6話
その後のクロガネは、苛烈さを増していく機動試験に高揚さえ覚えるように変化していた。
得意とする『機式』は極力用いず、徒手空拳での撲殺に拘って、命を奪う感触を強く体に馴染ませようとしていた。
魔物が相手ならば、存分に力を発揮することが出来た。
躊躇する必要性がないからだ。
知性無き狂暴な化け物は情を乞うような真似をしないため、殺めるにしても随分と気楽だった。
あの研究者の男は、自分の心を壊したいらしい。
その確信がクロガネにはあった。
でなければ、わざわざ戦う力を持たない"生身の人間"を機動試験の相手として用意することはないだろう。
時には、魔女でさえない女性と対峙させられることもあった。
『この女は三等市民――貧困層の娼婦だ』
「一般人を連れてきたの?」
『消えたとしても誰も探さない――そんな身分の女だ。好きにするといい』
無抵抗の魔女とも違う。
生き延びたいという意思は感じられるものの、あらゆる可能性を辿ったとして万に一つも助かる見込みはない。
三等市民という言葉が引っ掛かっていた。
この世界には、ただの人間にも階級が存在しているらしい。
目の前にいる女は身なりは整っているものの、それは商売道具として磨いているだけだ。
路地で客引きを行っているような"看板"に過ぎない。
低い身分であっても、これまで必死に生きてきたのだろう。
魔女だとか三等市民だとかという、下らない肩書きによって運命が決まってしまう社会。
もしかすれば、研究施設の外は思っている以上に物々しい雰囲気なのかもしれない。
殺しという行為への抵抗を徹底的に失わせる。
その方針自体はクロガネにとっても都合が良かった。
今後のことを考えれば、弱さを抱えた精神は足手まといになってしまう。
同時に、彼女は自身の脅威に成り得ないという安堵もあった。
これならば心置きなく"外"の情報を引き出せる。
当然、女とのやり取りは筒抜けだ。
欲しいのはこの世界について、社会構造について――常識的な知識さえ仕入れられればそれでいい。
その程度のことを咎められはしないだろう。
だが、得られた情報は期待してたよりも少なく、必要以上に時間を長引かせるわけにもいかなかった。
それだけ、三等市民という立場から見える世界は狭いのだろう。
彼女は三等市民――最も下賎とされ忌み嫌われる層の出身。
戸籍すら登録されていない者で溢れた廃街で、端金のために身売りを続けていたらしい。
主な顧客は二等市民――元の世界で言う一般人から、富裕層までがここに当てはまる。
彼らを廃街の薄汚れたホテルに誘い、サービスを行う……それが彼女の仕事だった。
そして、一等市民――招待と承認制度によって維持され続けてきた特権階級がいる。
ヒエラルキーの頂点に位置しており、政治家や議員、上澄みの富裕層等がここに含まれる。
そして恐ろしいことに、上の階級からの言葉は法的効力を持つ。
三等市民の大半は戸籍さえ持たないため、誰からも保護されることなく、時には理不尽に財産や命を奪われることもあるという。
「じゃあ、あなたは今回がそうだったってわけ――」
引き金を引いて終わらせる。
どうせ幸せな人生を歩んではいないだろう。
冷めた眼で女の亡骸を見下ろしつつ、クロガネは嘆息する。
自分が冷酷な人間だとは思っていない。
あくまでも、投与され続けたエルバーム剥薬による抑制効果のせいだ。
殺しを躊躇わずに済んでいるのは都合が良い。
この凍てついた表情も、熱を帯びた吐息も、全ての責任を薬害に被せられる。
本当に、都合が良い。
――殺戮し、捧げるのだ。
畏怖すべき"原初の魔女"の言葉。
彼女はしばらく声を掛けてこないが、すぐ側で見ているのか、それともどこかへ行ってしまったのかは不明だ。
問題は、彼女は殺戮を望んでいるということ。
魔物や魔女に限らず、今こうして力無き娼婦を殺めたときでさえ、体の中に何かが満たされていく心地がする。
比喩ではない。
クロガネの『機式』を扱う源流――魔力は、供物の礼でもあるかのように高まっている。
命を奪うことで自身の力が向上していくのだ。
無論、その先に何か企みがあるのかもしれない。
畏怖と警戒を胸に抱きつつ、利用されているならそれでも構わないと考えていた。
「……?」
聞き飽きた男の声がしない。
機動試験は終了したというのに、次の実験に移されないで放置されている。
そこで、試験中にしばらく男の声がしなかったと気付く。
何かトラブルでもあったのだろうか――と、警戒しつつ周囲を窺っていると。
『――ッ、――ッ』
ノイズのような乱れた音声が流れる。
必死に何かを喋っているようだったが、試験室の中にいても聞き取ることが出来ない。
『――ッ、――――ッ!』
非常事態だ。
ドアが開放され、通路への道が開いた。
出てしまっていいのだろうか。
従順さを測る罠の可能性も否めなかったが、これ以上ない好機でもある。
「……ッ!」
格闘術も一通り覚え、実戦経験も十分に積んだ。
体は嫌気が差す程に弄られて、並みの人間比べると思考速度も身体能力も段違いだ。
人を殺める覚悟も出来ているし、既に後戻りできないほど罪無き魔女や人間を手にかけた。
――今しかない。
吐き気を伴うほどの緊張感。
出し惜しみせず全力を出さなければ。
「――『装填』」
事前に用意したマガジンを呼び出す。
両手のエーゲリッヒ・ブライに"弾"が装填された。
無策に魔力を打ち出すだけでは、どうしても反魔力の壁を越えられない。
そのことは、これまでの機動試験で嫌というほど思い知っていた。
それを解消する手段こそ、形状にまで拘った弾薬の錬成。
マガジンには七発――形状記憶に強固な魔力を注ぎ込むことで、反魔力の影響を最大限まで受けずに対象に命中させる。
戦闘中に咄嗟に作るには負担が大きいため、事前に『弾薬錬成』によって溜め込んでいた。
備蓄は魔法によって生み出した『倉庫』に十分な量がある。
無駄撃ちも好き放題に出来るほどだ。
すぐ空になるような心配は無い。
「――『解析』」
首輪をスキャンする。
それを咎めるようにチクリとした感覚が首筋にあったが、もはやこの薬にも飽きてきたくらいだ。
機械に詳しいわけではなかったが、この魔法なら内部構造を透かし見ることも出来る。
「……チッ」
面倒そうに舌打つ。
解除するには専用の機械が必要らしく、もし破壊を試みようものなら即座に毒薬が投与される仕組みらしい。
正規の手段で解除しなければならない。
持っているとすれば、考えるまでもなく"あの男"だろう。
いずれにしても、監視の目が無い内に行動をすべきだ。
と、足を一歩踏み出した時――通路の奥から慌ただしい足音が聞こえてきた。
File:エーテル公害-page1
強力な魔物の発生や、何らかの魔法物質への刺激によって魔力の根源であるエーテルが大気を汚染してしまう。
エーテル値の高い区域では狂暴な魔物の発生が非常に多く、原因を排除しなければ終息まで長い年月を要してしまう。