72話
魔法省もCEMも、あくまで政府管理下の組織でしかない。
それらを運用する母体――統一政府こそ、この社会を厳格な秩序を以て掌握する存在だ。
「一等市民居住区が隣接してるから?」
「それもあるでしょうけれど……もっと規模の大きな厄介事に繋がっていそうなのよね」
マクガレーノが嘆息する。
この研究を足掛かりとして、各地域毎にエーテル値の完全管理を目指しているのでは……と、警戒していた。
社会全体から見れば極めて有益な研究テーマだ。
人為的に低下させられるとなれば、エーテル公害によって居住区を手放す必要も無くなる。
また、立ち入り禁止区域の解放も時期が早まるだろう。
そうなれば、魔物の発生さえも抑制出来る。
各地の被害も減ることで経済の安定化にも繋がる。
「……けど、その方法だと」
「そうね。同じような能力を持つ無法魔女ちゃんたちが、片っ端からパーツとして回収されることになるわ」
あまりにと惨い解決手段だ。
クロガネは肩を竦める。
「場合によっては、登録魔女も危ういでしょうね。統一政府から命令が下れば、魔法省もCEMも逆らえないもの」
もしパーツ不足に陥ったなら、社会全体の利益を説いて登録魔女さえ利用しかねない。
アレはそういう組織だ……と、マクガレーノは苛立ちを露にする。
「どうにも機械的なのよ。数値でしか物事を計れない……人工知能みたいな人が指揮を取っているんじゃないかしら」
統一政府について、詳細なデータは一般に開示されていない。
魔法省やCEMの上層部、一等市民などであれば内情を知っているのだろうか。
探る上で、最も可能性が高い者は――。
「もし実証実験を邪魔なんてしたら、統一政府も黙ってないでしょうね」
「そう……」
クロガネは依頼に意識を戻す。
本来であれば、依頼人の契約違反として破棄しても許されるような状況だ。
重要事項の秘匿は命の危機を招きかねない。
裏懺悔からも事前に"契約違反を確認した場合は好きに判断してくれて構わない"と言われている。
現時点では、統一政府を相手取るには戦力不足だろう。
そこまでのリスクを冒すほどの対価を真兎は支払えない。
今後のことを考えれば、彼女はこの場で切り捨てるのが賢明だ。
だが――。
「むしろ箔が付く。無法魔女らしくていいんじゃない?」
「うっそでしょ!?」
マクガレーノが素っ頓狂な声を上げる。
あのユーガスマと会敵した直後では、さすがにリスクを考えて手を引くだろうと思っていた。
「手出しするのを躊躇するくらい力を見せつければいい。裏懺悔みたいにさ」
どうせ、最終的には全てを敵に回すつもりだったのだ。
タイミングが想定より早いだけに過ぎない。
裏懺悔は歩いているだけでCEMと交渉できるようなふざけた存在だ。
強者は自由を得られる――それは、社会的地位だけを指しているわけではないのだ。
「アナタの度胸は認めるけれど……」
裏懺悔という名前は、彼女の身内以外からしたら聞くだけで泡を吹いてしまうようなものだった。
その実力は未知数だが、統一政府さえもが存在を黙認する唯一の無法魔女として知られている。
本当に戦慄級に留まるのか……その上の次元に足を踏み入れていないのかと噂されるほどに。
畏怖すべき凶悪になろうと言うのだから、正気を疑ってしまうのも無理はない。
「どうしたものかしらね……」
既にクロガネの覚悟は決まっている。
あの研究施設から脱して、今は殺しに明け暮れているはずだった。
どこで道を誤ってしまったのだろう。
原初の魔女は今のクロガネを臆病だと嘲笑する。
刻み込まれた褒美も罰も、腑抜けた状態では手に余してしまう。
今一度、気を引き締め直さなければならない。
あの地獄から逃げ出して気が緩んでしまったのだろうか。
常に死のリスクを抱え続けるような生活でなければ、この世界に抱く憎悪も薄れてしまいかねない。
それに、刺客が送られてくるのであれば、依頼をこなしながら捧げ物を探す手間が省ける。
公安組織を侮るようなことはしないが、そう易々と首を取られるほど弱くもない。
「……計画を練り直す。結因の移送先を探って、CEMの研究についても調べる必要がある」
「情報屋のツテはあるのかしら?」
クロガネは頷く。
近辺の事情を探るのであれば、烟と接触するのが手っ取り早いだろう。
「……アタシもそこまでは付き合えないわよ?」
「構わない。これはこっちの仕事だから」
取引は既に成立している。
クロガネが得たものは、マクガレーノとの"繋がり"だ。
CEMと手を切った後の彼女は、裏社会の奥深くまで潜ることだろう。
「店が出来たら連絡して。暇な時に顔を出すから」
「んっふふ、良い品物を仕入れておくわね」
マクガレーノがわざとらしくウィンクする。
露骨に嫌そうな顔を見せるも、彼女は気にしていないようだった。
「それじゃ、あの娘のことは頼んだわよ」
最後にそれだけ言うと、マクガレーノは去っていく。
彼女が放っている存在感は本物だ。
裏社会を渡り歩くにしても、価値のある人間とはマシな関係を築くべきだろう。
彼女が次に行うのはバーの経営だという。
当然ながら、悪党御用達の裏メニューを大量に盛り込んだものだ。
密輸・密造された武器や薬品類の売り買いを生業としつつ、懐に裏社会の様々な事情を集めていく。
取り締まられるような行為といえばその程度で、彼女が言う"美の悪逆"に最も近い事業らしい。
「……」
悪人ではあるものの、好き好んで人を不幸に陥れるようなタイプではないらしい。
あくまで利益優先――そういった意味では、敵を作りにくいバーの経営は彼女向きと言えるだろう。
とはいえ、自らの利益を損なうような存在に対しては非情な顔を見せるだろう。
マクガレーノはそういったタイプの悪党だ。
File:統一政府
『■■■■■■■■』を中枢とした統治機関。
開発者『■■■■■■』によって産み出されたシステムを根幹として社会全体を厳格に管理している。
全員が一等市民で構成されているというが、在籍数や組織形態などの詳細は不明。
(ファイル損傷により一部データ閲覧不可)