294話
嘘偽りは欲していない。
クロガネは試すように殺気を放つ。
彼の本心を聞くためだけに、わざわざクロガネ一人でラトデアの本拠地まで足を運んだのだ。
返答次第で今後の関係が決まってしまう。
そんな張り詰めた空気に、
「目指していた」
そう言って、ジェンナーロは肩を竦める。
至って自然な様子だ。
「俺の家名は知っているだろう?」
――ジェンナーロ・コンラッツェ。
それ自体は特に珍しいわけでもない。
だが、改めて姓について問われると思い浮かぶ人物が一人いた。
「……マズロ・コンラッツェ」
「弟だ。優秀な奴だった」
クロガネの呟きを肯定して、補足する。
かつてガレット・デ・ロワと敵対したシンジケート――オーレアム・トリア。
CEMの技術を持ち出した研究者と繋がりを持ち、マギ・ブースターの専売によって荒稼ぎしていた組織だ。
「血の繋がりはないがね。同じスラム街に捨てられて、物心付いた頃から行動を共にしていた」
だから兄弟だ、と。
幼少期の自分が何を思ってマズロを助けていたのか、今になっては思い出せないほど遠い記憶だ。
そんな理由など今更どうでもよかった。
「アイツは欲をかきすぎた。組織の利益を重視するあまり、地雷原に嬉々として飛び込んでしまったんだ」
「……そう」
煌生物学者セフィール・ホロトニス。
彼女はCEMの研究資料を持ち出して、マギ・ブースターという煌性発魔剤の一種を生み出した。
その販路を独占できるとなれば、莫大な金を生み出すことは想像に易い。
当時は情報が少なかったが、今なら幾つかの可能性を推測できる。
ジェンナーロがどこまで知っているか不明だが、こちらの持ち得ない内部事情も把握しているかもしれない。
「我々にとっても良い教訓になった。アイツの舎弟たちは、一部はそのままラトデアに流れ着いている」
大半はガレット・デ・ロワによって"処分"されてしまったが、抗争に直接参加しなかった者も少なくない。
行き場のない彼らをラトデアが拾ったようだ。
「なら、今回の饗しも反発があったんじゃない?」
「まさか。例の戦争屋を一人で相手できる無法魔女に、そんな馬鹿なことを考える奴はいない」
迂闊に手を出した自分たちが悪い。
強者が奪い、弱者が泣く。
力が全てである裏社会に生きていて、そんな逆恨みをしていたら命が幾つあっても足りないだろう。
「その経験があるからこそ、カラミティ結成の噂を耳にした時は皆が口を揃えていっていた。"敵対すべきじゃない"と」
優秀だと評価していた弟分が育てた舎弟たちだ。
そんな彼らの提言を、自らのメンツのためだけに一蹴するような真似はできない。
無論全てを鵜呑みにするつもりはない。
こうして食事会に招待したのも、ジェンナーロ自身で見極めたかったという理由が大きい。
その結果、彼は部下たちの提言通りと認識したようだ。
「そう」
護衛たちのピリついた空気は、万が一の際にジェンナーロを逃がせるように構えているだけ。
殺気は感じられないのもそのせいだろう。
本当なら事が起こってほしくない……そんなことを考えながらも、目の前の無法魔女を警戒し続けている。
魔女相手に抵抗は無意味だ。
生物としての強度が違いすぎる。
一番下の咎人級でさえ、力比べでは屈強な成人男性に匹敵する身体能力を持っている。
それが戦慄級ともなればなおさらだ。
クロガネを本拠地に招いているこの時間、きっと彼らは心臓が破裂しそうな思いをしていることだろう。
「我々はカラミティと友好的な関係を築きたい。互いに競合するような稼業もない……どうだろうか?」
その問いを受け、クロガネは改めてジェンナーロを見定める。
組織の利益を考えれば断る理由はない。
ラトデアもまたディープタウンに出入り可能な数少ない組織の一つで、こちらの知り得ない方面の情報も持っている。
慎重派で隙がない。
だが、一等市民を目指す上で支障にはならない。
双方の組織に被害を出してまで、金銭を得るだけのために敵対するのは愚策だ。
「いいよ」
さすがに事情を全て明かしているわけではないだろうが、部外者相手にしては誠実に話しているように見える。
少なくとも、こちらを欺こうという意思は感じられない。
一度様子を見るくらいなら構わないだろう。
短く返答して、グラスを軽く傾ける。
饗しを受ける姿勢を見せると、護衛の男たちも微かに安堵したようだった。
それからしばらく食事を楽しみつつ、今後の事などを含め一通りのやり取りを終える。
ラトデアとは"対等な関係"で友好を結んだ。
「――あぁ、そういえば」
食事が終わった頃合いに、ジェンナーロが一つ話題を持ち出す。
「ここより西側の地域で、何やら怪しい動きがあると報告を受けている」
ラトデアが構えるドートミル居住区は、ゾーリア商業区から見て北東側に位置している。
そこから西となると――。
「……トリリアム教会」
接触を考えている組織の一つ。
そして現在、こちらの幹部を向かわせている場所でもある。
クロガネの呟きにジェンナーロは頷く。
「新規に"対魔武器"の仕入れルートを開拓したと聞く。だが――」
「潜りの技術者にしては規模が大きいって?」
「その通りだ」
嫌な話だがね、と肩を竦める。
マズロの前例もあるため、教会がCEM等の組織と繋がりを持った可能性を警戒しているのだろう。
CEM――対魔女・対魔物に特化した政府直属の機関。
技術開発のために非人道的な研究さえ認められている組織で、クロガネにとって悪夢の元凶となった組織だ。
無論この話に確証があるわけではない。
ジェンナーロは根も葉もない憶測を吐露している。
あるいは、裏社会で生き延びてきた自身の第六感を信じてのことなのだろうか。
「件の革命組織もカルト紛いの活動をしていたが、教会は歪んだ思想を掲げる本物のカルト宗教だ。同業だが……利益を追求するだけの、我々のような組織とは理解し合えないだろう」
カラミティもまた、クロガネが"元の世界に帰還する"という目的を手段を問わず達成するための組織だ。
当然ながら幹部たちにそれを知る由はない。
凄腕の殺し屋として名を馳せる魔女――その手足となって、裏社会で勢力を広げるのみ。
自分が良ければそれで構わない。
そんな理由で道を踏み外したのだから、彼の言葉を否定することはできない。
File:ジェンナーロ・コンラッツェ
犯罪組織ラトデアの首領。
身内に対しては情に厚い一方で、他者には極めて冷酷な一面を見せる。
他組織と比べて非人道的な稼業が多い等、目的のためなら手段は問わない性格。