79話
エーテル値の高い地域では、機器類に異常が発生するケースが珍しくない。
そのため、静性メディ=アルミニウムのようなエーテルを遮断できる魔法物質が重宝されている。
だが、魔法物質は希少価値が高い。
たとえ重要な施設であっても全域に用いることは不可能だ。
大半は中枢システムを保護するためのシェルターに使われて、それ以外の場所はラグを許容せざるを得ない。
「……あと二分」
僅かな隙を突くように、クロガネたちが荒野を疾走する。
目標は最もエーテル値の高い――廃坑内の研究施設。
烟から得た情報によれば、このシステムメンテナンスの五分間はデータ通信が停滞するらしい。
研究施設にカメラ等の映像が届くのは終了後になる。
それを利用して強襲を仕掛けるためには、可能な限り近くまで辿り着く必要がある。
かなりの速度で移動を続けているが、辛うじて真兎も追い付いている。
屍姫は使役した"ルーク"に抱えられて優雅に、それを横目に色差魔も付いてきている。
「……」
傍らを走る裏懺悔には余裕さえ感じられる。
魔法を抜きにしても、やはり彼女は文字通り別格だ。
エーテルの流れを『解析』して、最短ルートで研究施設を目指す。
正確な座標までは烟も知らなかったようだが、ある程度の距離まで近付けば問題ない。
――『探知』
広域を探るように発動する。
幾つか掘り進められた廃坑があったが、その中に一つだけ人間の反応が残っていた。
同時に、魔物の反応も――。
「――邪魔物を排除しなさい」
屍姫が命じると、使役されたアンデッド二体が動き出す。
前方には怨廻が五体ほど、サイズも先ほどまでより一回り大きい個体だ。
それだけ周囲のエーテル値が高いのだろう。
ルークが鉄槌の如き拳で、ビショップが光弾を撃ち出してそれぞれ怨廻を葬ってみせる。
手を煩わせるまでもない下位の魔物だ。
アンデッドとはいえ、大罪級に相当する二体にかかれば倒すのは容易だった。
手際の良さは生前によるものだろう。
主への完全なる従属――だが、その能力は死してなお健在だ。
自身と同格の大罪級を二体も従えて、屍姫の顔は涼しげだ。
手駒の枠には余裕があるのだろう。
消耗を省みなければ、戦慄級を狩れるほどの質と量を揃えられるのかもしれない。
「十……九……」
タイムリミットが近い。
同時に、エーテルの流れが不自然に濃い場所を感知する。
「八……七……」
間もなく警備システムが機能し始める。
奇襲を効果的に仕掛けるには、可能な限り接近した状態にしなければならない。
ようやく、研究施設の入り口らしき場所が視界に映り――。
「六……チッ!」
クロガネはエーゲリッヒ・ブライを呼び出し――咄嗟に引き金を引く。
「――懲りない阿呆共め」
銃弾を掻い潜って、凄まじい速度でユーガスマが肉迫してきた。
警備システムよりも早く気配を察知してきたのだろう。
「『思考加速』『能力向上』――」
鉛玉は通用しない。
クロガネは即座に能力強化を施し――。
「――はぁッ!」
鋭い蹴りで応戦する。
直線的な一撃をユーガスマは容易く躱すも、それを想定して次段の蹴りを放つ。
二段目はユーガスマのスーツを僅かに掠めるだけだった。
だが、そこで攻撃の手を止めず、勢いを殺さないように身を捻りながら大型のライフル――ペルレ・シュトライトに持ち換えた。
そして、激しい炸裂音。
「……ッ」
そこまでで攻撃を止め、クロガネは距離を取るように後方に跳ぶ。
渾身の連携技もあと一歩のところで通用していない。
ライフル用の強化弾頭さえ素手で叩き落とされてしまった。
一方で、ユーガスマは険しい顔をして立ち止まっていた。
その視界に移るのはただ一人。
「貴様は……ッ」
圧倒的強者であるはずの彼が、手を出さずに様子見に徹している。
その額には緊張からか汗が伝っていた。
「みんな、先に行っていいよ~」
裏懺悔が手をヒラヒラと振って促す。
それを阻まなければならないはずのユーガスマが、一歩も足を動かせずに固まっていた。
裏懺悔には世界を止める、或いは僅かな時間を限りなく永遠に近い状態まで拡張する能力がある。
その能力はクロガネ自身も味わっている。
だが、今回は魔法を使わないと宣言していた。
実際に能力を使っているような形跡は見られない。
その存在自体が杭のように相手を打ち付けている。
ユーガスマは最大限の警戒を以て、裏懺悔を注視せざるを得ない状況に陥っていた。
当初の予定通り、ここは彼女に任せるべきだろう。
だがこれは、クロガネの予想していた事態よりも遥かに異質で、改めて戦慄級『裏懺悔』という無法魔女の恐ろしさを実感していた。
警備システムが正常に作動し始め――施設内にアラームが鳴り響く。
惜しい気持ちもあったが、この戦いを悠長に眺めている暇も無い。
「任せる」
「はいは~い」
ユーガスマの傍らをすり抜けて、クロガネたちが研究施設に突入する。
それを見送り終えると、裏懺悔は肩をクルクルと回して笑みを浮かべた。
「それじゃ、ちょっとだけ遊びに付き合ってもらうよ~」
両腕を持ち上げて近接戦闘の構えを取る。
そんな遊び半分な様子を見て、ユーガスマはただひたすらに戦慄く。
理不尽の権化が引っ掻き回しに来てしまった……と。
File:エーテル公害-page2
理論上はエーテル値が高い区域に居住区を作ることは不可能ではない。
だが精密機器はエーテルの影響で狂いやすいため、それこそ全域をエーテル遮断性に優れた魔法物質で覆ったシェルターを作らなければならない。
さらに魔物の脅威を退ける戦力も必要となるため、立ち入り禁止区域として指定して封鎖するのが現実だ。




