282話
局所的なエーテル値の高まりによって封鎖されたトンネル。
居住区指定よりも僅かに数字が上回っている程度だが、それでも人間が長時間滞在すると健康被害が発生してしまう。
内部には多少だが魔物も発生していることだろう。
「目標地点に到着した」
『承知した。我々はこのまま警戒を続けよう』
トンネルを抜けた反対側でロウと合流する予定になっている。
この先のことは未定だが、一先ずカルロたちの安全を確保してから動くべきだろう。
『商業区内で問題が起きているようだが……』
「今回は介入しない」
魔法省に被害を与えて得する組織となれば、一番に思い浮かぶのは軍務局だ。
魔女を凶暴化させるなどという回りくどい手段で場を掻き回す理由までは不明だが、そうする必要があるのだろう。
事情が見えない以上、無闇に首を突っ込むのは得策ではない。
軍務局は現状最も警戒すべき相手だ。
その思惑を挫くにしても精度の高い情報を掴んでからだ。
通信を切ると、クロガネは後ろに視線を向ける。
「まだ歩ける?」
「……あぁ、なんとかな」
カルロは笑みを浮かべてみせる。
とはいえ、応急処置だけでまともな治療はできていない。
負傷時の出血も多かったため、あまり長時間連れ回せる状態ではないだろう。
トンネル内部は居住区よりもエーテル値が高い。
魔女であるクロガネたちと違ってカルロには負担が大きくなってしまう。
「ねえねえ、カルロさん。わたしが背負ってあげますよ?」
「そんなヤワじゃねえって」
この程度の負傷は何度も経験している。
むしろ頭が冴えているくらいだ。
体が動くなら何も問題ない。
「だが、このトンネル……」
カルロは前方を見据える。
フェンスで封鎖されているはずだが、無理矢理に抉じ開けられたような痕跡があった。
「獣が暴れたみたいな爪痕だ。魔物か?」
乱暴に切り裂かれたような状態だ。
切断面は綺麗なものではない。
力任せに破って中に侵入したようだった。
「さあね」
クロガネは一切の躊躇もなく進んでいき、外れかけていたフェンスを蹴破る。
注意深く観察してもそれ以外の痕跡は見当たらない。
足跡も人間のものしか残っていなかった。
もし商業区内で起きている異変に関係しているとすれば、脱出ルートの変更も考えなければならない。
だが、それではカルロが持たない。
依頼を完遂するにはリスクを冒す必要がある。
「先行する。三人は――」
「待ってクロガネ」
色差魔が指示を遮る形で声を掛ける。
「今回はあたしにやらせて」
自分が役立つということをアピールするために、危険を承知の上で先頭に立ちたいと。
何が潜んでいるのかも不明な状況で任せるわけにはいかない。
そう考えて断ろうとするが、色差魔は真剣な表情でこちらを見つめていた。
「……はぁ。分かった」
嘆息しつつ頷く。
抜けているように見えるが、それでも多くの依頼をこなしてきた無法魔女だ。
その手際に興味がないわけではない。
「やった! 絶対いいとこ見せるから!」
色差魔は嬉しそうに笑みを浮かべ、
「でもヤバそうな時は助けてね」
銃を構えて堂々と宣言する。
その一言で評価が急降下していることには気付かず、色差魔はグイグイと奥に進んでいく。
トンネル内部は電気が通っていない。
放棄された煌学設備が点滅しながら僅かに光を灯している程度だ。
当然、懐中電灯を使用しなければ進めない。
だが、色差魔はあえて電灯を持たずに歩いている。
生まれ持ったセンスによるものか、大気中のエーテルの流れを見ながら怪しい影がいないか探っている。
目視と『探知』を合わせているクロガネとは異なる警戒態勢だ。
トンネル内ではどうしても音が響いてしまうため、足音を忍ばせたとしても気付かれてしまう。
もし敵がどこかの影で息を潜めていたなら襲撃の機を与えているようなものだ。
むしろ、色差魔は威嚇するように足を打ち鳴らしている。
カツカツと軽快に歩みを進めつつ堂々とした足取りで、
「――『色錯』」
自らの幻影を十メートルほど先行させる。
暗所では正体を判断しづらい。
足音が反響しながら近付いてくるとして、もし敵が何処かに身を潜めているのであれば――。
「見つけたっ!」
囮に引っ掛からないわけがない。
まして理性を失った状態であればなおさらだ。
飛び出してきた黒い影に即座に銃弾を浴びせ、色差魔が決めポーズを取ろうとするも、
「……あー」
がっくりと肩を落とす。
餌に食い付いてきたのは液状の黒い魔物――怨廻だった。
エーテルに反応する性質を持っているため、色差魔の生み出した幻影に反応したらしい。
「あちゃー、ハズレだっ――」
振り返って肩を竦めようとして、色差魔が咄嗟にその場から飛び退く。
同時に、風切り音と共に鋭利な"何か"が振るわれた。
「あっぶなっ!?」
アスファルトを容易く抉る威力。
もし直撃していれば命はなかっただろう。
回避の最中に銃で応戦するも、その全てが襲撃者の手で――もとい、手元から生成された高出力のエーテル刃によって弾かれてしまった。
悠然と佇む少女。
その体は他と同様に色素を失った灰色だが、目元は黒い布によって目隠しがされている。
変質した魔女であるのは間違いなかった。
だが、唯一違うを点を挙げるとするならば。
「――これは、想定外の来客ですね」
彼女は軍服を着ていて、理性を宿しているということだ。