299話
煤けて色褪せた礼拝堂。
燭台の灯火が亜麻色に、薄暗く内部を照らしている。
「面白いことになってきたね」
祭壇に腰掛けながらカフカが呟く。
誰に話しかけるわけでもない独り言だが、この場にいるのは彼女一人だけではない。
「勘弁してくださいよ。相手はあの"禍つ黒鉄"でしょう?」
仰々しい衣に身を包んだ少女が言う。
いかにも聖職者――こんな教会で出会ったなら、それこそ"聖女"とでも見紛うような作り物めいた美貌を讃えている。
そんな外見とは裏腹に、気の抜けきった顔をして煙草を何本も咥えている。
トリリアム教会の偶像役を担う無法魔女――彼女は対外に向けミラと名乗っている。
「アレが幾つシンジケートを潰したか、カフカもご存知でしょう?」
裏社会に流れている情報だけでも背筋が凍るようなものばかりだ。
恐らく初めてと思われる依頼からあのガレット・デ・ロワと繋がりを持ち、今では無法者たちの街であるゾーリア商業区を牛耳っているという。
「もちろん知っているよ」
――あのユーガスマ・ヒガと何度も遭遇して無事なことも。
カフカは少しだけ口元を固く結ぶ。
人類最強と呼ばれる彼と渡り合えるとなれば、何よりも実力の証明となる。
戦慄級――それもかなり上位の力を持っていると考えるべきだろう。
台頭している無法魔女の中で、脅威となる順に挙げたとしても片手で済むくらいだ。
「ディープタウンの管理者を除けば……我々の脅威となるのはガレット・デ・ロワと堕の円環、そしてカラミティくらいだろうね」
「で、その内の一つと殺り合おうと」
ミラはいかにも面倒そうに顔を歪めて肩を竦める。
そうしてじっとカフカの顔を見つめるが、特に否定の言葉は出てこない。
「はぁ……本気なんですね?」
他でもないトリリアム教会のリーダーが決めた方針だ。
態度こそ従順さの欠片もないが、最終決定に異を唱えるような事はしない。
「でも、ウチがカラミティとやり合っていたらラトデアが黙ってないんじゃないですか?」
「それなら問題ないよ。既に手は打ってある」
同志が多いからね――と、カフカが嗤う。
「けれど、君には厄介な仕事を任せることになるよ」
「えぇー。ちなみに何をすれば?」
「カラミティの幹部――大罪級『屍姫』の殺害」
カフカの視線がミラを射抜く。
実際には目元は布で覆われているのだが、確かにその目は真っ直ぐに彼女を見つめているように見えた。
「彼女の能力に対抗できるのは君だけだ。頼めるかな?」
「どうせ断ってもやらせるんでしょう?」
嫌そうに顔を顰めるミラを見て、カフカが「もちろん」と返す。
小動物を突いて愛でるような笑みを浮かべていた。
「はぁー。やればいいんでしょう、やれば」
ミラは既に観念した様子だ。
抗争自体に反対しているわけではなく、行動に移るのが億劫なだけ。
無謀な仕事を任されたと思っているわけでもない。
「ただ"仕入れ"には時間をくださいよ。あちらの保有戦力は未知数なわけですし」
「それは構わないよ。必要なら、封鎖区域への立ち入りも可能なように手配するつもりだ」
本来なら魔法省か軍務局の管理下に置かれ、厳重な警備が敷かれている。
そんな封鎖区域に立ち入るには相応の権限が必要だ。
「せっかく議員とのツテがあるんだ。存分に利用してあげないとね」
「そこだけは割と真面目に反対なんですけどねえ」
ミラが小さく呟く。
もちろん、その決断に背くような真似はしない。
「そういえば、あの幹部の方はどうでした?」
「優秀だよ。精神面も強くて……懐柔するのは難しそうかな」
カラミティの幹部にして、元はゾーリア商業区の一角を牛耳っていた人物――マクガレーノ・フィン・ニア。
商才に長けていると言われているが、それだけではないと話してみて実感していた。
「それだけカリスマ性のある首領なんでしょうね」
「……」
「あ、カフカちょっと怒ってます?」
「まぁ、言ってしまえば人間的な魅力で負けているってことだからね」
そういう性質の魔法だから……と、カフカは感情らしいものを見せる。
だが、ミラはそれが"フリ"だと知っている。
これはあくまで、彼女の劇場の一幕でしかない。
フリとはいえ、まだ人間らしい反応をしてくれるだけ優しい方だろう。
その程度には気に入られている。
だから、安心して彼女の側にいられるのだ。
ヒーローを演じている俳優だって、普段から人助けをしているわけではないのだから。
舞台袖に隠された本性をミラは知っている。
「それで、カラミティにはどう仕掛けていくんですか?」
「ゾーリア商業区を地盤から崩していく。ヤクの売人でも潜り込ませれば、一週間もかからず影響は出てくるんじゃないかな」
「おー、脳みそがぶっ飛んじゃうようなやつですね」
脳に多大な影響を及ぼすような薬物を蔓延させる。
元より治安の悪いゾーリア商業区で、無法者たちの中に売人を紛れ込ませてもすぐにバレるようなことはない。
「凶暴性が高まるようなやつがいいかな」
「そういうカラダに悪いものは大好物ですからねえ。仕入れは任せてくださいよ」
ミラが嬉々として自身を推薦する。
何本も煙草を咥えながら話す姿には説得力があった。
「今日それ何本目なの?」
「多分ワンカートンは超えましたね」
煙草の空箱を懐から取り出して放り投げる。
どうやら法衣の内側にまだ何箱も隠しているようだ。
「これ最近ハマってるんですよね。結構高いんですけど、もう市場に流通するやつは片っ端から買い占めててー」
「やめときなよ」
「えー、いまさら常識人ぶらないでくださいよ」
文句を言いつつ、ミラは視界の端に移る"檻"を一瞥する。
このやり取りの外側で放置されている犠牲者たち。
戸籍のない三等市民を連れ去って、トリリアム教会の下僕として働くように薬漬けにして洗脳するのだ。
健康面がマシなら、解体して再利用できるように売ってしまってもいい。
裏社会の中でも飛び抜けて倫理観が死んでいる。
こんなことを嬉々として実行するカフカは、きっと犯罪行為そのものを楽しんでいるのだろう。