76話
薄暗い研究室の中で、男の独り言だけが絶えず続いていた。
散らかりきったデスクの上に設計図を広げ、あれこれ呟きながら書き込んでいく。
「やはり動力炉の強度が……これ以上は反発してしまう……しかし……」
設計図を前に唸り続ける。
想像を巡らせていくも、思い浮かぶ全てのアイデアが即座に否定されていく。
レーデンハイト三番街のエーテル値を低下させる。
それだけであれば、アモジにとってコーヒーを淹れるより簡単な作業だ。
安全な形で分散させるなりして、後はエクリプ・シスのようなエーテル吸収性に優れた魔法物質を利用すればいい。
時間こそ掛かるものの、さしてコストも必要とせずに下げられるだろう。
だが、追加された注文に応えようとして躓いてしまったのだ。
「統一政府め……これを見越していたな?」
エーテル値を低下させると同時に、吸収したエーテルを圧縮させ溜め込むための貯蔵炉を作るように――と。
当然、すぐに組み込めるような装置ではない。
エーテルはそれ自体が災害を引き起こすような危険物質であって、一ヶ所に留めるには様々な対策を必要とする。
高煌度エクリプ・シスの希少価値が高い理由は、そもそもエーテルを一ヶ所に留める手段が限られているからだ。
現状の魔法工学においても、動力源として用いられるものの大半はエクリプ・シスだ。
電力のように溜め込むには強度が必要で、人工貯蔵炉を設計するにしてもコストが見合わない。
実現させれば、貯蔵されたエーテルを動力源とした研究もさらに発展することだろう。
統一政府はその用件を"後出し"してきた。
「侮りおって……ッ」
指示を出してきた相手の名前すら知らない。
一等市民である彼でさえ、統一政府について詮索することは許されていなかった。
予算には限りがある。
書類上は様々な名目で資金が流れているものの、自身の懐を暖めるよう早い段階から余剰分を横領していた。
研究者として優れている一方で、こういった場面で彼は迂闊な行動を取ってしまう。
すると、研究室のドアが開く。
「進捗はどうだ?」
黒いスーツに赤の腕章――執行官ユーガスマ・ヒガが入室する。
一等市民のボディーガードとして、あるいは見張り役として統一政府から選定されていた。
「……もう間もなく完成するところだ。黙って持ち場を守っていろ」
本来であれば諸手を挙げて喜ぶような護衛だ。
彼はたかだか一人を守るために派遣されるような人材ではない。
横領自体は未だ咎められていない。
研究さえ成功させれば構わないといったスタンスなのだろう。
実力さえ示せば、手間を取ってまで一等市民を処分することはしないらしい。
だからこそ、アモジは焦燥に駆られていた。
あのユーガスマ・ヒガから常に監視されている状態では、逃げ出す隙も一切無い。
「ふむ、そうか。成功を祈っている」
そう言うと、背を向けて退室していく。
あまりに興味の無い様子で、それが余計にアモジを苛立たせていた。
「不自然なデータの改竄は見透かされる……だが、素材ももはや……」
呟きながら、視線を移していく。
そして、カプセルに囚われた実験体――結因を見て嘆息する。
「もし貴様が大罪級以上であれば、話は違っただろうに……ッ」
結因は魔女として非力だ。
生まれ持った能力こそ魔法工学においては希少なものだったが、それを活用するには地盤が弱すぎた。
「……遺憾だが、アレを使わざるを得ないようだ」
それは一つの賭けだった。
研究室の保冷庫から薬剤の入ったカプセルを取り出し、手際よく注射器に装着する。
カプセルにラベリングされた文字は――希釈用『煌性発魔剤』原液。
「成果さえ示せればいい……統一政府さえ黙らせれば、次の素体などいくらでも手に入る」
そして、原液を投与する。
直後にバイタルサインに異常が現れるも、彼が見ている数字はそこではない。
「271……397……415……」
PCM値が高まっていく。
愚者級だったはずの結因が、一時的にだが大罪級に掠める程度までになっていた。
アモジは即座に設計を組み直す。
装置の耐久性能は変わらない。
それを可能とする素材が手元に無かった。
だが、余剰分のエネルギーが結因の体に流れるようにすれば――。
「後はギャンブルだ。理論も何もないが……」
生憎、賭け事には自信があるのだ……と、アモジが嗤う。
File:煌性発魔剤
『Magi-Booster』通称MB
CEMの研究者によって作り出された薬品で、使用することで一時的に魔力を高めることが可能。
フォンド博士が戯れに作ったものだが、現状では安全性に欠ける未完成品。




