックが掛けられたドアに手を触れ――解除。
統一政府に名を連ねる者でさえ入室は許可されていない。
「……またコレクションが増えてるみたいだ」
細かな金網状の足場を歩く。
そこには巨大な空間が広がっており、上からワイヤーで吊られているだけの細い足場では心許ない。
見下ろせば、培養液に満たされたカプセルが無数にあった。
秩序立てて並べられたそれら全てに、部屋の中央に向けて配線が繋がれている。
『ようこそ――"管理者"アグニ』
無機質な声が響く。
彼女の前に、ホログラムによる映像が生成され――雪のように白い髪色をした少女が現れる。
一糸纏わぬ姿で足場に降り立ち、腕を広げて歓迎の意を見せた。
偽物の体でさえ途方もない魔力を有している。
彼女がこの場所にアグニを招いた。
『東部エデル炭鉱に異変が観測されました。また、同時刻に――』
世界情勢を詠う。
まるで全てを見渡して把握しているかのように。
だが、これは予定調和を確認するだけの単なる作業でしかない。
少女は次に、まだ起きてさえいない事件に言及していく。
その全てをアグニは聞き逃さないように記憶する。
『――以上です。お疲れ様でした』
語り終えると、ホログラムが解除される。
消え去ったわけではない。
この施設そのものが、彼女という存在を構成している本体なのだから。
制御中枢コンピューターに刻まれた文字列は――。
◆◇◆◇◆
クロガネが再び目を覚ましてから、事後整理のために真兎たちが呼び集められた。
依頼報酬の受け渡しもしなければならない。
そのためにホテルの一室を借りていた。
裏懺悔と待機していると、色差魔と屍姫が真兎を連れて入室する。
「あっ、クロガ――」
「クロガネ様っ!」
色差魔を押し退け、屍姫が駆け寄って抱き着く。
結局かなりの時間を回復に費やしてしまったようで、心配にさせていたらしい。
魔力は完全に回復して、体の方も万全の状態だ。
クロガネにとって久々の休息だった。
「本当は私がクロガネ様のお世話をしたかったんですが……」
その視線が裏懺悔に向けられると、彼女はわざとらしく「がるるる~」と威嚇するように唸ってみせた。
どうやら力量差を武器にして強引に追い払っていたらしい。
「みんなだっていい思いしてきたんだからさー。たまには裏懺悔ちゃんルートも進めなきゃダメだよ~?」
バランス取ってよねー、と裏懺悔が頬を膨らませる。
思い返してみれば、確かに今回の依頼を引き受けてからしばらく会っていなかった。
だがどうでもいいことだ……と、クロガネは嘆息する。
「……そろそろ本題に移して」
いつまでも雑談を眺めている暇はない。
クロガネは真兎に視線を向ける。
最終的に結因は命を落としてしまった。
依頼を完遂したと言い難いが、予想に反して真兎は晴れやかな顔をしていた。
「今回は、色々とありがとうございました!」
開口一番、真兎は深々と頭を下げてお礼をする。
迷いの一切ない顔付きだ。
彼女の中で、納得のいく形で終わりを迎えられたのだろう。
「……」
詳しい話を聞くつもりはない。
クロガネは引き受けた仕事をこなしたまでだ。
ここまである程度の面倒は見てきたが、同情していつまでも手を焼くつもりもない。
でなければ弱みを抱えてしまうことになる。
真兎は結因との別れを済ませ、家族の仇であるアモジを殺した。
過去の因縁は全て断たれたと言えるだろう。
今後は無法魔女として自力で生き延びなければならないが、この経験は精神面を大きく成長させたはずだ。
一等市民の殺害は重罪だ。
もし捕まれば、死刑など生温いほどの目に遭うかもしれない。
だが、幸いなことに東部エデル炭鉱にあった地下研究施設は戦闘の余波で壊滅した。
魔法省が手配書を出すにしても、恐らくは自分か裏懺悔あたりだろう……と考えていた。
クロガネにとっても、一等市民の殺害は無法魔女としての経歴に箔が付く。
嫌疑をかけられてもわざわざ否定するつもりはない。
全て片付いた。
無理して平然を装っていた真兎も、ようやく本心からの笑顔を見せられるようになっている。
「それで、今回のお礼がこちらです!」
約束通りのペンダントだ。
菱形の紫水晶が淡く光を帯びている。
物自体に価値があるわけではない。
問題はその中身だ。
依頼契約時には、刻み込まれた情報を解析できなかった。
何らかの文言が魔法によって刻み込まれているのだが、複雑に暗号化されており読み取ることは不可能だった。
今の自分ならどうだろうか……と、クロガネは『解析』をする。
「……」
理解できたのは、このネックレスが予想以上の密度で暗号化されているということのみ。
より『解析』の解像度は高まったが、同時に内部の情報が立体的に、そして複雑に入り組んでいることを思い知る。
裏懺悔に視線を向けると、彼女も首を振る。
「これはさすがに読めないかな~。すっごく古いやつなのはわかるんだけど……」
情報は紙幣よりも価値がある。
裏懺悔でさえ分からないとなれば、他に知る者はいないはずだ。
「……これはどこで?」
真兎に尋ねる。
最低限、手掛かりくらいは欲しいところだ。
「ひいおじいちゃんが学者だったんそうなんです。封鎖区域の調査中に見つけたってお父さんから聞いたんですけど……詳しいことはわからないです」
「そう」
何らかの遺物なのだろうか。
遥か昔に存在した魔女を辿っていけば、暗号解析に役立つものを得られるかもしれない。
確かに価値はあるが、後回しでいいだろう……と、クロガネはコートの内ポケットにしまう。
「今後はどうするつもりなの?」
「魔法省と敵対しちゃったので……無法魔女として仕事を探したいって考えてます」
それしか道が残されていないのだ。
こうなることを理解した上で、それでも真兎は復讐を優先した。
「この道でやっていくなら、色々な犯罪に手を染めることになるけど」
「もちろんです! なんでもやる覚悟です!」
真兎は胸を張って宣言する。
ここまで来たのであれば、生き延びるために何だってやるつもりだった。
そうせざるを得ない状況に追い込まれてしまったということもある。
だが、それ以上に。
今回の一件を通じて、クロガネに対して憧れに似た感情を抱いていた。
「やれると思う?」
色差魔と屍姫に尋ねる。
二人ならば、真兎がアモジを殺める瞬間まで目撃しているはずだ。
「殺しに抵抗はなさそうだし、やってみる価値はありそうね」
「まだ幼いですが……問題ないと思います」
二人も異論は無いらしい。
無法魔女として長い彼女たちが言うのであれば、クロガネも安心して紹介することができる。
「シンジケートに興味はある?」
「はい! 密輸密売大好きです!」
過剰なアピールに呆れつつ、通信端末を取り出す。
選んだ連絡先には十分な信用があった。
何コールか鳴ってから通信が繋がる。
「カルロ? いい拾い物があるんだけど――」
2章終了。
次話から3章に入ります。




