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270話

――エスレペス北工業地域、C-1区画。


 発展した開発区画であるエスレペス。

 各区画の管理を担う施設棟や、技術者・研究者たちが集う実験棟が建ち並ぶ。


 世界全体で見て、最も盛んに技術開発が行われている地帯だ。

 隣接する区画には生産工場が大量に建てられており、日々、三等市民たちが使い捨てられている。


「……相変わらず、酷い空気ですね」


 不愉快そうに顔をしかめ、屍姫が呟く。

 今日は普段着ているゴシックドレスではなく、パンツスタイルのゴシックスーツに身を包んでいた。


 空は煤けたように淀んでいて薄暗い。

 排出される化学物質や濃度の高いエーテルによって、居住環境として見ると極めて悪い状態になってしまっている。

 一帯のエーテル値は居住区と封鎖区の境を行き来しているが、この開発区画を放棄するには惜しいらしく立ち入りは制限されていない。


 時折、大気中のエーテルの影響で魔物が発生することもある。

 大半は害の少ない怨廻エンネの類で、人気のない建物の陰などで蠢いているくらいだ。


 不定形の液状の魔物。

 よほど小さな子どもでもなければ身の危険はないだろう。

 人間が近付いても襲われることは少ないが、稀に複数の怨廻エンネが混ざり合う形で成長した個体は攻撃性を持つこともある。


 エーテル値の高い場所に現れるため、今のような魔法工学が発達する以前の時代は居住可能な環境かどうかを測る基準にもなっていた。

 個体数の多い場所ほど人体に有害な事象が発生しやすい。


 元々、C-1区画はそれほどエーテル値の高い場所ではなかった。

 危険があるのは三等市民労働者が生活する場所だけだったが、黎明の杜によるC-5区画テロ事件によって状況は大きく変わった。


 地中深くに眠っていた汚染層が抉じ開けられたことで魔物が放出。

 一帯を封鎖せざるを得ないほどのエーテル公害が発生し、周辺区画にまで影響を及ぼしてしまった。

 元凶となっていた魔物たちがC-5区画上空で発生した"不明な爆発現象"に呑み込まれたことで、今はこの程度の汚染で済んでいるという。


 問題は、このエーテル公害が人為的に引き起こされたという点だ。

 未だ地下深くの汚染層の調査はされていない。

 危険すぎるがあまり、半ば放置される形で埋め立てられてしまったのだ。


 その作業はCEMケムとアルケミー製薬が合同で行われている。

 何かしら秘匿したい情報があったのだろう。

 彼らが共謀して黎明の杜を操っていたということはクロガネの手によって暴かれている。


「……この時期に、死んだはずの人間をCEOに据えるなんて」


 立ち止まって、目の前の建物を見上げる。


――アルケミー製薬本社、第一ビル。


 そこに、かつてガレット・デ・ロワを裏切り敵対関係となった"レドモンド・アルラキュラス"という人物がいる。

 その際に命を落としたはずだが、なぜ生きているのかという事実はどうでもいい。

 クロガネが欲しているのは「レドモンドがどういう立場で動いているのか」という情報だけだ。


 予想通りであれば名乗るだけで面会できる。

 そうクロガネから伝えられているため、アポイントは一切取っていない。


 その指示に疑問を抱くことはない。

 屍姫自身もアンデッドを用いた諜報に長けている。

 これまで収集してきた様々な情報から、クロガネの推測が正しいだろうという確信があった。


 そうでなくとも、主からの命令に意見を挟むつもりはない。

 クロガネの言葉は絶対だ。


 受付に進むと、名前を告げただけで入館証が渡される。

 まるで来訪を予想していたかのような対応だ。


「最上階、左側の部屋が応接室となっております」


 案内されてエレベーターに向かう。

 急に訪ねて来たというのに、スケジュールは大丈夫なのだろうか……そう思いつつ、周囲を警戒しながら待機する。


 ここで何体かアンデッドを作ってもいい。

 アルケミー製薬の社員を従えられたら内部情報を幾らでも探ることが可能だ。

 万が一でもこちらと敵対するようなことがあれば、その際に有利に進められるメリットもある。


 当然、レドモンドがこちらに協力的な姿勢であればかえって不信を買いかねない。

 彼という人物を見定めてから行動に移すべきだろう。


 エレベーターに乗り込んで最上階のボタンを押す。

 どうやら本社ビルは、ちょうど百階建てとなっているようだ。


 以前はあまり大きな企業ではなかったはずだ。

 少なくとも、クロガネと敵対していた時期は業界でも中堅といったところで、ここまで大きな自社ビルを持てる体力はなかった。

 表向きの製薬事業だけでなく、何かしら後暗い資金源があるのかもしれない。


 考えている内に最上階に到着する。

 最新式の煌学エレベーターであれば十秒程度で移動が可能だ。

 慣性を相殺する特殊な装置が内蔵されているため、この速度で上昇しても怪我をするようなことはない。


 些細なところまで金をかける余裕があるのだろう。

 備え付けの鏡を見て髪を軽く整え、屍姫はエレベーターから降りる。


「……魔女の気配」


 応接室から強い魔力を感じる。

 愚者級か大罪級か、その境くらいの魔力量だ。


 魔女として見れば屍姫の方が格上だ。

 だが、今はアンデッドの一体も連れてきていないため苦戦が予想できる。


 軍務局との一件で主要な駒である"ルーク"と"ビショップ"を失ってしまった。

 未だ多くのアンデッドを従えているとはいえ、強敵と渡り合えるほどの戦力は持っていない。


 理論上は無限に増強可能な不死の軍勢。

 それこそが屍姫の強みであって、CEMケムから研究対象として狙われるに至った特異な能力だ。

 人間でも魔女でも魔物でも、再利用可能な死骸であれば使役できてしまう。


 制約が無いわけではないが、それ以上に応用が利く。

 それこそ、チェスの駒を動かすようにくるりと手繰れば――。


「――"ナイト"」


 全身を覆う白銀の鎧。

 右手には長剣を携えている騎士の姿をしたアンデッドが、屍姫の前に召喚される。


 ルークやビショップに並ぶ戦力。

 名付きのアンデッドとしては最後の一体だ。

 見た通りの近接専門だが、総合的な評価では屍姫が従えているアンデッドの中で最も凶悪た戦闘力を誇る。


「……」


 召喚する際の物音でこちらに気付いたのだろう。

 応接室の中から、ドアに向かって足音が聞こえてきた。

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