271話
ゆっくりとドアが開く。
応接室に迎え入れる所作からは、攻撃を仕掛けてくるような乱暴さは感じられない。
「どうぞ中へ。社長がお待ちです」
メガネを掛けたスーツ姿の女性――無法魔女だ。
腕時計を模した装置を付けているが、見るものが見ればそれがNeef-4だと一目で分かる。
あくまでラプラスシステムに対してのみ隠蔽を発揮する装置だ。
この程度まで近付いていれば、魔女同士であれば気配に気付けてしまう。
招かれるがままに入室する。
部屋の中では、長身で体格のいい男性――レドモンド・アルラキュラスがソファーに座っていた。
「禍つ黒鉄……の、部下の無法魔女か」
品定めするような視線だ。
人材としての優秀さを測るように一挙一動を観察されている。
先ほどの魔女は、どうやらレドモンドの秘書を務めているらしい。
彼の後ろに控えるように佇んでいる。
どちらも敵意は感じられないが、どこか警戒した様子でこちらを見据えている。
「彼女が来ると思っていたんだがね」
「クロガネ様が木っ端の相手をするとでも?」
「これは手厳しい。だがまあ、尤もな話だ」
レドモンドが苦笑する。
一度は敗北した身であって、直々に出向いてもらえるという期待は思い上がりだろう。
幹部が訪れただけでも彼にとってはありがたいくらいだった。
思っていたような反応が返ってこなかったことで、屍姫は意外そうな顔をして尋ねる。
「恨んでいるのではないのですか?」
「野望を成し遂げる目前で阻まれてしまった……それは当然、恨んでいないと言えば嘘になる」
だが、とレドモンドは続ける。
「先に恨みを買ったのは私だ。それに、あの時の彼女はガレット・デ・ロワに雇われただけに過ぎない」
手を出す相手を見誤ってしまった。
ただそれだけのことであって、今こうして命があるだけで十分だと言う。
「随分と素直ですね」
「鼻を圧し折られたからね。以前のような全能感はもう抱けないよ」
表と裏、両方の社会を利用して一等市民の肩書きを得る。
様々な組織や人物を動かしている内に、自分があたかも優秀な人間であるかのように錯覚してしまった。
事実として彼は様々な方面に秀でているのだが、それだけで成り上がれるほど世界は単純ではない。
「この社会で最も重要な能力は"悪"だ。それを徹底できる人物こそ上を目指せる」
「自分は悪ではないと?」
「善悪で区別するなら間違いなく悪だろう。その方面では素人もいいところだろうがね」
だから負けてしまった……と、レドモンドは肩を竦めてみせる。
前回の反省を踏まえた上で表社会に舞い戻ってきた。
なぜ今になって姿を現したのか。
彼がどのような立場で、この社会に参画していこうとしているのか。
「さて、閑談はこの程度にして。尋ねたいことが色々あるのだろう?」
自信に満ちた笑みだ。
そして、全ての質問に答える気でいるらしい。
カラミティからの接触を待ち侘びていたかのように歓迎している。
何らかの利があって、協力関係を築きたいのだろうか。
屍姫は笑みを返し、
「いいでしょう。私の質問はクロガネ様の言葉だと思って返答するように」
「それは怖い。心に留めておくとしよう」
念押しをするも、やはりレドモンドには余裕が窺えた。
「それでは。貴方はガレット・デ・ロワとの抗争の際に命を落としたと聞いています」
「自害したフリをして海に落下し、死角に隠れる形で耐え凌いだだけ。魔法省の横槍が入ったおかげで運良く実行できたが、あの時は肝を冷やしたね」
夜の海に飛び込む恐怖が分かるかい……と、当時を思い出すように言う。
真っ暗な海の中で一人、事態が収まるまで身を潜めていた。
普段からトレーニングをしていなければ途中で体力が尽きていたことだろう。
「一等市民推薦枠を得るために、それまで積み重ねてきた全てを差し出すつもりだった。用意した貢物はガレット・デ・ロワに回収されてしまったが」
大量の高煌度エクリプ・シスを準備して取引の場に臨んでいた。
もしあのまま一等市民居住区まで輸送できていたなら、アグニの開催していた"推薦枠争奪レース"に勝利していただろう。
「どのようにして筆頭議員との繋がりを?」
「アグニ"様"から接触があった。将来有望な人材には、自らの派閥候補として声をかけているようだ」
勢力を拡大するために……と、レドモンドが言う。
未だに敬う姿勢を崩さないということは、
「貴方は統一政府……アグニ・グラの勢力に属していると」
「その通り。姿を眩ませている間もずっと彼女のために動いていた」
一切の偽りも無く素性を明かした。
そうなると、かえって疑問が湧いてくる。
「……なら何故、TECセキュリティについて探っているのですか?」