321話
「送り込んだ刺客は全滅しちゃったみたいですねえ」
人々が寝静まっている深夜。
教会の礼拝堂で、ミラが大きく嘆息する。
素人でも武器を持たせれば脅威になる。
死の恐怖を取り払った使い捨ての人員を多数送り込めば、それなりに被害は期待できるはずだった。
低コストで敵組織に被害を与えられる策だったが、カラミティ側の対処は想定していたよりもずっと早かった。
二重三重と仕込んでいた仕掛けも暴かれてしまい、一旦は持っている手札を切り終えている。
そんな状況でも、祭壇に腰掛けるカフカはご機嫌な様子だ。
「それで、成果はどんな感じかな?」
「各拠点にあれこれ襲撃してましたけど……人的被害はほぼなし。正直、ちょっとした嫌がらせくらいにしかならなかったですね」
それどころか、口封じのために依頼を出した無法魔女まで捕らえられている。
情報を引き抜かれる可能性が高い。
依頼者がトリリアム教会であると確証を得たなら、
「あー、こっちに攻め込む理由ができちゃいますね」
本格的な抗争が始まる。
組織規模としては大差無いが、武装集団としての練度はカラミティの方が確実に上だ。
トリリアム教会の行う犯罪行為は多方面に及ぶが、荒事を主とする組織ではない。
物的証拠が必要な訳では無い。
だが、政府の強権行使が始まったことによって、シンジケート間での争い事を嫌う者も増えている。
――先に仕掛けてきたのはトリリアム教会だ。
その事実が広まれば、カラミティは堂々と報復に来ることだろう。
売られた喧嘩を買わないような臆病者と思われないように――裏社会では、一度でも舐められたら周辺地域の組織から標的にされてしまう。
流れている噂話からも、それを良しとするような首領だとは考え難い。
とはいえ、トリリアム教会にも引き下がれない理由があった。
「っと、来客かな」
カフカが呟く。
その直後、礼拝堂の中にノイズが走った。
「――進捗を確認しに来ました」
冷淡な声が場を支配する。
軍服を着た少女――軍務局幹部のディーナが目的を告げる。
彼女が状況を把握していないはずがない。
今回の策が効果を出せなかったことを知っていて、咎めるために来たのだ。
そんな剣呑な雰囲気を感じつつも、
「まあまあかな」
カフカは普段通りの振る舞いを続ける。
直後、彼女の首元に光剣が突き付けられた。
「魅力的な魔法だ。まるで夜空に瞬く星々のような――」
「戯言を並べて誤魔化そうとしても無駄です」
口説き落とすような囁きなど必要ない。
欲しているのはカラミティを壊滅させるという成果のみ。
ディーナの手元から伸びた光剣は、高出力のエーテルによって形成されたものだ。
触れたものは全て焼き切ってしまう。
突き付けられているカフカは、その熱によって嫌でも死を意識させられてしまう。
「活動資金に対魔武器、その他の設備まで……これだけ与えて、未だ幹部の一人も殺せていないとは」
低級の無能共が――と、ディーナが吐き捨てる。
そのまま喉元を抉ってしまいそうなほどの殺気を放っている。
「目隠し仲間に酷いことをするね」
「結果を出せないのであれば、貴女達を飼っていても仕方がありません」
冗談に付き合わず、光剣を下ろすことなく咎め続ける。
これ以上はさすがに危険だ。
その様子にミラが焦った様子で止めに入ろうとするが、
「でも、私たちを処分するために来たってわけでもないみたいだ」
カフカはそうならないことを知っている。
利用価値がない人物に情報を与えたままにしてもリスクでしかない。
もし自分たちを見限っているのであれば、軍務局の戦力を考えれば既に処分されているはずだ。
何か別の仕事を持ってきたのだろう、と。
それを予測していたからこそ、カフカはこうして笑みを浮かべていられるのだ。
「……魔女風情が」
ディーナが舌打つ。
しかし、トリリアム教会を駒として使いたいというのも事実だ。
光剣を解除して不愉快そうにため息をつく。
