87話
「チッ……」
強引に抑え込もうとしても、体が言うことを聞こうとしない。
原初の魔女から命じられているかのように。
その気になれば体の自由を奪うことも出来るのだろうか。
銃口と、引き金に掛けた指に最大限まで意識を注ぐ。
「――『能力向上』『思考加速』」
抗えるだろうか。
体を強化しても脳の回転を速めても手応えは感じられない。
外部から魔力によって押さえ付けられ、ピタリと型に嵌められるように体が固定されてしまう。
こうして直接的な干渉をしてくるほどに結因は魅力的な捧げ物なのだろう。
「邪魔をしないで……ッ」
反魔力を頼りに拘束から逃れようとする。
身体中に力を入れて、それでも僅かに震える程度だ。
遺物の所有者はクロガネではない。
力を借り受けたがために、こうして従属を求められてしまう。
それではCEMの研究施設に囚われていた時と変わらない。
「……ッ」
苛立ちを顕にする。
ここまで来て、依頼不達成となってしまうのは許容し難い事態だ。
だが、果たして原初の魔女に逆らうことに意味はあるのだろうか。
強大な力を持つ彼女の意思に反することにメリットはあるのだろうか。
ここで結因を殺すことはクロガネにとっても大きな利益を齎す。
殺戮は捧げ物であると同時に自身を強化する手段でもある。
ユーガスマのような強敵を前にして、今のままでは生き長らえることは不可能だ。
抗い、苦悩する。
何が正しい答えなのか分からない。
「――ねえ、クロガネ」
裏懺悔が傍らに立つ。
普段の冗談めかした口調ではない。
「ちょっとだけでいいからさ。信用して……身を委ねて欲しい」
異変を察しての行動だろう。
震える手元に触れて、裏懺悔は寂しそうに言う。
「キミは……誰に対しても平等に壁を隔ててる。詳しい事情までは分からないけどね」
事実として、クロガネは仲間に対しても関係性に線引きをしていた。
この世界に召喚されたその日から。
全ては敵だと心に刻み込んで、誰と関わろうと心を開くつもりはなかった。
この瞬間だけでいいから……と、裏懺悔が言う。
現状を打破する手段があるのだろうか。
クロガネに対して何かしら魔法を使おうとしている。
だが、それをするには警戒を解かなければならないらしい。
「それは……」
できない、と呟こうとして口を噤む。
地下の研究施設から真兎が飛び出してきたからだ。
「お姉ちゃん!」
変わり果てた姿の姉に声を掛ける。
自我を失った結因が、返事をするはずがないのだが――。
『――マ、ト?』
微かに反応があった。
ほんの一瞬だけ困惑したような顔になるが、すぐに感情を失ってしまう。
可能性はあるのだろうか。
原初の魔女への裏切りと釣り合うほどの価値はあるのだろうか。
銃口が震える。
すぐに決断できない。
原初の魔女と、心の壁と、依頼のことが混ざり合ってクロガネ自身も酷く混乱していた。
「私は……」
この世界に何を望んでいるのだろう……と。
元の世界に帰るためには原初の魔女に協力しなければならない。
そのはずだが、利用されるだけの傀儡に成り下がっては意味がない。
なぜ、こんなにも依頼を達成することに拘っているのだろうか。
――真兎を哀れんでいるから?
――違う。
――無法魔女としての評価が欲しい?
――そんなものに興味はない。
――なら、報酬のため?
