277話
混戦状態にあるフィルツェ商業区。
至るところで派手な戦闘が繰り広げられていて、巻き添えを喰らいたくない市民たちが保護を求めて逃げ惑っている。
これだけ魔女が派手に暴れてしまうと、建物の中に避難したところで生き埋めになりかねない。
車道は酷く渋滞しているが、その先頭には無法魔女の襲撃を受けて横転したトラックで塞がれている。
乗り捨てられた車の間を縫うように市民たちが駆け回り、
「――『焦熱世界』」
その場に紛れていた魔女が手を翳す。
半径百メートルほどの範囲を対象にして能力を行使する。
地面が淡く朱色の光を帯びる。
突然のことに市民たちの視線が地面に向けられ――直後、その温度が急激に上昇していく。
アスファルトの表面が溶け始め、グツグツと煮えるように泡を吐き出し始める。
一度転んでしまえば超高温で粘度の高い液体が体中に纏わりつくことになる。
急いで逃げなければ呼吸するだけで肺が火傷してしまう。
衣服で肌を隠している面積が大きければまだマシだ。
露出の多い服装では、地面ほどでないにしても高温に直に晒されてしまう。
この環境下でも辛うじて薄目を開ける程度は許されるが、白煙と蒸気で視界も奪われていき――。
「叫べ苦しめ……はは、いい気味だ」
蒸し釜状態の中で泣き叫ぶ市民たちを、淀んだ目をして眺めながら。
堕の円環の魔女――烟が嗤う。
◆◇◆◇◆
「クソッ、今度は市民を狙っているのかッ!」
輸送車両で移動中、他班からの報告を聞いていたジンが憤る。
無線では絶えず各地の被害状況が流れているが、徐々に一般市民たちへの被害が増え始めていた。
無法魔女連合として規模を拡大させている組織――堕の円環。
決して逃がしてはならないと魔法省も総力を挙げて対抗しているものの、戦況は思うようには動いていない。
数では圧倒しているはずだったが、それだけ個々の練度が高いのだろう。
等級の高い魔女が組織立って暴れているという前代未聞の事態に、魔法省は完全に翻弄されてしまっている。
「まあそう慌てんなって、隊長」
ジンの肩に手を乗せ、隊員の一人が声をかける。
飄々とした雰囲気の青年で、実験体番号0066Φ――。
「今も市民が被害を受けているというのに、冷静でいられるとでも?」
「それも含めての撹乱なんだ。相手の策に乗っても仕方ない」
気持ちはわかるけどな……と、青年がフォローを入れる。
その一言で少しだけ落ち着いたのか、ジンもゆっくりと息を吐き出す。
「……すまない、ホルスター」
「気にすんなって。それに、隊長はそれで良いんだよ」
青年――ホルスターは気にした素振りを見せずに言う。
実際に彼から見て、人間らしい感情を表に出してくれるジンは上司として好ましいと思っていた。
「かといって、見過ごすわけにもいかない」
「正直、全部罠だろうな」
「それでもだ。ヒルダ、被害報告が上がっている一番近いところまで頼む」
「はぁい隊長さん」
運転席に座る女性、実験体番号0023α――ヒルダが返事をする。
彼女もまたCEMの人体実験によって生み出されたサンプルの一人だ。
魔法省内で独立した実行部隊である機動予備隊。
隊長のジンを除く六名と一体は、CEMから魔法省に戦力補強として提供されて組織されている。
過酷な機動試験を乗り越えた優秀な存在であると同時に、人間としての尊厳を奪われ半魔物として改造された存在でもある。
「ぜ、絶対に罠ですよ? 危ないですよ……?」
ジンの隣に座っていた小柄な少女が肩を震わせる。
実験体番号0090M――ヘイズはあまり乗り気ではない様子だ。
「どれだけ危険だろうと、市民が困っていたら駆け付ける。それが俺たちの仕事だ」
「うぅ、頭おかしいですよ」
文句を言いつつも、それ以上の反発はしない。
自分の役割を理解して務めるのみ。
彼女たちサンプルにそれ以上の価値はなく、放棄すれば"処分"されるだけなのだから。
「ドローン監視を妨害されている以上、お前の探知能力が必要なんだ。頼むぞ」
「分かってますって……はぁ」
