85話
ユーガスマの技量は見事なものだった。
結因を相手に一歩も退かず、襲い来る魔法の嵐にも対処できている。
強気な発言をするだけはあるだろう。
このまま戦い続ければユーガスマが勝つかもしれない。
その様子を窺いつつ、クロガネは目を閉じて魔力残量を確認する。
――これなら問題ない。
必要量は満たしている。
色差魔と屍姫の二人から譲渡された魔力によって、七割程度まで回復していた。
後のことを省みなければ、この場で全力を出せるはずだ。
「退いて」
エーゲリッヒ・ブライを向けて警告する。
交戦中のユーガスマが煩わしそうに顔をしかめた。
「……忠告を無視するか」
愚かな、と呟く。
即座にクロガネに意識を向けるほどの余力はさすがにない。
隙を見て結因から距離を取ると、落ち着いた様子でクロガネに視線を向ける。
「あの魔女はエーテルに呑まれた。殺す以外に選択肢は無い」
「そんなことはどうでもいい」
横槍を阻む嘘だったとしても、本当に事実であったとしても。
大して重要なことではない。
「これは私の仕事。邪魔しないで」
引き金を引く。
だが、ユーガスマは人外染みた動体視力と身のこなしで、飛来する弾を全て躱してみせた。
「貴様の鉛玉が通用すると――」
その行為を浅はかだと咎めようとして――手を止める。
先ほどまでの様子と何かが違う。
迂闊に懐へ飛び込むのは得策ではない気がした。
「……何をするつもりだ」
尋ねるも、クロガネは言葉を返さない。
そっと胸元に手を当て。
黙したまま、自身の魔力のみに意識を向けている。
ユーガスマは前後の様子を窺う。
結因とクロガネに挟まれる形となってしまった。
下手に動けば片方に対して致命的な隙を晒しかねない。
力任せに解決するには両者とも厄介な相手だ。
膠着した状況の中で、先に動き出したのは――結因だ。
「虚――禍降る」
魔法を構築させる隙を与えてしまった。
ユーガスマは退避することに全力を注ぐが、反対側に佇むクロガネは逃げ出す気配がない。
訝しみつつも射線から逃れることを優先し――その呟きを耳にする。
「――『限定解除』」
結因の放った莫大なエネルギー波が、反魔力に押し潰されて消滅する。
クロガネは落ち着いた様子で一歩前に踏み出す。
迎え撃つように、結因の体から無数の黒い触手が伸びる。
だがその全てがクロガネに届くことなく、途中で蒸発するように音を立てて消え去っていく。
「何だ、その力は」
ここにきて初めて、ユーガスマが警戒の色を見せた。
クロガネを脅威として認めたらしい。
一歩踏み出す度に大地が悲鳴を上げるように枯れていく。
原初の魔女から与えられた褒美と罰。
枷としての"渇望"と同時に、武器としての"権能"を授かった。
――深淵へ沈み行く魔女の理。
その言葉が意味するところをクロガネは知らない。
原初の魔女は何を知っていて、こうして自分を利用しているのかさえ分からない。
唯一、分かることがある。
至極単純、極めて明解な自然の摂理。
「邪魔しないでと言った」
魔力が駆け巡って体が熱を帯びる。
一人の魔女が所有するには過ぎた力――呻きたくなるほどに暴力的な魔力だ。
力を持つ者こそ正義だ。
異様な魔力がクロガネを取り巻いている。
万能感に支配されないよう意識を保つ。
強大な『破壊』の力を解放して、クロガネはユーガスマに警告する。
その手には何も持っていない。
エーゲリッヒ・ブライは『限定解除』の力に耐えきれず自壊して召喚が解除されてしまった。
武器を失ったように思える。
だが、徐に手を翳してみれば――。
「――はぁッ!」
激しい頭痛を伴って、前方に魔力砲を放つ。
ユーガスマは再び回避を選んだ。
莫大な魔力を帯びた『破壊』の奔流。
自身を取り巻いているこの力を、攻撃手段へと昇華させてしまえばいい。
先ほどまでとは違う。
魔女としての能力――原初の魔女から与えられた加護を、一時的に最大限まで解放しているのだ。
負担は計り知れないが、この場で使わない手は無い。
「……ッ」
消耗が激しすぎる……と、クロガネが呻く。
だが、少しでもふらつきがあれば、即座にユーガスマは見抜くことだろう。
今は結因の救出に専念すべきだ。
そのためには、彼を退けなければならない。
「アレの相手は私がする。さっさと失せて」
でなければ――と、再び手を翳す。
魔力の無駄遣いは避けたい。
脅すにしても出力を考える必要がある。
しかし、この力を制御するだけで精一杯だった。
今の状態であれば、そこらのESS装置など触れるだけで壊してしまう。
それだけ強大な力で溢れ返っているのだ。
周囲を取り巻く破壊に指向性を持たせ、無差別な被害を齎さないように維持し続けている。
原初の魔女はこの力を自在に操ることができるのだろう。
クロガネはその一部を借り受けているだけだ。
遺物一つでこれほどの力を得られるのであれば、いずれアルケー戦域に赴いて調査をしてもいいかもしれない。
「従わないのなら……」
一歩ずつ踏み出していく。
近付くだけで殺しかねない力を帯びている。
これ以上と無い脅しになっているはずだ。
「助かる可能性は無いというに、なぜ無駄なことをする」
「そうしたいから。それだけ」
クロガネにとって重要なのはそれだけだ。
この世界の下らない摂理を説かれても従うつもりはない。
自分のやりたいようにやるだけ。
それを阻むというのであれば、誰が相手だろうとこの場は譲れない。
「……馬鹿馬鹿しい」
ユーガスマが嘆息する。
易々と負けるつもりもなかったが、クロガネを相手にしながら結因を討つのは難しいと判断したらしい。
それだけではない。
この場にはもう一人、忘れてはならない無法魔女がいる。
File:限定解除
クロガネが扱える最大限の力を遺物から供給される。
原初の魔女から与えられた"権能"――力を引き出す鍵。
深淵へ沈み行く魔女の理、万象に『破壊』を齎す。




