263話
表社会ではアルケミー製薬の幹部として。
裏社会ではマッド・カルテルのトップとして。
アグニの持つ一等市民推薦枠を欲して、表と裏の両方で多大な成果を上げた男。
ガレット・デ・ロワと敵対したことで夢を叩き潰されたが、アダムの干渉がなければ彼は間違いなく一等市民に成り得ただろう。
この世界における"野心"というものを体現するような生き様で、彼のことは印象に残っていた。
「……死を偽装していた?」
魔法省とマッド・カルテル、ガレット・デ・ロワの三つ巴の戦いの中で自害したとカルロから聞いていた。
野望が潰え命を投げ出したはずの男が、実は生きていたのだと。
だがあの時、クロガネは蒸留塔の施設内部でアグニと対峙していた。
実際に彼の死を目撃したわけではない。
だが、レドモンドがTECセキュリティの情報を欲しがる理由が分からない。
未だにアグニと繋がりがあるなら軍務局寄りの人間のはずだ。
機密情報を外部に持ち出させようとする意図が見えない。
調べる価値はありそうだ……と、クロガネは手早くマクガレーノにメッセージを送信する。
「あたし、クロガネの役に立てたかな?」
色差魔がおずおずと尋ねる。
明かすべきでない情報を渡してしまったのだ。
この契約違反が無意味だとは思いたくないらしい。
「有益な情報だと思う」
「そう? ならよかった」
色差魔が安堵したように胸を撫で下ろす。
無法魔女としては信用を損なうはずの行為だが、そうまでしてクロガネの味方であることを示したいらしい。
「それじゃあ、有益な情報には対価を貰わなきゃね」
途端に機嫌を良くして、色差魔が調子の良いことを言い始める。
そうしてガラス張りのシャワールームを指差して、
「あれ借りていい? さっきので砂埃浴びちゃったからさー」
堕の円環と魔法省の争いに巻き込まれたせいで、せっかく風呂に入ったというのに汚れてしまった。
セーフハウスに移動する際に汗もかいてしまっている。
「別に構わないけど……」
「やったー!」
要求する対価としては少なすぎる。
自由気ままに生きている彼女にとって、金銭の類はそれほど重要ではないのだろう。
ぱぱっと服を脱いでシャワールームに入っていく。
ガラス張りのため外から丸見えになっているのだが、気付いていないのかご機嫌に鼻歌まで歌っていた。
『――クロガネ様、まだ起きてるかしら?』
「何かあった?」
『堕の円環が動いたわ』
マクガレーノから連絡を受けて、PCのメッセージを確認する。
動画ファイルが送られてきていた。
深々とフードを被った無法魔女の姿。
魔法省と交戦する場面が記録されている。
「……へえ」
興味深い戦闘スタイルだ……と、クロガネは映像を何度も再生する。
対魔武器による攻撃を全て手を翳すだけで弾き返し、登録魔女の放った魔法も反射している。
一見すると超能力のように見えるが、原理は恐らく単純なものだろう。
『どう見えるかしら?』
「"エーテル干渉"……隠し玉がないとすれば、それだけの能力」
文字通りエーテルに干渉して反射している。
魔法工学の場では重宝されており、同質の能力を持つ
物理的な攻撃――突進や蹴りなどといった体術は避けているあたり、対魔法に特化した能力のようだ。
魔法省の装備は大半が対魔武器であるため、彼女に対して有効打になり得ない。
何より、あの雷帝を相手に一方的な戦いを繰り広げている。
決して魔力は無尽蔵ではないが、魔法省の包囲網に飛び込んで堂々と暴れられるだけの余裕はあるらしい。
要は、戦慄級の魔女を相手に素手か原始的な武器のみで対処しろと言っているのだ。
実弾銃では当たるはずもなく、当たったとしても十分な効果は見込めない。
エーテルによって強化された"戦慄級"相当の身体能力を前に接近戦を挑まなければならない。
身体強化に特化した大罪級以上の魔女がいればマシな戦いにはなるだろうか。
だが、映像を見ている限りでは格闘術も洗練されている。
これほどの技術があるのなら、大胆な作戦行動を選ぶのも頷ける。
ただエーテルに干渉するだけ。
これが居住区なら攻撃手段に欠けるだろう。
だが、エーテル濃度の高い地域であれば災害に等しい現象を引き起こせるかもしれない。
「……」
あれだけの無法魔女を束ねるだけあって実力は本物だ。
彼女を筆頭に等級の高い魔女が何人も所属している――堕の円環は統一政府にとって脅威足り得る組織と言えるだろう。
『脱出ルートを用意したわ。すぐにでも案内を――』
「待って」
クロガネはマクガレーノの言葉を遮って、デスクに視線を向ける。
依頼用の端末が着信音を鳴らしていた。
画面には"カルロ"と表示されている。
「まだ脱出は考えなくていい。後で折り返す」
『了解よ』
通信を切って、もう一方の端末を手に取る。
「何か用?」
『――あぁ、繋がった! 座標を送るから助けに来てくれないか!?』
無数の銃声に混ざってカルロの声が聞こえてきた。
返答をする前に座標を送ってきたようで、セーフハウスから近い場所にある通りが表示されている。
かなり切迫した状況のようだ。
この状況下で迂闊に外に出ることは避けたい。
魔法省と堕の円環どちらと遭遇しても面倒事になるだろう。
「高く付くよ?」
『うぐっ……な、何とかする! 頼むッ』
取引は成立だ。
敵が誰なのかも不明だが、言葉を交わしている時間も惜しい。
最小限の装備だけ手に取って、そのままシャワールームのドアを開ける。
「ぴゃっ!? こ、心の準備が……」
「少し外に出るから。部屋は好きに使って」
そう告げて、クロガネは救援に向かう。