292話
ある研究室に一人の女性が訪れていた。
短髪と怜悧な瞳、スラリと伸びた脚――そして、軍務局の制服。
彼女の視線の先にあるのは、複数のカプセルを繫いだ装置。
その構造は"彼女"に酷似しているが、一方でそこまで規模が大きいというわけでもない。
あくまで簡易版、本物ではない。
「出向いた甲斐はありましたか?」
やや冷めた声色で通信機に問いかける。
特に気分が悪いというわけではない。
普段から、彼女はほとんど事務的な会話しかしていないだけ。
『まぁ、良し悪しだな。長官に背負わせなかっただけマシだろう』
目的は達成した。
だが、全て都合良く進められたわけでもない。
『アダム・ラム・ガレット……あれは手が付けられんな』
通信相手は酷く疲れた様子だ。
送られてきた情報以上の苦労があったのだろう。
『野放しにしていい相手じゃないが、かといって触れるのも危険すぎる……が、どうしたものか』
強いて言うならば、より早期に叩くべきだった。
それが通信先――カラギの結論だった。
「なぜ対処を先送りに?」
『……前任の長官は裏社会に対して及び腰だった。今よりずっと無法魔女の多かった時代だ、無理はない』
現長官であるヘクセラは魔女名簿登録を強行した。
魔法省側の被害も大きかったが、以前より治安が良くなったことは確かだ。
「現長官は強硬派ですよね。政府の圧にも屈さず自らの施策を進めている」
『そのせいで頭痛が絶えないようだがね』
社会のためと割り切っているのだろう。
自らの負担を顧みず、こうすべきと思った事は必ず実行している。
『彼女は常に脅威に晒されている。身辺警護は厳重だが、焦れた政府が強硬手段に出る可能性も否定できない』
「でしょうね」
ヘクセラは腕の立つ執行官や等級の高い登録魔女を常に連れ歩いている。
それでもなお危険な水準だ。
――軍務局の幹部たちは大半が"悪魔堕ち"なのだから。
「│ア(・)│レ(・)は魔族などと自称しているようですが、意思が残っているかどうかの違いでしかありません」
『選民意識が強いからな。エーテルによって人を超える力を得た魔女……そこからさらに進化した存在だと』
事実、変異後の方が魔力が高まっている。
生物としての強度は段違いだ。
だが、それが正常な状態かと問われれば疑問が残る。
『奴らが現れると周囲のエーテルがガタつく。そもそもの実態が解明されていないものを不安定にさせて……』
「エーテル災害の種になりかねない、と」
『……ああ、そうだ』
何かを噛み締めるような声で肯く。
随分と昔、思い出すのも億劫になるほどの話だ。
『軍務局もそうだが……統一政府にもきな臭い話が出ている。システムを用いて何かを仕出かす可能性もあるな』
「用心するように、と」
『誰も信用するな。この社会で登り詰めるような人間は狡猾なやつばかりだ』
無論、自分もその内の一人だ……と。
言葉にせずとも、聡明な彼女なら伝わっていることだろう。
――ロンニコ・カールマン。
軍務局長補佐の肩書を持つ女性。
その頭脳と才覚のみで組織内部に潜り込み、定期的に情報交換を行っている"内通者"だ。
◆◇◆◇◆
「……そう」
幹部たちから一通りの報告を聞き、クロガネは面倒そうに顔をしかめる。
フィルツェ商業区での一件を終えた直後だったが、どうやら休んでいる暇はなさそうだ。
結果として、今回はガレット・デ・ロワの一人勝ちとなった。
傍から見ていたクロガネも多少の恩恵を得たが、アダムからすれば小遣い程度の認識でしかないだろう。
堕の円環の被害は大きいようだが、依然として庇護下に置いてもらおうとする無法魔女は多い。
リーダーであるレドの存在が大きいようだ。
彼女はガレット・デ・ロワの猛攻撃を掻い潜って逃げ延びた。
もしくは抵抗手段もあったのだろうが、アダムと全面的に対立するというリスクを避けたかったのかもしれない。
力量で言えば、同じ『戦慄級』である雷帝さえ上回っているように思える。
魔女としての格も高いが、戦闘技術も洗練されている。
交戦状況が映像として残っているが、無法魔女の中でもかなり場馴れしているようだった。
「けれど、今後が大変よねえ。フリーの無法魔女はみんな堕の円環に吸収されちゃうんじゃないかしら?」
マクガレーノは肩を竦める。
これまでのような、外部戦力を雇うという選択肢が消えてしまうのだ。
「避けようがないな。組織の内部戦力を充実させるしかないだろう」
大量の銃火器を買い集めて他組織を牽制するべきだ。
どれだけ金銭を貯め込んでも丸腰では意味がない。
今後は独力での抗争が主流となる……先んじてロウは物資を買い漁っている。
「専属の無法魔女を抱えているシンジケートはそれだけで優位に立てる。この状況なら先手を打ってもいい」
他組織を潰して規模拡大に乗り出しすことも視野に入れるべきだろう。
クロガネ自身を筆頭に、大罪級の『屍姫』と『鬼巫女』ハスカ――いちシンジケートとしては過剰なほどの無法魔女が所属している。
とはいえ、カラミティは戦力こそ充実しているが規模は小さい。
稼業の手を広げていくには良い機会だ。
「ゾーリア商業区周辺で、まだうちの傘下に収まってないシンジケートは?」
「"トリリアム教会"と"ラトデア"が反抗的な姿勢を見せています」
ガレット・デ・ロワと親交のあるクロガネに敵対するほどの組織。
当然、相応の規模と資金力を持っている。
従属の姿勢を見せないのであれば"敵"だ。
殺しを躊躇する理由もない。
目的を達成するために、この世界のあらゆるものを犠牲にする覚悟でいる。
彼ら彼女らの人生さえも奪い尽くし――。
「手土産に丁度いい」
推薦枠を買うための糧になってもらう。
一度方針を決めてしまえば、後は無感情に実行するのみだ。
6章終了。
次章開始までしばらくお待ち下さい。