43話
カルロは記憶装置内のデータを本部に転送。
及び、撹乱のため魔法省にも匿名でデータを流す。
その後はコンビナートでの決戦に備えるため、リュエス港周辺で装備を調達することになった。
さすがにアジトまで往復する猶予は無い。
手早く支度を整えて、強襲を仕掛ける用意をしている頃だろう。
クロガネは別行動だ。
さすがに依頼外のお守りまでサービスするつもりはない。
蓄積した疲労を癒すにしても、仕事のことは頭から離しておきたかった。
「……」
コンビナート付近は工業街として賑わっている。
商業区と比べると幾分か治安が悪いように見えるが、誰かが目立って犯罪に手を出しているわけでもない。
メーアトルテ西部――リュエス港を含めた一帯は、交易と工業が盛んな地域。
必然と犯罪シンジケートの温床となってしまうような場所だ。
それを防ぐために、堂々と聳え立つのが魔法省の支部だ。
見上げると首が痛くなりそうな高さだ。
力を誇示するように建設された高層ビル。
街全体を見下ろすように、常に監視塔の役割を果たしている。
休息を取ろうと、ポケットの中に報酬の一部を入れていた。
だが、街中を歩いても何一つとして興味を引かれない。
強襲まで半日――時間を潰すには無限のように感じてしまう。
行き交う人々は笑顔に溢れているが、クロガネには心踊るような何かを見付けられない。
ただ居心地が悪いだけ。
豪遊する気分にもなれず、ただ身を休められそうな場所を探して歩き続ける。
会話する相手もいない。
ただ、孤独だ。
「……チッ」
弱さを殺すように舌打つ。
目付きの鋭さを絶やさないように、常に殺気を放ち続ける。
まだ日も高く明るい時間帯だが、作戦実行は深夜だ。
散策を諦めて、そろそろどこかで仮眠を取るべきだろう。
と、何気なく振り返ると。
「ぁ――」
視線の先で、少女が小さく呻く。
見覚えのある顔――研究施設で戦った色差魔だった。
即座に『能力向上』を発動し、その頭を掴んで路地裏に連れ込む。
人影は無い――そのまま壁に叩き付けるようにして、クロガネは顔を覗き込む。
「お、驚かすつもりはっ……ごめんなさいぃ……」
どうやら尾行されていたらしい。
傷心に浸りすぎて『探知』を疎かにしてしまった。
「なにか用でも?」
「い、いや……そのぉ」
壁に手を突いて、咎めるように目を細める。
すると色差魔は一瞬ピクリと跳ねて顔を背けて身を震わせる。
怯えている……と、思っていたが。
「か、顔が近くてぇ……」
熱っぽい吐息、潤んだ瞳。
頬は逆上せたように紅潮していて、予想外の反応にクロガネは困惑してしまう。
彼女について覚えていることといえば、殴り飛ばしたり蹴りつけたりといった戦闘の記憶のみだ。
全く心当たりがない状態ではさすがに警戒してしまう。
「……で、なんの用?」
「買い物の途中に覚えのある魔力を感じたから、ちょっと会いたくなって……」
裏懺悔繋がりで仲間意識でも持たれてしまったのだろうか。
仕事で会うならまだしも、こういったプライベートな時間まで割くつもりは微塵もない。
呆れたように拘束を外し、背を向ける。
半日しか休息は取れないというのに、無駄話に付き合っているだけ時間の無駄だ。
そう思っていたが――。
「…………ッ」
唐突に体がふらついた。
壁に手を突いてどうにか堪えるも、なぜだか四肢の感覚が鈍い。
「禍つ黒鉄!? 大丈夫――」
差し出された手を振り払う。
頭痛が酷くなってきて、視界も僅かに霞む。
ここしばらくの休息といえば、煙草を吸って気を紛らわしたくらいだった。
改造手術を受けた体でも限界がきていたのだろう。
思えばネペリ支社の時点で戦闘不可能なところまで消耗していた。
以降は派手な力の使い方をしなかっただけで、回復する時間など一切無かった。
いつ倒れてもおかしくはない。
作戦開始までに万全まで戻せるとは思えない状態だ。
とはいえ、都合良く魔力を回復させる物など――と、そこまで考えて気付く。
すぐ目の前には大罪級の魔女――エーテルの塊がいる。
殺すという選択肢は無い。
不意を打てば幾らでも機会は転がっているが、彼女は裏懺悔の庇護下にある。
クロガネも"色差魔を殺さない"という条件であの場を見逃されたのだ。
「えっと、少しでもいいからぁ……休んでいかない?」
身を休める場所を確保するにしても、これ以上は歩き回れない。
最悪、この路地裏で座り込んで夜を待つことになってしまう。
色差魔の誘いは、クロガネにとって都合が良い。
だが、この世界の人間に借りを作りたくはない。
今この場で出来ることはないのか――問い掛けるように、胸元に意識を集中させる。
遺物に宿る"原初の魔女"の記憶が、じわりと滲み出してクロガネの望む知識を与える。
――全ての起源となる魔女の権限。
従属させた対象に"深く"触れる。
溢れ出た魔力を己の体に引き付ける。
それだけでいい。
エーテルを源とする万象は支配下にある。
敵対者でなければ、抵抗されるようなこともない。
即効性のある回復手段。
深い触れ合いとはどこまでを指しているのか。
想像することに抵抗はないわけではなかったが、これまで散々な道を歩んできたのだ。
今さら、この程度のことで狼狽えるほどか弱くはない。
彼女を利用しない手は無い。
「ねえ、色差魔」
「えっと……シキでいいよ。呼び方」
浮わついた表情をしている。
何かを期待している様子だが、夢見心地でいられる時間は精々半分くらいだろう。
周囲を『探知』して、路地裏に誰もいないことを確認する。
「じゃあ、シキ。何も考えずじっとしてて――」
「えっ――」
ぐっと顔を寄せ――戸惑いを漏らす口に舌を捩じ込んだ。
File:メーアトルテ西部
大陸でも西端の地域で、工業や交易が盛んに行われている。
海を跨いだ先には『ベヘル瘴域』を始めエーテル公害によって立ち入り禁止区域となっている場所が数多く存在する。
現在はCEMと魔法省が連携して原因究明に努めているという。