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5話

『――機動試験終了。実験体を速やかに回収し、戦闘データ解析に移行せよ』


 酷く乱れた呼吸。

 僅かに噎せつつも、クロガネは笑みを浮かべる。


 今日も生き延びた。

 何度目か数えるのも億劫なほどに機動試験を繰り返し、その度に辛うじて勝利を収めている。


 身体に怪我は増えていくが、まだ死を覚悟するほどではない。

 骨が折れる痛みも、内蔵を押し潰される苦痛も、嫌気が差すほどに味わってきた。

 そろそろ感覚が麻痺してきたのだろうか……などと独り言ちる。


 こうして肉塊を見下ろしていることが、この研究所内で唯一、生きていることの実感を得られる。

 得体の知れない薬剤を投与されるよりは、好き放題に暴れられる機動試験の方が気楽なくらいだった。


 魔女としての能力――クロガネは生き延びるため、自身の力で何が出来るのかを常に考えていた。

 まさか、二丁拳銃を呼び出すだけの能力ではないだろう、と。


 だが、何かを見出だしたとして、それを気安く使うわけにはいかなかった。

 全ての行動は"管理"されている。

 痕跡も残さず、手札を増やし続けるには脳内で整理するに留めるしかない。


 鎖を繋ぎにきた兵士を睨み付ける。

 その全身武装は飽きるほど見てきたが、その顔までは知らない。

 いっそヘルメットを奪ってからかってやろうか……などと下らないことを考える。


『――いや、待て。たった今、新たな検体を確保した。機動試験を続行する』


 その日は珍しく、機動試験は終わらなかった。

 兵士たちは困惑しつつも、男の指示に従って退出する。


「何か面白いものでも拾ったの?」

『――0040Δフォーティーデルタ、君ならきっと気に入るだろう』


 いつになく感情が窺える様子だ。

 嬉々として別の指示を出している声色は、無垢な少年のように弾んでいる。


『等級は中度だが――さぁ、どう処理して見せてくれるのか』


 対面のドアが開き、小柄な"何か"が入室する。

 その姿を見るだけでは、とてもだが驚異とは思えない。


 だが、その相手は体を震わせながら、口を開いて――。


「だ、誰……なの?」


 人語を介する魔物。

 否、相手はクロガネと何ら変わりない、普通の少女。


『検体No.0138。愚者級――紫葉しよう


 理不尽な運命の犠牲者。

 自身と同じ境遇なのだろうか。


 少なくとも、この気弱そうな少女が自ら望んでこの場に立つようには思えなかった。


『同じ魔女として――君に色々と教えてくれることだろう』


 男は愉しげに嗤う。

 この部屋はどちらか片方しか生きて出られない、殺し合うための部屋なのだ。

 彼の意図は語るまでもない。


『さぁ、殺すといい。己のため、意思を持つ存在を手に掛けたまえ』

「悪趣味な……ッ」


 クロガネの葛藤を見たいのだろう。

 殺戮マシンとして仕上げるために、これまで越えさせずにいた一線をわざわざ足元にまで運んできたのだ。


「……ッ」


 殺さなければならないのか。

 罪の無い相手を本当に殺せるのか。


 自分には、果たしてその死を背負う覚悟はあるのか。


「ねえ、お願い……何もしないで……っ」


 恐怖に染まり切っている。

 戦う意思はまるで無く、対話でどうにか出来ないか様子を窺っているらしい。


 それは初めて機動試験を行った際の自分によく似ていて――。


「――ヘドが出る」


 手を突き出すように構え、その名を呼ぶ。


「機式――"エーゲリッヒ・ブライ"」

「ひっ――」


 誰も助けてはくれない。

 必要なのは生への強い執着心であって、この期に及んで抗う意思を見せない紫葉に苛立ちさえ感じてしまう。


 躊躇う必要はないのだ。

 ここは自分の世界ではなくて、守るべき存在も、情けを与える必要性など皆無。


 生きて元の世界に帰るためならば――。


「私のために――死んで」


 その手を血に染めることも厭わない。

 乾いた音が室内に響いて、魔力によって生み出された弾丸が紫葉の肩を穿つ。


「ぐっ……うぁっ」


 痛みに呻いている。

 だが、弾丸は肩を貫通すること無く、幾分か血肉を穿って消失していた。


――威力が減衰している。


 まさか、目の前の少女が金属の塊のように硬いとは思えない。

 これまで様々な検体を相手取ってきたが、エーゲリッヒ・ブライの弾丸は常に致命的な負傷を与えていたはずだった。


『――驚いているようだな』


 愉快そうに男が嗤う。

 その原因がさも常識であるかのように、クロガネの無知を嘲っていた。


「……これは何?」

『反魔力だ。魔女は無意識下で、己の周囲に強力な支配空間を展開しているのだよ』


 その格に応じて、と男は言葉を付け足す。

