296話
「さて。チャチな探り合いはここまでにしようか」
口元に薄ら笑みを浮かべながら。
カフカはゆらりと体を揺らして、凭れるように祭壇に腰掛ける。
聖職者らしからぬ無礼な振る舞い。
それも礼拝堂の中で。
少なくとも彼女にとって、この教会は信仰を示すための場所ではないらしい。
それでもこの空間に馴染んでいるように見えて、
「迷える子羊、貴女は何を知りたくて教会の扉を叩いたのかな?」
演劇のような言葉遣いも似合っているように思えた。
大半の人間は終始、彼女の劇場に呑まれてペースを崩されてしまうだろう。
「そんなに可愛く見えるかしら?」
冗談めかしつつも、眼光でカフカを射抜く。
子羊なんて生易しい存在ではない。
猛毒の牙を持つ大蛇――マクガレーノは天性の才能を与えられた"悪党"だ。
「アナタたちがクロガネ様の邪魔になるのかどうか。知りたいのはそれだけよ」
カラミティは統一政府の掌握を目指している。
議席の過半数を奪い、ラプラスシステムの権能を自在に操れるようにするためだ。
その後の展望までは聞かされていないが、そこまでの道程だけでも無謀に無謀を重ねすぎている。
だが、どんな絵空事でさえも。
「ボスを煩わせるようなら容赦しない」
クロガネが掲げていると、本当に成し遂げてしまうのではないかと期待してしまう。
大きな野望に幹部として関わることの喜びと言えば、何物にも代え難い。
「……なるほどね」
強い意思を持った目をしている。
カフカは感心した様子でマクガレーノを見据える。
中規模シンジケートの寄せ集め。
カラミティに対してその程度の認識をしている者は多い。
首領がガレット・デ・ロワと友好関係にあるためディープタウンに招待されている――良いカモではないかと。
だが、事前に下調べをしていたカフカは違う。
商才のみで成り上がったマクガレーノ商会と、武力のみで成り上がったアラバ・カルテル。
そして、ゾーリア商業区で対立していた二つの組織を取り纏める首領。
「よほど魅力的なんだろうね。君ほど商才のある人物が軍門に下るくらいに」
商会とカルテルはそれぞれ一流と評価していい水準だ。
それを従えるほどの人物が、さらに言えば戦慄級の魔女だというのだから。
「……あら。ちょっと失礼」
ちょうど端末がメッセージを受信したことに気付く。
マクガレーノは内容に軽く目を通す。
クロガネが正式にラトデアと友好関係を結んだ。
これによって、周辺地域のシンジケートはこちらに手出しできない状態になった。
この規模の組織を二つ同時に相手取るとなれば、それこそディープタウンでも可能な組織は数える程度だろう。
それと、ラトデアから得たトリリアム教会の直近の怪しい動向について。
確証のない情報だと記載した上で、それでも共有すべきと考えているようだ。
「結論を急いてもいいかしら?」
別に饗しの料理を出されているわけでもない。
ただの立ち話であれば、ゆったりとカフカの演劇に付き合う義理もない。
既に彼女の中では答えが決まっている。
念の為に確認するだけのことだ。
これが思い違いであれば、それはそれで構わない。
しかし、
「それは困るな」
祭壇に置かれていた金の杯に手を伸ばして、弄ぶように転がす。
葡萄酒のような色をした液体が溢れて床に垂れていく。
やや不機嫌そうな声色で呟いて、すぐに笑みを取り繕う。
「でも、回りくどい話をしても楽しめないか」
そう言うと、カフカは祭壇から離れてマクガレーノと対峙する。
嫌な空気だ。
この一瞬だけ――演技をやめたカフカには、黒い思惑を隠すヴェールも何も無い。
彼女自身が持つ純粋な"悪"を発露させている。
やはり魔女――立ち昇るエーテルの気配は本物だ。
殺気と混ざり合ったそれは、マクガレーノが見てきた他の魔女と比べて酷く濁っているように見えた。
「――私たちが崇めているものは何だと思う?」
絵本の登場人物が、物語の中から覗き返すように。
複雑な感情を孕んだ眼が妖しく光る。
「伝え継がれてきた尤もらしい教義。世を憂いても不在を貫くだけの神々。詐欺師の吐息を祝福の鐘だと喜んで――ねえ?」
信仰を嘲るように。
彼女にとって、他者の祈りなどその程度でしかない。
「ありもしない奇跡を信じるなんて、御伽噺に目を輝かせる幼子と変わらないと思わないかい?」
「まあ、一理あるわね」
自らの手で切り開かなければ状況は変わらぬまま。
裏社会で生きてきた者たちは、この窮屈な社会から逃れようと行動に移した。
路地裏に屯しているだけの三等市民では終わらないために。
「なら、アナタはなぜ信仰を掲げるのかしら」
演劇は続くも、これは核心に迫る話だ。
話してくれるというのであれば、舞台に留まって付き合わざるを得ない。
「神は実在する。それを証明するために、我々トリリアム教会が存在している」
目的は神の存在証明。
だというのに、信仰は手段でしかない。
「そう。よく分かったわ」
明らかに矛盾しているが、彼女にとってそれが正しい事なのだろう。
どこか歪んで、ネジが外れて狂っている――その表面だけを取り繕っているだけ。
元より悪党などそんなものだが、カフカはどこか違って見える。
重大な"何か"を知っている。
これが狂人のフリでないのなら、それ以外に考えられなかった。
だが、きっと彼女は核心までは触れさせてくれない。
語り終えると、彼女の振る舞いが演者のそれに戻る。
あるいは、一連の会話は全て筋書きだったのか。
「あぁ、それと一つだけ」
ここまで演劇に付き合ってくれた礼に……と。
良く出来た笑みを貼り付けて、口元に指を添えてウィンクする。
「いずれ我々の利害は対立する。必ず、ね」
愛を囁くような声色で、カフカは敵対を宣言した。