288話
「ッ……まあ、予想はしていた」
TWLM――壱式"ナラクバチ"を突き出した体勢でカラギが呟く。
異変を察知した彼は即座に危険因子を排除しようと試みた。
一切の躊躇もせず、想像し得る限り最短で判断した。
常人であれば攻撃を認識する間もなく命を落としているはずだが、
「やはり魔法省は命を軽視している」
火輪に向けられた鋭い一撃を、フードを被った少女が受け止めていた。
その瞳には大きな失望が窺えた。
直後に殺気が膨れ上がり――カラギの体に強烈な一撃が叩き込まれる。
建物の壁に叩き付けられて意識が飛びそうになるも、辛うじて気合いで繋ぎ止めた。
「ぐッ……このままでは甚大な被害が出てしまう。退いてくれないか」
カラギは心の底から懇願する。
既に火輪は"完成された煌性発魔剤"を投与されている。
魔力が制御不能な状態に陥っており、このままでは存在そのものが変異してしまう。
魔女の体組織が変異することで生まれる、魔物とは異なる脅威――"悪魔堕ち"とは変異後の呼称であると同時に、変異現象そのものを指す。
致命傷を受けた時か、その前後かも分からない。
だが、既に仕込まれているのは確かだ。
火輪は戦慄級の魔女――どれほどの化け物が生まれてしまうのか、恐ろしくて想像もできないくらいだった。
だが、そんな頼みに興味を示さず、
「退く理由はない」
カラギから視線を外して火輪に向き直る。
魔力の変異に抵抗して苦しんでいた。
少女はゆっくりと歩み寄って、そっと手で触れる。
「――『エーテル干渉』」
何も特殊な技術はない。
ただエーテルに干渉するだけの至ってシンプルな能力だが――。
「ッ――まさか」
カラギが思わず声を漏らす。
火輪の変異が止まり――それどころか、元の正常な状態に戻っていく。
常軌を逸した魔力を持つ彼女だからこそ可能な芸当だ。
投与された"異物"を取り除くように干渉し、さらにエーテルを強引に正常化させたのだ。
変異の兆候も消え失せている。
――堕の円環。
無法魔女による互助組織から発展したテロ集団。
多くの実力者が集うこの組織を取りまとめる者こそ、
「……レド」
火輪が呟く。
未だ負傷による痛みは残っているものの、変異が治まったおかげで落ち着いている。
とはいえ、戦闘の継続は厳しい。
周囲に悪魔堕ちが跋扈する現状で、身動きの取れない火輪は足手まといになってしまう。
抱きかかえながら――レドがカラギを見据える。
「魔法省も軍務局も関係ない。堕の円環は人間社会を壊滅させる」
なぜ、と尋ねるまでもない。
カラギも理解している。
登録魔女と無法魔女。
法律によって定められたこの区分自体が最たるものだ。
生身の人間とは違い、危険な力を持つために自由権を侵害されている。
全ては社会秩序のため。
やむを得ない理由ではあるものの、当事者である魔女にとって納得できるものではない。
だからこそ管理を拒み裏社会に身を隠してしまう。
と、ここまでは表向きの話だ。
「魔女の犠牲を前提としたこの社会を享受している。人間はみな同罪だ」
レドは知っているのだろう。
この社会がどのように成り立っているのかを。
CEMによる非道な人体実験もそうだが、その比ではない邪悪を敷き詰めた場所で人々は生活している。
その事実を知る者はごく一握りの特権階級のみ。
即ち、一等市民だ。
「……そうか」
カラギは体中の痛みに呻きつつ、荒く息を吐いて呟く。
どうやら堕の円環は、自分たちと手を取り合える組織ではないらしい。
僅かばかり抱いていた期待を諦めナラクバチを構える。
当然だが、この武器も彼女にとって憎悪の対象だ。
携行型-体組織変異兵器――TWLM。
CEMによって生み出された悪魔の武器。
魔物の生体パーツを素材としているが、動力部や回路に魔女が用いられていることは公表されていない。
「ねーえー、いつまでお喋りしてるの?」
プロトが退屈そうに尾を揺らめかせる。
争いが発生するかと思えば、睨み合って言葉を交わすだけ。
そんな彼女をカラギは一番警戒していた。
言葉が通じるようで通じない。
理性があるようだが、存在としては悪魔堕ちと呼ぶべきなのだろう。
魔人のなり損ないとはいえ、この場で暴れられると対処が難しい。
幸いこの場には雷帝も同席しているが、元無法魔女である彼女を信用しきれない。
レドの力を見た後では、こちらを裏切る可能性も否めなかった。
現に、この対立の中で彼女は静観に徹している。
想定していた中で最も面倒な事態になってしまった……と、カラギが嘆息する。
機動予備隊に頼るべきか、逡巡すると同時に――。
「――よぉ。盛り上がってるじゃねえか」
ドスの利いた声が全員に投げられる。
ビリビリと肌を刺すような殺気が一帯を支配する。
魔法省が手出しを躊躇うほどのシンジケート――ガレット・デ・ロワ。
捜査に乗り出した者の多くが消息を絶っており、生還した者も恐怖に支配されて口を閉ざしたまま。
裏社会で存在を示しながらも、これまで魔法省に足跡の一つも掴ませることはなかった。
そんな組織の首領が、堂々と表に姿を現す。
「人様のシマで何してんだ? あぁ?」
抑え切れない憤りをぶつけるため、この場を掻き乱しに。