314話
――C-5区画深部、セクタβ。
踏み入れ先に広がる光景。
眩しいくらいの白で統一された研究所は、あの悪夢を想起させる造りをしている。
深く淀んだエーテルが満ちているせいで気分が悪くなりそうだ。
「あの男の研究所と同じ設計をされてる」
間違いない、とクロガネが告げる。
まさかあの男が他者に研究施設の設計を委ねるはずもない。
あらゆる分野に精通しているのだから、そもそも誰かを頼る必要など無い。
壁面から照明、区画を隔てる電子ロックを施されたドアまで。
何から何まで同じデザインというのが、拘りの強い性格を表している。
「やはりか」
その言葉を疑いもせずそのまま受け入れる。
彼が改造手術を受けた施設は違った内装をしていたらしい。
クロガネが研究施設から脱走したのは最近のことだ。
時期が近ければ類似する可能性もあると判断したようだ。
「……違う」
違和感が拭えず首を振る。
自分たちが手掛かりを見つけ出したのだろうか、と。
そんな生温い事をする人物ではない。
彼は周到に準備をして、盤上を弄ぶ頭脳を持っている。
決して迂闊に設計を似せてしまったわけではない。
こちらが気付けるようにわざと痕跡を残しているのだろう。
前提として、この施設を探し当てるには配管の素材が違うという点を見抜けなければならない。
入口を割り出せる能力も必要だ。
さらに魔物を排除しながら、深部まで辿り着けるとなれば――。
「来ることを知っていたんじゃない?」
「……まさか、とは言えんな」
ユーガスマも同じ考えに至ったらしい。
あの男ならそこまで予測しかねない――全て筋書き通りであると警戒しなければならない。
だがいったい、どこまでが筋書き通りなのか。
「以前、私の制御装置を壊しただろう?」
ユーガスマが自身の胸元を指す。
思考に影響を及ぼし、極端な規範意識を植え付けることで彼の自我を縛っていたものだ。
「あれがどうしたの?」
「少なくとも、あの段階で破壊される想定はしていなかったらしい」
拉致されたヘクセラ・アーティミスの救出。
その成功に対して、フォンド博士は報酬を与えようとしていた。
「博士は自身の頭脳に絶対的な自信を持っている。そして、思考の不意を突かれることを歓迎するタイプでもある」
だから愉快そうに嗤っていた。
少なくとも、今現在ユーガスマが自由を手にしていることは筋書き通りではない。
この研究施設を暴かれる事自体は想定内。
だが、今ではない可能性が高い。
僅かでもアドバンテージを取れるのであれば、今回の調査は価値のあるものと言えるだろう。
「軌道修正も早そうじゃない?」
「時と場合に依る」
イレギュラーが発生することを喜ぶような人間だ。
そのまま観測を続ける可能性もある。
結局のところ、尤もらしい推測を幾つも並べたところで大した意味を成さない。
だが、今はそれよりも――。
「……ッ」
施設内に警報が鳴り始める。
電気が通っているままなのだから、当然セキュリティも稼働している。
この施設の重要性を考えれば、
「そろそろ本番のようだ」
防衛システムが起動し、機械兵が通路の奥から続々と現れる。
未だ『探知』は使えないが、足音だけで数えるのも馬鹿らしいほどだと察してしまう。
「――『解析』」
左右対称な四足歩行型で、中心部には大型のガトリング銃を搭載している。
弾薬は内蔵されている動力炉からエネルギーを抽出し、常に生成し続けているようだ。
装甲部分には魔法物質を混ぜ合わせた合金。
厚さは無いが並の銃火器では簡単に弾かれてしまう。
その上、同じく内部の動力炉からエネルギーを抽出しESSシールドを展開させている。
かなり頑丈そうだ、とクロガネは武器を変更する。
「機式――"ペルレ・シュトライト"」
貫通力に特化したライフルを呼び出す。
あまり消耗したくないが、鉛玉では効果が見込めない。
銃を突き出すように構え――。
「ッ――」
弾丸を撃ち出す。
直後、先頭を駆けていた機械兵が大きく仰け反る。
だがESSシールドを貫通した様子はない。
クロガネは舌を打ちつつ、敵を接近させないように再度仕掛けていく。
これだけエーテル濃度が高い環境で研究施設を守ってきたのだ。
特に、最奥には悪魔堕ちらしき凶悪な気配もある。
地上で稼働している機械兵と比べても強度は別格のようだ。
距離が近付くと、今度は機械兵のガトリング銃が音を鳴らして回転を始める。
一直線の通路には遮蔽物がない。
距離を取るべきかと逡巡したところでユーガスマが前に出る。
「少し手を貸そう」
手を交差させるように構える。
同時に最前列の機械兵たちが攻撃を開始する。
無数のガトリング銃による飽和攻撃。
通常ならば成す術もない状況だが、その全てを驚異的な動体視力で見切って叩き落とす。
その手捌きは、やはり今のクロガネでも目で追えない。
同じ芸当をできる者がこの世界にいるだろうか。
等級の高い魔女は何人も見てきたが、彼はそれより遥かに高次元の存在だ。
機械兵の弾薬が切れたタイミングでユーガスマが振り返る。
「怪我はないか?」
「おかげさまで」
不機嫌そうに返す。
能力を使えば問題なく対処できたが、この場はクロガネに温存させることを選んだらしい。
「けど、セキュリティに足止めされている場合じゃない」
クロガネが再度銃を構える。
通用しないなら、より魔力を上乗せさせればいい。
だが、その様子を見てユーガスマが手で制する。
「……なに?」
「以前から疑問に思っていたが。お前はなぜ銃を使う?」
魔女の能力は千差万別。
炎や雷などの自然現象を扱う者もいれば、身体強化のような自身に作用させる者もいる。
個々で自由に選べるわけではない。
発現した能力を磨いていくことは可能だが、根本から変えるようなことはできない。
それ自体が魂と結びついているとされている。
「……」
クロガネが能力を発現させたのは機動試験の時だ。
戦うための武器を求めた結果、そのイメージに応じてエーゲリッヒ・ブライが呼び出された。
「固定観念に囚われてはいないか?」
そう言うと、ユーガスマは拳を構える。
彼らしくない乱暴な魔力の流れを身に纏っている。
戦い方を示すように――機械兵に襲い掛かる。
圧倒的な暴力。
自らの身体能力に任せ、強引に敵を捻じ伏せていく。
だが、その中に確かな戦闘理論と技術を感じられる。
クロガネが破れなかったESSシールドを拳一つで、機械兵ごと叩き割っている――強者にのみ許される戦い方だ。
ある程度の敵を排除した上で、ユーガスマは手を下ろす。
「慎重に敵を見極めるのも重要だが……確か『限定解除』だったか。威力を求めるならば、あれくらい単純でいい」
唯一、クロガネと対峙して警戒した魔法。
彼の言う『限定解除』は、魔力を全て『破壊』のエネルギーに変換して身に纏うものだ。
原初の魔女と繋がりを断った今でも擬似的に再現可能だ。
能力に頼り過ぎてはいけない。
技術を磨かなければ真の強者には敵わないと考えていたが、
「その能力を深く理解すべきだ」
既に技術は完成されている――ユーガスマはそう評価している。
より強さを追い求めるのであれば、己の能力を最大限に発揮するために理解を深め、応用性を高めていくべきなのだと。
「能力を深く理解する……」
クロガネは何かに気付いたようにペルレ・シュトライトを見つめる。