――ありえない。
自分の成すべきことは一つだけ。
元の世界への帰還――それ以外に、やりたいと思えることはない。
仕事をこなせば大量の報酬が入る。
前のクロガネでは想像も付かないような贅沢もできるはずだ。
しかし、豪勢な食事も、お洒落なカフェでの時間も、気休め程度の一服も全て退屈しのぎにしかならなかった。
原初の魔女に従っているのが一番楽なのだろうか。
意思を捨てて、駒のように扱われることが最善なのだろうか。
「……誰の所有物でもないッ」
否だ――クロガネは、体を拘束する『破壊』の力に苛立ちを見せる。
自分を好き勝手にできると思われるのは癪だ。
納得が出来ないことまで、体を明け渡して服従するつもりはない。
こういうことには『思考加速』も意味を成さないらしい。
不利益な選択だと思いつつも、裏懺悔に視線を向ける。
「……ありがとう」
裏懺悔が懐から取り出したのは、小さな十字架だった。
一見するとガラクタのようにしか見えない。
だが、体を取り巻く『破壊』の力が――原初の魔女の動揺を伝えるかのように不安定になり始めた。
「ちょっとだけ我慢してね――」
クロガネの胸元に手を添え、シャツの上から遺物を感知するように探る。
鎖骨から滑らせるように下に流していき――。
「……ッ」
抉るように十字架を突き込まれる――と、思ったが痛みはほとんど感じられない。
道具を通して、体内の遺物に魔力を注ぎ込まれただけらしい。
だが、安堵はほんの一瞬だけのこと。
体内を焼けるように熱い魔力が巡り始めた。
「これは、なに……ッ」
「クロガネの魔力を利用して遺物を壊すんだ。"破壊の左腕"に宿る思念を殺して……その後は、どうなるか分かるよね?」
殺した対象の魔力を糧として成長する。
それは、遺物が相手であろうと変わらない。
裏懺悔の干渉によって、体内の魔力全てが遺物を排除することに向けられている。
しかし、体外を取り巻く魔力は『限定解除』による借り物――当然ながら、破壊行為を許容するはずもない。
「んー、魔法は使わないつもりだったんだけどなぁ」
裏懺悔が魔力を解き放つ。
それは、これまでクロガネが見てきた全てが馬鹿馬鹿しく思えてしまうほどに途方もない量だった。
クロガネの遺物排除に力を貸しつつ、凶悪な『破壊』の力を退けている。
人智を超えた原初の魔女に対しても一切怯む様子は無い。
表情は少し苦しげだったが、感じたことのない気迫を帯びている。
「全てを利用するくらいの気持ちでいい。それもキミの魅力だし……だからこそ、こんな過去の存在に縛られる必要はないんだ」
遺物の抵抗は凄まじく、体内の魔力が尽きてしまいそうだった。
片腕だけでこれほどの反魔力を帯びているのであれば、原初の魔女自体はいったいどれ程の力を持っているのだろうか。
想像も付かず、焦燥が湧き出す。
「大丈夫。信じて――」
自由になるために、遺物さえも喰らってしまおう。
裏懺悔は最後の仕上げと言わんばかりに、クロガネの頬に手を添えて顔を近付ける。
そして、唇が重なり合い――途方もない量の魔力が譲渡される。
戦慄級『裏懺悔』が保有する魔力全てを、体内に埋め込まれた遺物を取り込むために注ぎ込んでいく。
心地いい時間だった。
優しい舌使いで、溢れそうなほどの魔力を絡め取る。
何故だかこうしていると気が安らいでしまう。
脳内で原初の魔女が何かを言っているようだったが、そんなことに意識を割く必要はない。
そうして裏懺悔を受け入れている内に――体内の遺物は消え去っていた。
全てが片付いたことを察したのだろう。
少し名残惜しそうに唇を離すと、裏懺悔が恥ずかしそうに上目使いで尋ねる。
「……どう、かな?」
クロガネは自身に『解析』を発動する。
遺物は外殻となるコアごと消失して、施術前の、一切の汚れもない体に戻っていた。
だが、この体には"破壊の左腕"から奪い取った力が残されている。
丸ごと全てを吸収できたわけではないようだったが、少なくとも原初の魔女との繋がりは感じられない。
「これなら問題ない」
今はそれで十分だ。
遺物を取り込んだ直後の体には酷い疲労が溜まっていたが、今はやるべきことがある。
「終わらせるッ――」
使い慣れた相棒は、今度こそ銃口の向きを違えなかった。
消耗は酷いが外すつもりはない。
射撃の腕は機動試験で嫌というほどに磨かれている。
クロガネは引き金に指を掛け――目印全てに、一切の狂いなく弾丸を撃ち込んだ。
File:小さな十字架
裏懺悔が持っていた古びた十字架。
原初の魔女に関わりがある遺物のようだが、詳細は不明。




