302話
抉じ開けた鉄蓋の奥には、最低限人間が通れる程度の通路が隠されていた。
何かを運搬するには厳しい広さだ。
上下幅こそ二メートル程あるが、不安定な金網の足場が無造作に敷かれているだけ。
とてもだが、研究道具などを持って歩けるような場所ではない。
だが、確かに通り道になっている。
不自然な強度を持つ配管には、恐らく魔法物質が用いられているのだろう。
「……」
内部は『探知』が上手く機能しない。
エーテル遮断性の高い静性メディ=アルミニウム等で表面を覆っているのだろう。
能力に頼らず五感で索敵をした方が良さそうだ。
「あの日、C-5区画には議員たちの姿があった」
ユーガスマが言葉を溢す。
体内に埋め込まれたコアによって制御されていた時期のことだ。
「私は政府に忠実であるように"調整"されていたようだ。何十年にも渡って、記憶すら改良されていた」
解放された直後は記憶の混濁が激しかった。
どれが真実でどれが偽りなのか。
覚えていること全てを整理しなければならず、未だに真偽不明な箇所も幾つも残っている。
歩みを進めながら、ユーガスマは話を続ける。
「この身は実験によって生み出された兵器だ。当時行われた強化人間プログラムに、唯一、私だけが適応し生き延びた」
人体にエーテルを侵食させつつも、魔物のように変異しているわけでもない。
筋繊維や骨格は常人のそれと比にならないほど強化されている。
拳だけで戦慄級の魔女を制圧できるのだから、多くの犠牲を出したことも無意味ではないのだろう。
当然、それだけがユーガスマの異常な強さを象っているわけではない。
鋭い観察眼と磨き上げられた技術があってこそだ。
もし彼が強化手術を施されていなかったとして、TWLMの一本でも持っていたらやはり警戒対象になっていただろう。
「――お前もそうだと聞いた」
同時に、一瞬だけクロガネから殺気が走る。
どこからその情報を得たのか。
問い質すような視線に、ユーガスマは気にした様子もなく続ける。
「博士自身が言っていた。被害者は一人二人では済まないだろう」
そして、成功作が複数例存在していることも。
魔法省に新設された機動予備隊について、彼も知らないわけではない。
「どこまで知っているの?」
「被検体として囚われていた事と、脱走以後の裏社会における経歴までだ。それ以前の情報は一切得られなかった」
当然だ、とクロガネは内心で呟く。
召喚されるまでこの世界に存在していないのだから、どれだけ調べたところで素性が分かるはずもない。
「詮索するつもりはない。境遇を哀れむつもりもない」
「なら構わないけど」
似たような境遇にあるのは確かだ。
改造手術によって望まない人生を歩むことになった二人。
道程こそ正反対ではあるものの、似通った原動力を抱えている。
――憎悪。
この歪な世界に。
自由の無い窮屈な人生に。
黒い思惑に絡め取られていなければ、きっと今よりマシな人生を歩んでいたはずだ。
「博士のデータベースに侵入したいという話だったな」
ユーガスマが尋ねる。
この世界に召喚技術があるならば、送還技術があってもおかしくない。
今はなくとも不可能な話ではないはずだ。
今回の調査結果次第では、ユーガスマからの協力を取り付けられる。
交換条件として提示されたのがC-5区画の調査だった。
「あの男に不審を抱いているのは同じでしょ?」
「否定はせん。一方で、多大な社会貢献をしていることも事実だ」
戯れに生み出した発明の数々。
それこそエーテル公害を抑え込んでいる隔壁も、彼の研究成果の一つに過ぎない。
人々の営みを発展させてきた功労者という点は否定しようがない。
「だが、このエーテル公害が人為的に生み出されたものであれば――」
ユーガスマの眼光は鋭い。
多くの命が失われた大災害に関与していたなら、それこそ人類に仇なす危険因子だ。
今更になって三等市民の死を嘆いている。
思考を管理されていたせいとはいえ、結果的には見過ごしてしまった。
そして、不定期に行われる"調整"を請け負っていたのもフォンド博士だった。
「……そう」
既に彼の中で答えは出ているように思えた。
CEMや統一政府を敵に回せば表社会で生きていくことはできない。
あくまで確認のため。
自らの信念をより強固にするため。
どうせ長くない命なら、復讐に燃やすのも悪くはない。
「けど、後任はかなり焦ってるんじゃない?」
「カラギのことか」
長年経験を積んできた執行官だ。
経歴も実績も申し分ない。
だが、能力面に不安はないものの、前任のユーガスマと比べれば戦闘能力は大幅に劣る。
「偏屈な奴だが、社会のために尽くせる男でもある。やや小狡いが頭も回るな」
ユーガスマからも評価されているらしい。
クロガネから見ても、やはり能力面はかなり優秀なように思える。
「……いずれにせよ、私が魔法省に戻ることはないだろう」
人生を復讐に捧げている。
悪道に落ちたわけではないが、正道を辿っているわけでもない。
自身が望むがままに突き進んでいるだけ。
覚悟を決めた表情だ。
それを羨ましく感じてしまうのは、まだ自分が半端な気持ちでいるからだろうか。