 反魔力によって弾丸の威力が十分に発揮出来なかったのだと。


『若しくは、災害等級の高い魔物も反魔力を持つこともある。これは稀なケースだ』

「……そう」


 魔女同士の戦いは、ただ引き金を引くだけでは終わらない。

 距離が開くほどに無意味に消耗してしまうのだろう。


 だが――。


「死にたくない……ッ!」


 紫葉の体が淡く輝いて、周囲に無数の光が浮かび上がる。

 攻撃が来る――と、警戒した瞬間に頬を何かが掠めていった。


「……へぇ」


 痛みはない。

 表皮を撫でるような、取るに足らない威力だ。


 遠距離からの攻撃を得意としているらしい。

 浮かび上がる無数の光は、よく見れば葉のような形をしている。

 紫葉という名も、その能力から来ているのだろう。


「そ、そんな……」


 対する紫葉は呆然と体を震わせている。

 それによって、クロガネも現状を理解することが出来た。


「反魔力は魔女の格によって変化する……相変わらず悪趣味な」


 同じ距離にあって、クロガネは一方的に攻撃することが出来る。

 紫葉の力では距離を詰めたところで致命傷足り得ない。


 より強力な魔術を隠し持っているのであれば話は変わってくるだろうが、紫葉はそもそも戦闘慣れさえしていない。

 機動試験に始まり、薬物投与による改造から格闘術まで意識を失うまで叩き込まれてきたクロガネとは訳が違う。


 好きに嬲り殺せ――と、つまりそういう意味なのだろう。


 一歩、足を踏み出す。

 それを恐れるように紫葉が一歩下がる。


「お願い……っ」


 紫葉は大粒の涙を溢して懇願する。

 死を恐れるのは誰だって同じだ。

 そこに哀れみを持つような人間ならば、彼女を殺めることを躊躇うだろう。


 だが、クロガネは違う。


「……気持ち悪い」


 慈悲を乞う姿が気持ち悪い。

 本来の、善良なはずの自分が揺さぶられるようで――。


「気持ち悪い……ッ!」


 この世界の全てが敵だ。

 誰も信じてはならないし、誰も救ってはならないし、誰も頼ってはならない。


 全て殺戮し――"原初の魔女"への供物にしなければならない。


 下らないことを考えてしまわないように声を上げ、クロガネは一気に駆け出す。

 魔女同士の戦いは距離が開くほど長引いてしまう。


 強力な魔術を研究者たちに見せないようにしつつ、紫葉を倒す必要がある。

 血反吐の味に慣れてしまうくらいに格闘術も叩き込まれていた。


「さっさと死ねぇ――ッ!」


 拳を振るう。

 機式と大きく異なるのは、生命を削る感触が直接伝わってくることだろう。


 殴ってみると存外に脆い。

 本当に、何の鍛練も積まずに生きてきたのだろう。

 どのような人生を辿ってきたのか興味は無かったが、苦悶に呻く様子を見れば、生温い日々を過ごしてきたことに間違いはない。


「ほんっとうに、気持ち悪い――ッ!」


 哭くな。

 喚くな。

 腹立たしい。


 そうやって弱い姿を見せていれば、助かるとでも思っているのだろうか。

 腹を蹴り上げると、紫葉の体は木の葉のように容易く吹っ飛ぶ。


「救いなんて――」


 あるはずがない。

 死にたくないなら抵抗するしかないのだ。

 不幸なことに、紫葉が生まれた時から努力を積み重ねていたとしても、覆しようの無いほどに魔女としての格に開きがあった。


「やだぁっ――」


 紫葉が手を交差させて身を守り、そして魔法を行使する。

 攻めに夢中なクロガネの不意を打つように、その背後に魔方陣が展開される。


 しかし――。


「無意味でしょ、それ」


 魔方陣は形を完成させることなく消え去る。

 ほんの僅かにクロガネの支配領域が揺らいだ程度で――その反魔力を捩じ伏せられるほどの力は持たなかった。


『面白い――実に、面白いッ!』


 研究者の男は嗤う。

 0040Δフォーティーデルタこそ、これまでの研究生活において最も優れた実験体だ――と。


 紫葉は愚者級――等級としては、五段階の中で下から二番目。

 それを完全に無力化してみせたクロガネは、少なくともそれを二つ上回る等級として評価可能だ。


『戦慄級か、或いは――』


 そして、撲殺。

 遂に生命力が尽き果て、紫葉はその場に伏して動かなくなる。


 嫌な高揚感に体が震える。

 クロガネは心を黒く塗り潰すように、その亡骸を黙って見下ろしていた。

File:愚者級『紫葉しよう


後天的に力に目覚めた魔女。

花屋の店員としてアルバイトをしながら学校に通っていたが、不意の交通事故によって覚醒。

生活を厳格に管理されることを嫌がって魔女であることを隠して過ごしていたが、そのせいで魔法省に観測される前に捕獲されてしまった。

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