8話
『はいはーい。声、聞こえてる~?』
間延びした少女の声。
自分よりも年下だろうかと、クロガネは耳を傾ける。
『用件を簡潔に言うから、一言一句、聞き逃さないように!』
研究施設――恐らくは、あの男への要求。
彼女が何を求めているのかは不明だが、自分とは一切関わりの無い話だ。
脱出を最優先すべきだろう。
だが――。
『この施設に最近運ばれてきた、アルケー戦域で見つかった遺物――それを今すぐ持ってきなさい』
急に声色は低くなり、あざといくらいの抑揚も消え去る。
無線機越しにでも威圧感がビリビリと伝わってくるほどだった。
同じ魔女――それも、かなり手強い相手だと予想出来る。
単身でこんなところに乗り込んでくるのだから、よほど戦闘に自信があるのだろう。
アルケー戦域という言葉は知らない。
そもそもクロガネは外界のほとんどを知らない状態だ。
襲撃者が味方であるとも思えないし、この世界で味方を作るつもりは微塵も無い。
「……」
接触は避けるべきだろう。
一番不味いのは、自分の体に埋め込まれたメディ=プラントに内蔵された遺物"破壊の左腕"が襲撃者の狙いだった場合だ。
交戦は避けられないし、まだクロガネには戦闘慣れした魔女を相手取った経験は無い。
もちろん、易々と膝を突くことはないだろうが、あまり消耗するようなことは避けたかった。
魔法を使いすぎると酷い頭痛や吐き気に苛まれてしまう。
「――『探知』」
再び周囲を探る。
入口付近に向かうには危険が伴う。
接触するにしても、不意を撃つ形で――と考えていた時。
「……あった」
間違いない。
クロガネは忌々しそうに首輪に触れ、嘆息する。
近くの部屋に機器類の保管庫があった。
そこに同じ首輪が幾つも並んでいて、隣に解除装置が置いてある。
首輪には疑似反魔力装置が内蔵されている――と、研究者の男は語っていた。
これを外さなければ全力を出せない状態で魔女と衝突してしまう。
だが、無理に外そうとすれば非常装置が起動してしまう。
薬剤ならまだしも、疑似反魔力装置――MEDが最大出力で起動してしまうと不味い。
この場で動けなくなってしまうことは即ち死を意味する。
程度は不明だが、現状でもクロガネの魔力はかなり抑えられている。
これをどうにか処理するのが最優先だ。
正規の手段で解除する分には、この首輪は安全だ。
「……ッ」
通路を曲がった直後、視界に大きな変化が現れる。
奥の部屋から染み出したように、床には"ペンキを塗りたくったような青色"が広がっていた。
「――『探知』」
先に相手を把握しなければ――と、警戒して周囲の状況を窺う。
奥の部屋に死体が七つ。
生存者は二名――それもすぐに消えた。
それを成した魔女は、楽しそうに笑みを浮かべ――クロガネの方に振り返る。
――気付かれたッ。
遠くから壁越しに見ているはずだというのに、明らかに"目が合っている"のだ。
銃を構え、先手を打つべきか悩んでいると――。
「――みーつけたっ!」
無線から聞こえていたあざとい声が、今度は通路の奥から響いてくる。
駆ける音は凄まじく速い。
殺るしかない。
通路を僅かに戻って、曲がり角を利用する形で、姿を見せたところを蜂の巣にする。
弾薬も『装填』済みで万全の状態だ。
足音は呼吸を整える間さえ与えず――姿を現した。
「――死ねッ」
引き金に指を掛け――爆ぜるような乾いた音が響く。
左右の銃を交互に使い、その胴体に何発も撃ち込んでいく。
だが――。
「痛い、痛いって!」
十分な威力を成さない。
事前に用意していた『弾薬錬成』による銃弾だというのに。
ただ、痛がるだけ。
それだけ魔女として格が高いのだろう。
少女は恨めしそうな目でクロガネを睨みつつ、撃たれた腹部を擦っていた。
「……誰」
「散々撃ってから聞くことかなぁ、それ!?」
少女は冗談めかして怒る素振りを見せる。
長いツインテールを揺らしつつ、小さな胸を張って問いに答える。
「あたしは『大罪級』――色差魔よ!」
大罪級――等級としては中間だが、魔女全体で見れば上位一割に食い込む。
それだけ上の階級が少ないのだ。
魔女も魔物も大半が咎人級から愚者級止まりで、それを越える者はごく一握りとなる。
警戒すべき相手だ。
少なくともエーゲリッヒ・ブライでは有効打を与えられない。
近接戦に持ち込むとしても、相手の力が不明な内は無謀な真似はできないだろう。
「……ッ」
首輪が邪魔だ。
クロガネは苦々しげに歯を軋らせつつ、色差魔を見据える。
「ねえ、そっちはどこから依頼受けてきたの? アルケー戦域の遺物狙いでしょ?」
どこからか依頼を受けて来たと言う。
話を合わせるべきか……などと考えていたが、その前に相手が口を開く。
「もしかしてさ、もしかするとさ……」
足元を中心に、鮮やかな赤、青、緑、黄――彼女の領域が展開される。
嫌な予感がした。
「遺物、埋め込まれちゃったっぽい……?」
色とりどりの魔力が通路を支配している。
それはクロガネの近くまで伸びて――彩度を失っていた。
大罪級の魔法をこれほどまでに減衰させる反魔力。
それがどれだけ非常識なことか、色差魔の表情を見れば容易に分かる。
彼女の狙いは"破壊の左腕"なのだ。
生け捕りか、場合によっては殺される可能性もある。
既に多くの兵士を殺しているあたり、話し合いで解決させられるとも思えない。
「無法魔女同士とはいえ……悪く思わないでよねッ!」
不運なことに――首輪の解除装置を手に入れるには、色差魔の塞いでいる通路を突破しなければならなかった。
File:災害等級
下から順に『咎人級』『愚者級』『大罪級』『戦慄級』に分類される。
極めて稀なケースだが、世界全てに影響を及ぼし得る『大災禍級』が現れることも。
それが人類の敵対者ならば、全ての抵抗は意味を成さないだろう。