9話
面倒なことになった――と、クロガネは歯軋りする。
色差魔も厄介な相手ではあるのだが、それ以上に、脱走したことがあの男にバレることの方が最悪だ。
もしかすれば首輪を遠隔操作出来るかもしれない。
どこまで高性能なのか、現時点のクロガネでは『解析』しきれていないのだ。
「……退かないなら殺す」
「おーこわ。でもあたしだって、仕事を放棄するわけにもいかないし~」
腕に自信があるのだろう。
魔女の中でも上位の魔力を持っていて、更にそれを生業として世を渡っているのだ。
豆鉄砲で脅したところで逃げるような手合いではない。
「……ッ」
面倒だ、とクロガネは苛立ちを露にする。
首輪に繋がれた状態で、大罪級の魔女を相手にどれだけ戦えるのだろうか。
同じ等級でも、機動試験で用意された魔物とは大きく異なる。
魔女を相手にする時、最も厄介なのは知性があることだ。
狡猾に罠を張り巡らせて待ち構える者もいる。
現時点で、色差魔を中心に何らかの魔法が展開されているのは明らかだ。
鮮やかなマーブル模様の領域に、果たして何を仕込んでいるのか。
「でもさー。生け捕りにさせてくれたら、遺物を切除するだけで済むんだよ?」
だから投降しろ、と。
当然ながら、その選択肢は有り得ない。
この世界はクロガネの常識から逸脱している。
もしかすれば元の世界にも、似たような倫理観の地域があったかもしれないが、どちらにせよ縁の無い話だった。
生き延びるには力が必要だ。
この場を無傷で乗り切ったとして、魔女の力を失った状態で、果たして理不尽な世界を生き抜くことが出来るだろうか。
――否、だ。
要求を飲むことはしない。
勝てばいい。
命を擲ってでも屈したくはない。
この世界が嫌いだ。
全てが憎い。
破壊し尽くしてしまいたいほどに。
「多分、ここの実験の被害者なんでしょ? 大変だったと思うけど――」
殺気を指に込めて引き金を引く。
撃ち出された弾丸は、色差魔の肩を捉え――大きく仰け反らせた。
「いったぁッ……なんか、さっきより痛い」
ただ撃ち出すだけではない。
魔力を銃身に込めて、より威力を高めていた。
不十分だが、通らないわけではない。
だが、それはエーゲリッヒ・ブライ本来の機能ではない。
無理矢理に威力を高めるのは効率的とは言い難く、慣れないことを強引に行った結果――激しい頭痛が襲う。
「――チッ」
全てが不完全だった。
そして運が悪かった。
元を辿れば、この世界に来た時点で最悪だった。
銃を構え――駆け出す。
クロガネは殺気を剥き出しにして、色差魔の生み出した領域に足を踏み入れる。
気持ち悪くなるほどに視界が揺らぐ空間。
酷い酩酊感。
足が縺れそうになるほど感覚を狂わされる。
これが彼女の力なのだろう。
気を抜けば色差魔の姿を見失うだけでなく、五感まで致命的なレベルで狂わされてしまう。
だが、決して見失わない。
強烈な殺意を抱いて、その姿のみを視界に据えて駆ける。
「ちょっと、待っ――あぐぅッ」
明確な殺意を込め――全力の拳を腹部に叩き込んだ。
首輪は身体能力まで低下させるものではない。
あくまで魔力を抑えるものであって、それ自体は全力に遜色無い。
「――『探知』」
交戦の僅かな間に兵士たちが集まり始めている。
これ以上続けるのは危険だ。
悶絶する色差魔の傍らをすり抜け、目的の部屋に駆け込む。
視界に映るのは、首輪や拘束具などの道具。
どれも検体を捕獲するためのものだ。
自分の他にどれだけの人間が犠牲になってきたのか――気にしている余裕はない。
「……あった」
首輪の解除装置を手に取る。
片手で持てるほどの小さな機械だ。
使用方法はマニュアルを読む必要もないほどに単純。
首輪に向けてボタンを押し、解除信号を送る。
カチリという音を立てて、気が抜けるほど呆気なく床に落ちた。
「……」
静かに体の感覚を確かめる。
特に大きな変化は見られないが、頭痛は綺麗に消え去っていた。
今なら全力を出せる。
煩わしいだけの鉛玉よりも更に強力な魔法を使える。
しかし、ふと嫌なことを考えてしまう。
その想像は、どのように転んだとしても不味い展開だ。
これだけ派手に暴れているというのに――。
――なぜ、あの男はまだ気付かない?
File:MED
『magical-effect disturber』通称MED
魔女の持つ反魔力を擬似的に再現した装置。
軍用等の表ルートで流通しているものはさほど高性能ではない。