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293話

 ズキリと走る鈍痛に意識が引き摺り出される。

 重たいまぶたを持ち上げると、まだ見慣れない私室の天井が視界に映った。


「ッ……」


 最近は頭痛が目覚まし代わりだった。

 悪夢にうなされる夜に嫌気が差していた。

 二日酔いに呻くことになると分かっていても、寝ている間だけは嫌なことを忘れて休みたかった。


 そんな弱さを未だに抱えている。

 一度目を覚ませば、仕事に向けて切り替わった意識が自分自身を咎めてくる。


 弱者は食い潰されるだけ。

 常に強く在れと、クロガネは何度も自分に言い聞かせて感情を圧し殺す。


 起き上がろうと手を動かすと、ふと指が柔らかいものに触れる。

 腕に抱きつくように屍姫が眠っていた。


 透き通るような白い肌。

 作り物めいた美しさだが、そこにはしっかりと体温を感じられる。

 ほのかに甘い香りがするのは自分の好みを知ってのことだろう。


 気持ちよさそうに寝ている彼女は、自らの全てを捧げるほどクロガネに心酔している。

 見返りを乞うようなこともせずに。

 

 飲酒していたせいか、情事を終えてそのまま眠りに落ちてしまったのだろう。

 互いに一糸纏わぬ姿で密着していた。

 ベッドの中は熱がこもっていて、寝汗でやや湿度も高い。


「……」


 寝起きには刺激的すぎる状況だ。

 とはいえ、さすがに朝から行為に耽っている時間はない。


 抱きついている屍姫を解いて、クロガネはベッドから出る。


――この世界に来てどれだけ時間が経ったのだろう。


 ふと、そんな疑問を抱く。

 だが正確には、


――この世界でどれだけの時間を失ってしまったのだろう。


 そうやってネガティブな事を考えてしまうくらいには、多くの時間が過ぎているような気がした。

 とはいえ、具体的な日数など数えたくもない。

 数えたくもないが、たまに振り返ろうとしてしまう。


 テーブルに置いてある煙草のケース。

 そこから一本抜き取って咥え、手慣れた様子で火を点ける。


 お気に入りの煙草――銘柄はピスカ。

 カルロを通して定期的に仕入れているものだが、生産量が少ないため一般には流通しにくい。

 手間賃としては割高になるが、報酬に加える形で彼の分も確保させていた。


「……っ、はぁ」


 甘ったるいバニラの香りだ。

 そういえば自分はスイーツが好きだった……などと、くだらないことを思い出しながら。


 嫌な事を忘れたい時は、こうして煙草を吸って心を落ち着かせている。

 それが心地良いか問われたら別にそうでもない。


 煙草に限らない話だ。

 現実逃避のために、何かしらに耽って気を紛らわしたいだけ。

 初めの内は、自分が"そういう人間"なのだと刷り込むように敢えてこういったものを選んできたような気がする。


 今はどうだか分からない。


 煙草も酒も、衝動に身を委ねた情交も。

 結局のところ全て自傷行為でしかなかった。



   ◆◇◆◇◆



 ゾーリア商業区に隣接するドートミル居住区。

 その中でも一際治安の悪いスラム街の奥に、彼らはアジトを構えている。


 荒くれ者たちを率いる武闘派組織。

 その稼業は非人道的なものが多いと言われているが、実態はあまり知られていない。

 規模の大きなシンジケートであるため、魔法省も迂闊には捜査の手を入れられずにいる。


 そんな彼らの本拠地に足を踏み入れる。

 応接室に通されると、


「よく来てくれた。まあ、礼節など気にせず寛いでくれ」


 足組みしながらソファーの背に凭れ。

 ワインの瓶を片手に来客を迎える。


 日に焼けた肌と白いスーツ、そして蒼いレンズのサングラス。

 首元から覗く蛇のタトゥーが印象的な彼こそ、犯罪組織ラトデアを率いる首領。


――ジェンナーロ・コンラッツェ。


 ひと目で"やり手"だと判別が付く。