嫌そうに顔を顰めつつも、ヘイズは常に周囲に気を配り続けている。
彼女の体は気配に敏感な魔物の細胞を取り込んでおり、よほど遠い場所でもなければ、死角であっても存在を察知するほどの索敵が可能だ。
その頭には猫のような耳が生えている。
これが神経と直結する形で索敵器官としての役割を担っているが、エーテルを介する能力のため実際に耳として聴覚が機能しているわけではない。
「なあ隊長。あの登録魔女……雷帝の援護はしなくていいのか?」
「あっちはどうやら優勢らしい。それに、下手に手伝おうとしても魔法に巻き込まれるだけだろう」
戦慄級『雷帝』――元無法魔女だが、今は特務部所属の執行官として活動している。
現状、魔法省内の最大戦力と言える魔女だ。
とはいえ、無法魔女時代に表立って悪事を働いていたというわけではない。
登録魔女として自由を奪われることを嫌って身を隠す魔女は多い。
彼女もそのうちの一人だったが、魔法省側からの交渉によって最低限の自由を保障するという契約で参加するに至った。
「何かあれば付近の部隊が合流するだろう……ッ!?」
何度目かになる巨大な爆発が発生する。
魔法による現象であるのは間違いないが、その規模と回数から相当な力を持つ魔女がいることは確かだ。
機動予備隊は個々の能力が高い部隊だ。
他の捜査班や個で対応する雷帝と比べれば、人数も質も揃っているこちらの方が安全だ。
大体のことには対処できるという自信があった。
「……ん、どうしたハクア」
ふと、正面に座っていた少女が俯いて黙り込んでいることに気付く。
何かに集中しているような様子だったが、声を掛けると緩慢な動きで顔を上げて聞く姿勢を取った。
「何かあったらすぐに報告してくれ。乗り物酔いとか、そんな些細なことでもいい」
「……そう?」
か細く無感情な声。
人間らしい感情の機微が窺えない、人形のような表情や所作。
それでも一応は自我のある生き物らしい。
「……ない」
「なんだって?」
ジンが聞き返す。
こちらに届く前に掻き消えてしまうほど小さな声だった。
走行中の車両の中では余計に聞き取れない。
ハクアの言葉に耳を傾けようと、ジンは身を乗り出して近付くと再度尋ねる。
「ハクア、何に気付いたんだ?」
「カラギが危ない。危険な魔女が近くにいる」
「……ッ! ヒルダ!」
「了解。飛ばすから、舌を噛まないよう気を付けてね」
ジンは端末を操作して、カラギに通信を入れる。
こちらの通信を予期していたかのように、ワンコールも経たずに通信が繋がる。
「カラギ主任、援護に向かいます!」
『いや、こっちは何も問題は起きていない。君たちは雷帝の援護に向かいなさい』
そんなはずがない、とジンは呟く。
普段ほとんど言葉を発することのないハクアが、こうして危険を察知して報せているのだ。
もし既に接触してしまっているのであれば――。
「……無法魔女に脅されているんですね?」
無力化されて何かに利用されようとしている。
この通信もきっと、何も問題ないように振る舞えと脅されているのだろう。
『まったく脅されてなどいないから来るな。これは命令だ』
「ハクアが危険因子の気配を感じ取っているので。主任の言葉でも聞けません」
カラギには何度も助けられている。
シンジケートと交戦になった際にも、カラギが交渉を挟まなければ全員が命を落としていた可能性が高い。
そんな彼を見捨てるわけにはいかない。
そんな考えに頭がいっぱいになっていたせいで、事が起こる直前までヘイズが慌てていることに気付けなかった。
「た、隊長ってば――あっ」
嫌な予感を察知、そして気配にも気付いて。
脅威が迫っていることを報告しようと声をかけ始めた直後――輸送車両の周囲で巨大な爆発が発生した。
File:烟-page3
堕の円環に所属している、褐色の肌と白金色の短髪が特徴のボーイッシュな少女。
元々はレーデンハイト二番街で情報屋として活動していた。
魔女としての格は大罪級で、応用の効く魔法を持っているらしく手の内はあまり割れていない。