322話
「えぁー……なんか暑いですねえ」
ミラが額の汗を拭う。
時刻は深夜二時――本来なら涼しいくらいの時間帯のはずだった。
体力を消耗するほどの暑さだ。
周囲を取り巻くエーテルが熱を帯びている。
きっと生身の人間では耐えられない。
「遺物の影響かな。目標座標との距離を考えると、あまり強力なものではないみたいだ」
端末を片手にカフカが進んでいく。
その表情は涼しげだった。
「なんでカフカは大丈夫なんですか?」
「さて、どうしてだろうね。保有魔力とか色々関係しているのかな」
興味深いよね、と呟く。
「暑くないわけじゃないけどね。ほら」
「あーこら、乙女が簡単に肌を晒しちゃダメですよ」
服を脱ごうとしたカフカに、視線を逸らしつつ文句を言う。
作戦行動中であっても二人はマイペースだ。
高濃度のエーテルに満たされた地下。
とある封鎖区画の深部に、ディーナから指定された座標がある。
出入り口こそ巧妙に隠されていたが、内部はずっと以前に放棄された研究施設のようだった。
「……ここって吸っても大丈夫ですかね?」
「家主に許可を取ってからね」
礼儀は大切だよ、と付け加える。
「これから人攫いするのにマナーも何もないですよ」
「さて、本当にそうかな」
カフカが笑みを見せる。
侵入時は電子ロックを対魔武器で強引にぶち破って、そのまま堂々と歩みを進めている。
だというのに、未だに防衛システムが起動している様子はない。
幾つか事情が予想可能だが、一旦は置いておく。
「でも、なんでこんなリスキーな依頼受けたんですか?」
ミラからすれば、まだカラミティと抗争を続けていた方が楽だった。
一等市民に危害を加えることは重罪だ。
軍務局からの指示とはいえ、誘拐などすれば魔法省に指名手配されることになってしまう。
「ラプラスシステムを知る技術者に接触できる機会なんて、そう何度もないからね」
一望監視制完全管理社会の実現。
その理論を提唱した彼は、当然だがラプラスシステムの内部構造を知っている。
場合によっては、その所在地まで。
「軍務局が躍起になって探すくらいだからね。きっと数え切れないほどの機密を抱えているんじゃないかな」
「え、でもそれ知っちゃうと私たちも不味いですよね?」
「だろうね」
今回で使い捨てられるか、カラミティとの抗争で使い捨てられるか。
その違いでしかなかった。
チェリモッドを確保してしまえば二人を生かしておく理由はない。
不要なリスクを抱えるより口封じしてしまった方が早い。
元よりそのつもりでトリリアム教会を利用していたのだろう、とカフカは予想している。
「まだ死にたくないですよう」
「大丈夫だよ。私を信じていれば、必ず良い方向に進むから」
そう言ってミラの頭を撫でる。
幼子をあやすような優しい手つきだったが、
「……いや、私まで洗脳しようとしてるでしょう?」
「あはは、どうかな」
気遣うフリだけは上手いんですから、とミラが呟く。
こういった演技で信者を増やしてきたところを何度も見ている。
事前に知らなければ絆されてしまいそうだったが、なんとか辛うじて踏み止まった。
「でも、なんでそんなにラプラスシステムにこだわるんですか?」
「それはね――」
言い切る前にカフカが足を止める。
目の前には厳重な電子ロックによって守られた部屋があった。
「――せっかくなら彼を交えて話すことにしよう。ミラ、開けてくれるかな」
「あいー」
袖口から金属製の柄を取り出して身の丈ほどに伸長させる。
「特級−星球式鎚矛『冥帝』――起動」
長柄の先端に煌学エネルギーを帯びた星球が発生する。
威力の高さは語るまでもない。
強固な扉でも容易く打ち砕くだろう。
「そーれ!」
研究施設内に轟音が響き渡る。
セキュリティも何も関係ない圧倒的な暴力を振るい、ミラはゾクゾクとした恍惚を覚える。
衝撃で一時的に電源が落ちてしまっている中で、炸裂したエーテルの残滓がチラ付いている。
強引に抉じ開けられた暗い部屋の奥には白衣の男が佇んでいた。
「随分と荒っぽいな、最近の若いのは」
襲撃者に気圧された様子もない。
来訪を知っていたかのように、平然とこちらを待ち構えている。
「やあどうも。チェリモッド・ゲヘナだよね?」
ドアの残骸を避けながらカフカが中に入る。
研究室兼私室――そんな雑多な散らかり方をしている部屋だった。
チェリモッド博士が指を鳴らすと、電源が復旧する。
「……これは驚いたね」
カフカが珍しく動揺を見せる。
自分たちが連れ去ろうとしている相手は、どうやらただの人間ではないらしい。
――彼の半身は機械化されている。
「驚くのも無理はない。自らを素体にして研究を行うなど狂人の所業だ」
「けれど、貴方はそれを選択した」
「そうせざるを得なかったというのが本音だが、いずれにせよ狂っていることには変わりない」
警戒した様子もなく、二人を招き入れるように彼は部屋の奥にある椅子に腰掛ける。
かなり体内を弄っているらしく、重量でパイプ椅子が酷く軋んでいた。
部屋の奥には、先ほどから感じていた"熱を帯びたエーテル"の発生源がある。
無数の動力源を繋いだ球状の機械だ。
「アレが気になるかね」
研究成果を隠すつもりはない。
誰かに語り聞かせるため、こうして来訪を待ち侘びていたのだろうか。
「全能への渇望。それが赦されざる大罪だとしても……神の模倣に手を伸ばしたくなる気持ちは、まあ分からなくないよ」
遺物の力を引き出す装置。
外部出力補助として繋がれている煌性動力炉。
そして、彼の抱える事情を考えれば、それが何の小規模模型なのか考えるまでもない。