 一流の人間にしか纏えない何かを彼も持っているようだ。


「どうも」


 彼の言葉通りに礼節など気にせず、クロガネは同様に足組してソファーに座る。

 傍らに控えている護衛たちはピリついた空気だが、こちらの態度に対するものではない。


 ジェンナーロがその内の一人に耳打ちする。

 男は一礼して退室していった。


「それで、わざわざ呼び出した用件を教えてくれる?」


 友人と談笑しに来たわけではない。

 隣接する地域の首領同士が顔を合わせて、仲良しごっこをしようなどと考えるはずもない。


 急かすような態度に、ジェンナーロはゆったりと構えたままグラスにワインを注ぐ。


「せっかくだ、先ずはもてなしでもさせてくれ」


 良いワインが入ったんだと、片方のグラスをこちらに差し出す。

 ここで毒を仕込むような小物ではないだろう。


 かなり古いヴィンテージだ。

 エチケットは最近張り替えられているようだが、その銘柄には見覚えがある――市場にほとんど出回らない希少なワインだ。


 組織の財力を見せるために提供するわけではない。

 クロガネを招くに相応しい代物を用意した結果がこれだった。


 あまりワインは飲み慣れない。

 味わい深い高価な代物より、むしろ安価なワインの方が気軽に楽しめるくらいだ。


 とはいえ、ジェンナーロからの歓迎を無下にはできない。

 グラスを軽く傾けて口に含む。


「我々もカラミティの噂は聞いている。こちらから出向こうかと思っていた折に、連絡を貰ったのでね」


 友好的な関係を築くつもりでいる。

 そう示すように、クロガネの前に様々な料理が並べられていく。


「お抱えの料理人でもいるの?」


 やや過剰な品数、それも一流のシェフが作ったものだ。

 この日のために雇ったとは思えない。


 そんな疑問を抱くクロガネに、ジェンナーロは愉快そうに笑みを浮かべる。


「見ての通り饗し好きな組織だ。他人を蹴落としてでも、自分が良い思いをしたい……そんな連中の集いだよ」


 反対の意味を持つような言葉。

 だが、その主軸に据えられているものを考えれば筋は通る。


 自らの欲求を満たすために結成されたシンジケート。

 彼らは極めて原始的な"悪"であり、一番理解しやすくもある行動原理を持っているようだ。


「何も一等市民に限らないだろう? 贅沢三昧を許されるのは」


 高価なワインを安酒のように雑に呷り、悪い笑みを浮かべる。


 上流階級のような生活に憧れて、アテのない彼らは裏社会に転がり込んだ。

 同じ志の無法者たちの大半は道半ばで倒れていく。

 ここまで成り上がれたのは、首領であるジェンナーロが優秀だからというだけではない。


 ただ、運が良かった。

 始まりから現在に至るまで、幾つもの窮地を豪運によって切り抜けている。


「そう」


 自分たちは生きている、そんな実感を得るために。

 食事だけではない。

 様々な嗜好品や調度品、衣類に乗用車に居住空間……ただ己の欲望を満たすためだけに集ったのだ。


 抑圧された社会活動に反発するよう裏社会に足を踏み入れたのだ。

 そこらの市民たちでは一生得られないような経験を、彼らは犯罪に手を染めることで強引に勝ち取っている。


 良くも悪くも人間らしい動機だ。

 抵抗を諦めて鬱々と暮らしている市民たちよりずっと好ましい……が、


「一等市民を目指さないの?」


 鋭い眼光でジェンナーロに問う。


 犯罪組織ラトデア――保有する戦力ではカラミティが優勢だが、組織規模で見ると彼らの方が上だ。

 もし競争相手となるようであれば、友好的な会食もここまでだ。

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― 新着の感想 ―
>そういえば自分はスイーツが好きだった パティシエに成りたいくらい好きだった……
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