「手段は問いませんので。この人物を拉致してきてください」
手渡された書類にはとある男性の写真と、その所在地と思われる座標が記されている。
その人物の名前も書かれていた。
「チェリモッド・ゲヘナ……魔法工学の権威だね。それも一等市民だ」
カフカは軽く書類に目を通して、ミラに手渡す。
「え、これやるんですか?」
ミラは驚いた様子で尋ねる。
一等市民に手を出せば痛い目に遭うのは常識だ。
敵対でもすれば、彼らの特権を行使され長期間に渡って逃げ回ることになりかねない。
とはいえ、これを断れば今度こそディーナが実力行使に出るだろう。
「これくらいなら引き受けていいと思う。けど……」
ディーナに視線を向ける。
これは重要な交渉だ。
「……最近はラトデアの監視があるからね。私たちが直接動けば、不在の隙を突かれてしまいかねない」
カラミティとの抗争に備えつつ、並行してラトデアの動向まで監視する必要がある。
そこに上乗せで別件の依頼を与えられると自衛できなくなってしまう。
彼女は"ラトデアくらいなら潰してくれるよね?"という要求をしているのだ。
もしくは足止め程度でも、時間を稼いでくれるならそれで構わない。
その発言にディーナは不愉快そうな素振りを見せる。
「……いいでしょう。対価としては釣り合っていますから」
見下している相手からの交渉だったが、組織としての都合もあって呑まざるを得ない。
あるいは要求を通せる範囲をカフカが上手く探れているのか。
いずれにしても、今回はそれを承諾した。
「交渉成立だ。神に感謝だね」
カフカは祭壇の奥を振り返る。
少女の姿をした石像――細部には金装飾が施されていて、瞳は紫水晶が嵌め込まれている。
「そんなものを崇拝したところで無意味でしょうに」
「さて、意味のあるものって何だろうね――"Gott ist tot"って、街中で叫んでみたら少しは分かるんじゃないかな」
シニカルな笑みを浮かべる。
神という存在に一番囚われているのはキミの方じゃないか、と。
「私は思うんだ。ラプラスシステムは、最も神に近い存在なんじゃないかって」
カフカがゆっくりとディーナに歩み寄る。
「はたして、本当に彼女をプログラムされた枠組み内に留められるのかな。遺物とはいえ偉大な魔女には変わりない」
遺物は便利な道具ではない。
危険性を誰も理解せずに手を出している。
そう主張して、カフカはこの社会の在り方そのものを批判する。
「狂人の戯言に付き合っている暇はないので」
近付かれることを嫌うように顔を背ける。
何故だか分からないが、カフカには他とは違う"何か"があるように思えた。
こういった巧みな話術で他者を惑わせる――それこそがトリリアム教会の強みなのだろう。
カフカを相手にまともに話をしようなどと考えてはならない。
予め知っていなければ、ディーナ自身も動揺してしまったかもしれない。
知っていたとしても忘れさせられそうなほど、彼女の世界に引きずり込まれそうになっていた。
どうせペテン師だ――と、面倒な問答を振り払うように強引に話を変える。
「後程、不要になった実験体を運び込むので」
ディーナは一覧をミラに投げ渡す。
魔物を使役する力があるため、たとえ処分する予定の実験体でも戦力になるなら活用させた方がいい。
「うわっ、これ結構エグい事してますねえ……」
自然発生した魔物から、人体実験によって生み出された生体兵器まで。
いずれも知性を失ったことで制御不可能と判断され、近い内に廃棄予定となっているものだ。
だが、魔物であればミラなら使役することができる。
戦力補充は彼女にとってもありがたい話だ。
一覧に並んでいるものは、どれもシンジケート間の抗争に使うようなものではなかった。
チェリモッドを拉致する際にも使えということなのだろう。
「これだけ施したのだから、今度こそ成果を出すように」
警告を残して、ディーナは姿を消した。




