307話
深部へ進むにつれてエーテル濃度が高まっていく。
エーテル公害の影響を受けている地上もかなりの数値を示していたが、この場所は比較にならないほどだ。
生身の人間ではこの環境に耐えられない。
魔女でも咎人級程度では動けなくなりそうだ。
この先には、それほど凄まじい"元凶"が控えているのだろうか。
だが、配管自体は魔法物質による合金を用いられているらしく、腐食した跡などは見られない。
この異様なエーテル濃度も予期した上で作られているようだ。
人為的に生み出されたエーテル公害――そんなユーガスマの話も頷ける。
トリガーこそ黎明の杜によって引かれたが、そのための下準備としてこんな馬鹿げた施設を作った人間がいるらしい。
「深部には何があるの?」
「さて、な。これほどの規模では、何が控えているか推測し難い」
エーテル公害の原因は多岐に渡る。
戦慄級相当の魔物が自然発生した場合。
発生自体が周囲にエーテルを振り撒く性質を持っており、周囲の土地を汚染してしまう。
これまでユーガスマが対処してきたものは大半がここに分類される。
元凶となる魔物を排除することで終息する。
エーテル公害の大半は、突発的な魔物の発生による汚染が原因だ。
通常の魔物発生と異なり、これは一帯のエーテル値に関わらず生じるリスクがある。
別のものとして、魔法物質を原因とするものもある。
採掘作業中、解析しきれていないものを下手に刺激してしまったり、未知の性質を持つものが新たに見つかった際に生じる。
採掘現場の地下深くで発生することが多いため、基本的には居住区を汚染することは少ない。
だが、これが人為的なものだとすれば。
隠す必要もない、とユーガスマが端末画面に資料を表示させる。
「この層を利用している可能性が高い」
画面には政府が管理している地質調査報告書が表示されている。
このC-5区画に関する地質図が描かれており、
――地下深くに巨大な静性メディ=アルミニウムの層がある。
エーテル遮断性に優れた魔法物質。
二人が歩いている配管もそうだが、何かを隠すには丁度良い。
これなら煌学スキャンも通用しない。
ラプラスシステムでも層内部の状況までは分からないはずだ。
「……ここを魔物培養のために利用していた」
あれほどの事変を引き起こすほどの魔物を育てていた。
内部の環境は見てみなければ分からないが、今いる場所よりもさらに高濃度のエーテルで満たされていることだろう。
それを実現するには"種"が必要だ。
エーテル公害等の突発的な事象を除けば、何もない場所に魔物が発生することは基本的にあり得ない。
この静性メディ=アルミニウム層にそれが発生したと考えるのも都合が良すぎるだろう。
深部から感じる高濃度のエーテル。
近付くほどに、それを放つ"何か"がいるのだと分かるようになってきた。
「遺物でも投げ込んだんじゃない?」
「可能性は十分にある。遺物を中心とした培養環境……未だ魔物が跋扈している封鎖区域では、稀にだが、そういった状況が自然発生していることもある」
その構造を知り、再現可能な頭脳と技術、資金を持ち――そして人々に害を与えることを厭わない。
そんな人物が何人もいては堪らない。
ここまで事前調査した上で、確証を得るためにユーガスマは潜入をしているようだ。
そんな様子にクロガネは肩を竦める。
「ちょっと真面目すぎない?」
「証拠は必要だ」
執行官としての癖が抜けていない。
その真面目さは大したものだが、クロガネからすれば頭に銃口を突きつけた方が手っ取り早いと考えてしまう。
彼にはそれが可能なだけの力がある。
頑丈な防壁も強固なセキュリティも全て拳一つで打ち砕けるのだ。
大半のことを暴力で解決できてしまう稀有な存在。
そんな視線に、今度はユーガスマが疑問を返す。
「人を殺めることに抵抗はないのか?」
クロガネの経歴は魔法省に在籍していた時に調査済みだ。
多くの命を奪っている一方で、無差別に殺しを行っているわけでもない。
だが、敵対した者は必ず始末している。
無力化するなり戦闘を避けるなりできた場合もあったはずだ。
それでも殺すという選択をした理由は、自身の魔力を強化するというだけとは思えない。
殺した相手が人違いだったら。
濡れ衣だったなら。
自分の勘違いで、全く関係ない人間を殺めてしまったなら。
命を奪うという行為の重大さ。
それを知っているユーガスマは、確認すべき事項を飛ばして過ちを犯してしまうなどという事態は避けたい。
だが、たとえ標的を誤ったとしても。
「別に。それが一番手っ取り早いからってだけ」
クロガネほどの技量があれば殺してしまうのが一番早い。
敵を見逃したことで、後々になって後悔するような事も避けたい。
もし人違いだったとしても関係のないことだ。
自分は元の世界に戻ることだけを考えていればいい。
些末な問題に気を取られていたら、その分だけこの世界で人生を無駄遣いしてしまう。
「そうか」
心情的な部分がそうさせているのだろう……と。
痕跡が残ってしまうとしても、一刻も早く解決させたい"何か"を抱えている。
それは悪意とは別のものだとユーガスマは考えていた。
フォンド博士による改造手術を受けた実験体――0040Δという文字列を割り当てられたことと何か関わりがあるのかもしれない、と。
とはいえ、クロガネは詮索されることを嫌う。
探りを入れても機嫌を損ねるだけだ。
答えを知りたければフォンド博士に聞くしかないのだが――。
「……ここか」
ユーガスマが呟く。
長い配管を辿り続けた先に待っていたのは、電子ロックが施された巨大なドアだった。
――深層領域、セクタβ
ドアの上部にある電子パネルには、この先の施設についてそのように表記されていた。
どうやら、ここからは隠すつもりはないらしい。
「この先にあるの?」
「想定していた静性メディ=アルミニウム層より浅い。まだ公害の中心まで距離がある」
だが、目当ての場所に繋がっている。
この研究施設は魔物の培養環境を管理・調整するための観測基地である可能性が高い。




