323話
「――貴方はラプラスシステムを再現した」
これ以上となく興味を唆られる話だった。
魔法工学の権威である研究者――チェリモッド・ゲヘナ。
その彼がラプラスシステムの構造に触れ、与えられた情報と積み重ねてきた知識を基に生み出した模倣品。
「その果てに、どのような結論に至ったのか。私はそれが知りたいんだ」
単純なようでいて、常人には理解し難い構造。
遺物という不確かな事象を核部分に固定し続けているが、そもそもの話。
「それと、彼女とも話してみたいな」
部屋の奥にある巨大な機械に視線を向ける。
遺物は偉大なる魔女の残骸。
死後も現世に留まり続けるほどの魔力を保つ物体が、都合の良い道具として黙っているとも思えない。
「若者が知的探究心を持つのはとても良いことだ。話してやりたいとも思うが――」
興味の全てを曝け出すカフカに、チェリモッドは静かに首を振る。
その顔には落胆の色が見えた。
「待ち侘びていた来訪者は、君ではないようだ」
どうやら再現に不備があったらしい、と模倣品を一瞥する。
何かを期待して、防衛システムの一つも作動させずに迎え入れたというのに。
「……なぜそう断言できるのかな?」
彼は既に結論を出している。
何を試したというわけでもないのに――不愉快だ。
「本物であれば、アレが怯えないはずがない」
チェリモッドが模倣品に視線を向ける。
彼も同じく、遺物には"意思が残っている"という思想を持つらしい。
「なるほどね」
よく分かったよ、とカフカが呟く。
普段よりも低い声だった。
「けれど、貴方を連れ去ることには変わりない」
本来の目的はチェリモッドの身柄を拘束して連れ去ることだ。
だが、もう少し問答に興じていたい気持ちもある。
彼もカフカの好奇心に応じることに決めたらしく、会話を続ける。
「軍務局の依頼だろう? 口封じでなければ、まだこの脳を利用したいらしい」
チェリモッドに抵抗の意思は感じられない。
この場は拘束を受け入れるようだ。
「ラプラスシステムの観測波を阻害する程度には、これも役に立つはずだったのだがね」
研究施設は極めて高度な隠蔽処理を施されている。
特殊な周波数帯に調整されたエーテル波を、常に一定間隔で放出し続けているのだ。
これが重大な機密に触れてしまった彼にとって命綱となる。
「そうか、貴方が……」
Neef-4を生み出したのか、と。
一帯を満たすエーテルの波長には覚えがあった。
ラプラスシステムへの唯一の対抗手段。
一方で、その性能には制限がある。
無法魔女たちに最低限の自由を与えつつも、好き勝手に暴れられない程度に締め付けている。
一望監視制完全管理社会の否定。
その上で、社会に混乱を招かないための仕掛けを施している。
これだけ知ることができれば、彼がどのような立場にいる人間かよく理解できた。
彼は反体制側の人間だ。
だが、もっと踏み込むのであれば、
「貴方は魔法省を支持しているようだ」
その発言を聞いて、チェリモッドは目を見開いて口角を持ち上げた。
だが肯定も否定もせず黙っている。
力関係で言えば政府の方が上の立場だ。
表立って協力していれば、何かしら理由を付けて身柄の引き渡しを要求されてしまうだろう。
だからこそ、こうして地下深くで息を潜めながら、彼はひっそりと社会に干渉してきたらしい。
「機密に触れてしまった貴方が助かるには――いや、違うかもしれない」
カフカは自身の考えがズレているように感じて、改めてチェリモッド博士という人物を見定める。
彼はそんな俗物ではないはずだ。
そんな疑問に、彼は僅かばかりの助言を与える。
「如何なる研究であっても、成果物には社会的意義が必要だ」
何も保身のために生み出したわけではない。
一望監視制完全管理社会の仕組みも、自らの機械化も、模倣品の製作も。
「事の真相を知りたければ"本物"になることだ」
ペテン師の仮面を被ったままでは選ばれない、と。
彼は徐ろに通信端末を取り出す。
個人用の番号が割り振られた古い端末だが、普段は外部との通信が遮断されている。
政府に探知されないための処理だった。
「……何をするつもりかな?」
「この番号は限られた者にしか教えていない。だか、きっと彼女なら辿り着くはずだ」
チェリモッドは未来を知っている。
社会に変革を齎す大きな影響力を持つ、その人物の動向だけを追い続けてきた。
ラプラスシステムを模倣した装置。
出力は遠く及ばないが、機能自体は同質のものを備えている。
とはいえ、再現できた機能は一部でしかない。
莫大な容量のデータベースも、社会インフラの管理も、議会における承認も、魔法省の機器との接続もない。
必要なものはたった一つだけ。
「この社会の在り方を、根底から覆す鍵となる人物。私はそれを待っている」
ただ一人の無法魔女に関するデータを収集し続ける。
この観測システムは、当然ながら彼が発明したNeef-4では欺けないようになっている。
巨大な期待を抱いて、彼は端末の通信機能をオンにする。
外部に助けを求めるつもりはない。
予期しているだけだ。
「随分と自信があるんだね」
「先の未来も観測済みだ」
そう言って端末を投げ渡す。
トリリアム教会にも重要な役割があるのだと示すように。
必ずしも装置の予測通りに事が進むとは限らない。
今回の来訪がアテが外れたように。
だが、そうなる事を信じ続けなければ、彼の望む社会は訪れない。




