73話
「……」
現状では明らかに情報が不足しすぎている。
無策に動くことは好ましくない。
マクガレーノから得た研究内容も併せて、今後の計画を練り直さなければならない。
だが、その前に一つだけ確認すべきことがあった。
本来であれば、娼館一つを潰すだけで終わるはずだった。
魔法省やCEMに留まらず、統一政府まで関与している規模の依頼――まさか、それを彼女が把握していないはずがない。
クロガネは通信端末を取り出すと、リストから名前を選択した。
『よーっす、どうしたのかな~?』
普段通りの様子で裏懺悔が応答する。
電話越しに騒がしい音が聞こえてくる――どうやらゲームセンターにいるらしい。
「一つ、聞きたいことがある」
『ん……ちょっと待ってね』
直接――世界が静止する。
通行人は凍り付いたように動かなくなり、空には鳥が羽を拡げたまま浮いている。
「……ッ」
クロガネの額を汗が伝う。
少なくとも『探知』圏内には存在しないはずだ。
遠く離れた場所にいるはずだというのに、こうして彼女の魔法が狂いなく発動されている。
『驚かせちゃったかな? オンライン対戦だから手を止められなくてさ~』
そんな些細なことのために、これだけの規模で魔法を行使しているというのだ。
二人の時間だけが拡張されているのか、世界そのものを停止させているのか――尋ねるのも馬鹿らしい状況だ。
『依頼の調子はどうかなー? もしかして、なにかトラブルとかあった?』
電話が来ても、すぐに白状するつもりはないらしい。
事態をどこまで把握できているのか試すつもりなのだろう。
「依頼された"救出対象"が統一政府の計画に巻き込まれてる」
『うわ~、それは大変だ』
裏懺悔は他人事のようにとぼけて見せる。
間の抜けた声に苛立ちつつ、クロガネはファイルを転送する。
――レーデンハイト三番街"エーテル値抑制"計画書。
先ほどマクガレーノから受け取った情報。
CEMの進めてきた実験データから各種資料まで、全てが添付された状態だ。
『……思ってたより手際がいいね?』
「そろそろ白状してくれる?」
裏懺悔は数秒間の沈黙の後、口を開く。
『実はこの資料が欲しかったんだよ~。斡旋する相手がいなかったんだけど、都合良くキミの依頼人から仲介を頼まれてさー』
「どこまで知ってたの?」
『統一政府がなにか企んでるな~ってことくらいかな。曖昧な情報だけ手元にあったから、ちょっと気になってたんだ』
思っていたより大事みたいだ……と、裏懺悔が呟く。
「CEMのゲハルト支部からどこかに移送されたらしい。計画書を見た限りだと……悠長には構えてられない」
実行されてしまえば結因が命を落としてしまう。
そうなれば依頼は不達成……そんな事態は許容できない。
『うーん、さすがにこの実験は危ないなぁ。でもリスクが高すぎて、実行できる段階にはないと思うけど』
「……分かるの?」
『まあねー。ぱっと見た感じだけど……レーデンハイト三番街全域のエーテル値を安全圏にまで下げるには、ちょっと装置の方が強度不足かも』
技術的な問題がある、と裏懺悔が断言する。
魔法工学にも通じているのだろうか。
「それに、執行官ユーガスマ・ヒガが出張って来た。あれは……今の私には手に負えない」
『……おおっと、そこまでの規模だったんだ』
一瞬驚きつつも『無事生還できて何よりだよー』と暢気に笑う。
裏懺悔からしても、やはりユーガスマの名が出てくるとなれば話は変わってくるらしい。
『まー、気になってたことが解消されて大満足ということで……裏懺悔ちゃんから、ご褒美をあげちゃうよ~』
資料に対して対価を支払うつもりらしい。
この件に関して言えば、真兎からの依頼報酬とは別枠だ。
『なんでも一つだけ頼みを聞いちゃうよ~? お金でも武器でも、出せるものなら何でもいいよ~?』
「……」
莫大な金額を要求しても、特級対魔武器を欲しがっても構わない。
彼女に頼めば、どれほど馬鹿げた内容だとしても叶えられることだろう。
今は戦闘に役立つものを得るべきだ。
ユーガスマという明確な脅威が関わっている以上、金銭などに意識を取られている暇はない。
戦力の底上げに繋がるような"何か"が――。
『それとも、裏懺悔ちゃんをご指名しちゃう? 一晩だけなら、付き合ってあげても――』
「いいね、それにする」
クロガネは即答する。
彼女には他と比較にならないほどの価値がある。
『えっ、えと……ホテルの予約取った方がいいかな?』
「また後で連絡するから」
通信を切ると、クロガネは嘆息する。
裏懺悔を一晩だけ自由にできる――仕事に同行させられるのだ。
その戦闘を間近で見るだけでも得られるものは多いだろう。
知る限りで最も凶悪な魔女――戦慄級『裏懺悔』の実力、その片鱗くらいは見せてくれるだろうか。
File:戦慄級『裏懺悔』-page2
裏家業の仲介を営む無法魔女。
彼女自身が戦場に立つことは極めて稀で、その戦闘スタイルも謎に包まれている。
どうやら統一政府の内部事情に興味があるらしい。