313話
「――ようこそ、迷える子羊たち」
礼拝堂の最奥でカフカが嗤う。
両腕を広げ、歓迎の意を示しながら弱者たちを見下ろす。
炊き出しの最中に仕組んだ一手。
配給を受け取る際の顔を見て、気に入った者にはパンとスープに飾り付けるように紙切れを一枚握らせていた。
神父の真似事をしながら祭壇の前に立ち、集まった者たちに微笑む。
これは慈愛の手だ。
地獄から引き上げてくれる唯一の救いがここにあるのだと。
そう見せかけているだけのペテン師だということに誰もが気付けずにいる。
哀れむ素振りだけでいい。
彼ら彼女らの悲しみなんて、どうせ聞いたところで理解できない。
だが、どう振る舞えばいいのかは知っている。
「君たちが欲しているものを用意してあげよう。どんなものでも、全てを望むままに」
「あの紙に書いてあったことは……本当なのか?」
一人の男が尋ねる。
カフカから手渡されたメモ書きに希望を見出して、強く握り締めてここまでやってきた。
「嘘で人を集める理由はないからね。それは君たちもよく知っているはずだ」
トリリアム教会はユリンホーフ居住区に強く根付いて浸透している。
ガス抜き目当ての過激な教義を掲げるわけでもなく、地道に慈善活動を続けている新興宗教だ。
人手が欲しいと言えば、集め回らずとも事足りてしまう。
それだけ人々から感謝されている団体なのだ。
後暗い稼業に手を染めている……そんな噂が流れていても、大半の者は気にしない。
この場に集められた者たちは、それに当てはまらない"例外"だった。
「さて、本題に入る前に……」
カフカは口元に指を添える。
集まった者たちの顔をゆっくりと順番に眺める。
今回も面白いことをしよう。
悪い事を考えながら、それを一つずつ進めていく。
「君たちには共通点がある。何だか分かるかな?」
まともな住居もない三等市民。
貧困に喘ぎながらも、そこから脱する手立てもない。
こんな身分では面接に漕ぎ着くことさえ不可能だ。
馬鹿の言う事まで聞くつもりはない。
期待している回答が出るまで聞き流していると、
「"元"二等市民だ。透き通った飲水の煌めきも、焼きたてのパンの柔らかさも知っている――」
過去の自分はどんな生活を送っていたのか。
幸福な日常を想起させ、土埃に塗れる今現在の姿と見比べさせ――彼ら彼女らの欲望を増大させる。
切っ掛けは些細なものでいい。
僅かでも付け入る隙があるのなら、カフカは瞬く間に洗脳してしまう。
精神に作用する特殊なお香を焚いている。
カフカの演説に耳を傾けている間に、礼拝堂は熱狂に呑まれていく。
「君たちはただ私の言葉だけに耳を傾けていればいい――」
こうなってしまえば、この後は何を言っても信じ込ませられる。
どんな無茶な要求であっても嬉々として受け入れるだろう。
「這い蹲って泥水を啜るような日々。そんな場所から君たちを救ってあげられるのは私だけ――」
刷り込みを成功させる取っ掛かりを作り出したのは、炊き出しの際に握らせた一枚のメモ用紙。
「――その先で、今度は君たちが導く側になるかもしれないね」
トリリアム教会の幹部候補を探している。
そう嘯いて、甘い言葉で罪へ誘う。
これは再起の機会だ。
熱狂している者たちと対照的に、カフカの目は冷ややかだ。
もちろん、優秀な人材が混ざっていたなら採用してもいい。
カフカの観察眼で見抜けないほどの才能を隠していたなら、という有りもしない前提が横たわっているが。
分かりやすい要求と実行に必要な道具を与える。
銃火器だけに留まらない、様々な危険物を簡単に手渡して、
「先ずは、君たちの信仰を見せてほしいな」
競い合わせるようにテロ行為へと駆り出す。
標的はカラミティ。
報酬は教会幹部の地位。
こうすれば人を簡単に操れる。
トリリアム教会の人員に被害を出さず、最小限のコストだけで実行部隊を手に入れられる。
熱烈な歓声に応えるように手を挙げ――。
「――『思考凍結』」
指を鳴らす。
礼拝堂内に軽快な音が響いた。
「さて、こんなものかな」
いつも通りの洗脳作業を終える。
カフカは演技を止め、着心地の悪い神父の服を脱ぎ捨てて肩を竦める。
「終わったよ、ミラ」
「こっちも終わりましたよ」
束ねた煙草に火をつけて、恍惚とした顔でそれを咥える。
睡眠時間を除けば常に吸い続けているような生活だ。
洗脳済みの人間たちに言葉は届かない。
先ほどまで熱狂に包まれていたが、今では気味が悪いほどの静寂に包まれている。
まるで時間が止まってしまったかのように佇んでいるだけだ。
「あー、今回も見事にキマってますねえ」
「人のこと薬物みたいに言わないでほしいな」
カフカが不服そうに言う。
そんな彼女に「いや自覚ないんですか」とツッコミを入れつつ、ミラは集まった者たちを見渡す。
「信仰もドラッグも変わらないでしょう?」
人々の心を掌握する魔法。
こちらに一定以上の好意的な感情を持つ相手を意のままに操る――カフカの持つ特異な能力だ。
制約があるとすればそのくらいだ。
効果を考えれば破格と言っていいほどの魔法だろう。
「で、これをどう使うんですか?」
武装しただけの素人では、本職相手に大して役に立たないだろう。
カラミティは犯罪組織の中でも手練れ揃いだ。
数合わせだけでは意味がない。
「――『悪意増幅』『視野狭窄』」
罪の意識を薄れさせ、目的のために何事も躊躇わず実行するように。
自らの魔法の勝手を理解しているからこそ可能な調整だ。
「頭のネジが外れた人間って結構怖いよね」
「カフカがそれを言うんですか……」
身近に最適な例が存在しているからこそ。
それと同じ性質の"歪み"を与えられた捨て駒たちの価値が分かってしまう。
「まあでも、使い道は決めてないんだよね」
「えぇー……」
何か指示を出すつもりはない。
あくまで行動を起こす切っ掛けを与えたに過ぎない。
「これだけの人数がいるんだ。その分だけ悪意にも種類がある」
方向性を持たせる必要はない。
手段は彼ら彼女らに委ね、それを見守るだけ。
ゾーリア商業区内で同時多発する悪意の数々。
その対応に追われ、カラミティは振り回されることだろう。
強盗や殺人の真似事が大半だろうが、カフカでも予想できないような、もっと面白いことも起きるかもしれない。
「さて、と――『思考再開』」
人々の意識が戻る。
その見た目こそ以前と変わらない。
だが、魔法の影響で中身は全くの別人に生まれ変わっていた。




