29話
『――マッド・カルテルを仕切っているレドモンドだ。ご用件はなんだい、お嬢さん?』
落ち着いたバリトンボイスが端末越しに聞こえてきた。
言葉遣いだけは紳士的だが、内側には侮るような余裕が窺える。
「質問を一つだけ。好きに回答してよ」
『……ふむ』
既に襲撃が失敗に終わったことは把握しているはずだ。
レドモンドはそれを尾首にも出さず、僅かな動揺さえ見せない。
かなり場数を踏んでいるのだろう。
いちいち問答に付き合っていてはペースを乱されてしまうかもしれない。
だからこそ、一つだけ。
「――最近何か変わったことはない?」
『は?』
他愛のない質問。
友人知人と交わす挨拶のようなものだが――ここでは意味が違う。
今、この瞬間だけ"自供する機会"を与えているのだ。
投降する唯一の方法はこれだけ。
事が動き出す前に、這い蹲って床を舐めに来る気があるのか確認したいだけ。
『そういえば、行き付けのバーで――』
クロガネは通信を切る。
彼は最後まで演技を止めることはないらしい。
「これで満足した?」
カルロに問う。
もうマッド・カルテルは彼の手駒ではないのだ。
どのような事情を抱えていようと知ったことではない。
「あぁ。よくわかったよ」
ここでレドモンドから誠意を見せられたら話は変わっていたかもしれない。
だが、彼はガレット・デ・ロワに対して忠誠心を持たないようだ。
この期に及んで無様に足掻くつもりなのか。
或いはまだ手を残しているのか。
どちらにせよ、敵対的な勢力を見逃す理由はない。
「アイツらは外部から傭兵を雇う余裕もないはずだ。あの串刺姫って魔女だけで懐は空っぽだろうよ」
それに引き換え……と、カルロはバックミラーに視線を向ける。
これほどの魔女を短期間に連続して雇うとなると、ガレット・デ・ロワの資金がどれほどなのか気になってしまう。
さすがに無謀な詮索をするほど命知らずではないが。
「収支を隠していたりとかは?」
「さすがにない……とも言い切れないな」
複数の組織と取引をしている可能性は否めない。
そこまでは制限していないが、敵対的な勢力との繋がりを持ったなら話は別だ。
「ウチを魔法省に売って、さらにブツを掻っ攫って手土産に……有り得なくはない話だな」
動機としては一番説得力がある。
現実的に考えて最も彼らに利益のある話だろう。
マッド・カルテルは裏社会で新参扱いだ。
技術力こそ高いものの、中規模な製薬会社の幹部――レドモンドが指揮を執っているだけ。
彼と繋がりの深い企業が集っているが、それも小規模なものばかりで勢力としては明らかに不足している。
製薬会社自体が乗っかっているのであればともかく、秘密裏に横流ししているだけの状態では、複数の企業にまたがっているとはいえ発言力は弱い。
「どちらにせよ、裏切った証拠を叩き付けて後始末を付けさせなきゃならねえ」
「さっさと殺せばいいのに」
「物騒なこと言うなよ。ったく、無法魔女ってのはみんなそうなのか?」
この世界は力が全てだ。
一等市民は生まれ持った"権力"を持ち、魔女は"能力"を持ち――何も持たない一般人は、必死になって"財力"を求める。
力を笠に着て自由を行使する。
それが許されてしまうのが社会の実情だ。
「ヤツが裏切ったのは事実だ。報復するなら、横流しの取引明細を突き出して失脚させるのが手っ取り早い」
詳細な日時まで記録された書類の束――カルロ自らが取引に応じて作成したものだ。
これを提出するだけで横流しの事実確認は容易だろう。
「揉み消される可能性は?」
「製薬会社が裏社会と繋がっていたなんて大層なスキャンダルだ。情報が漏れる前に処分するのが妥当だろうよ」
わざわざ手を汚すまでもない。
下手に魔法省から嗅ぎ回られるよりも、紙束一つで解決させた方が後々にも響かない。
「なら、好きにすればいい」
クロガネは呆れたように視線を逸らす。
これから"アルケミー製薬会社"に向かうというが、そこでレドモンドを相手に揺さぶりをかけるのだろう。
失脚させるのは報復として一つの選択肢に入る。
会社自体にも「ネタをばらしてもいいんだぞ」と脅して対価を受け取ることも出来る。
何度も通用するわけではないが、レドモンドの失脚と合わせて利益を上げられるなら取引の埋め合わせとしては十分なはずだ。
警戒すべきはレドモンドの言動に余裕があることだろう。
単純に裏切りが発覚しただけに、この一件の規模は留まるのだろうかと。
自身に求められているのはカルロの手助けだ。
依頼内容を確認した時点でマッド・カルテルの殲滅が目的ではないことは分かっている。
彼にも期待しているのだろうか。
甘い思考を切り捨てることが出来れば、アダムから見て良い手駒になる。
どちらにしても、今はカルロの口先勝負を見守るしかない。
File:アルケミー製薬株式会社
大衆によく知られる製薬会社。
有名人を積極的に起用する広告戦略が功を奏し、流通するOTC医薬品市場の約6.8%を占めている。
現在はバイオプラント培養地を増設中で、事業規模を堅実に拡大させている。
 




