262話
「うーん、でもあれは……なんて言えばいいのかなー」
色差魔が腕を組んで唸る。
昼頃に交戦した異質な"何か"を形容できるような言葉を持っていない。
魔女とは異なる原理でエーテルを操る生物。
色素を失ったような灰色の肌と蒼い瞳、白い髪が特徴的で、言語を解する知性を残している。
魔物として扱えるような存在でもない。
「真兎のお姉さんだったっけ? あの子の時と似てるかなって思うんだけど、ちょっと違う気もするんだよね」
あるいは、あの異質な生物を模して生み出されたのが結因だったのかもしれない。
生き物が莫大なエーテルを身に宿すための研究対象として――アモジ・ベクレルは、テロメアやプロトと接触していたかもしれない。
とはいえ、あの狂人の脳内を予想したところで意味がない。
煌性発魔剤の副作用による変質について、自力で辿り着いたという可能性も十分にある。
一等市民の肩書きを持つ彼ならば幾らでもサンプルを得られたはずだ。
ラプラスシステムのデータベース上に記録が残されている可能性はあるが、アクセス権限を持たない現状では確認することもできない。
「どう違って見えたの?」
「すごく自然に……あたしたちみたいな魔女より、もっと深くエーテルに馴染んでるみたいな?」
曖昧な返事だったが、その感想にクロガネは興味を抱く。
「深くエーテルに馴染んでるっていうのは?」
「等級が高い魔女ほどエーテルを操る力が強いはずなんだけど、あの子には反魔力がなくてさ。たぶんだけど、魔法とは違う原理で能力を使ってるんだと思う」
反魔力がない――言い換えれば、魔女同士における絶対的な格差が存在しない。
だからこそ、色差魔はプロトを相手に逃げ延びることができた。
もし魔法が通用しない相手だったなら、今こうして喋ることはできなかったはずだ。
逆に言えば、戦慄級の魔女でも命を落としかねない相手とも。
「あの化け物に……軍務局に狙われるような心当たりは?」
「うーん、最近だとTECセキュリティの工場から資料を盗んだくらいかな」
TECセキュリティ――一等市民居住区の管理を行っている警備会社だ。
自律式の機械兵を始めとした様々な軍用兵器を保有しており、その一部は統一政府にも提供されている。
各部隊に支給されている対魔武器はCEM製だが、戦闘用スーツは機械兵に用いられている人造筋繊維を利用したものらしい。
そのスーツに関する資料を欲している人物がいて、色差魔が依頼を受けたのだと。
「そう」
敵対するには規模が大きすぎる。
一企業の範疇に収まらない戦力を持ち、さらに統一政府との結び付きが強い。
このリスクを承知の上で依頼を受けるほどの対価を得たのだろうか。
「……その報酬って」
「クロガネの端末番号に決まってるじゃん」
当然のように色差魔が言う。
彼女にとってはそれほど価値があるものだったのだろう。
「はぁ……」
クロガネは呆れたように顔を背ける。
こんなものに釣られてしまうようでは、本当に無法魔女として優秀なのか測りかねてしまう。
とはいえ、TECセキュリティと軍務局に業務以上の繋がりがあるのは確からしい。
でなければ幹部自らが手を下しに来たりはしない。
一等市民居住区の管理も何か別の思惑があるのだろう。
ラプラスシステムを運用して、さらには強大な軍事力まで――。
「……いや、違う」
微かな違和感を見逃さず、思考の前面に引きずり出す。
軍務局は本当に統一政府の一部なのか。
政府はあくまでラプラスシステムを運用しているだけに過ぎない。
アグニのように戦闘能力を持つ者も在籍しているが、軍事面は全て軍務局の管轄となっている。
もしかすれば、ラプラスシステムは統一政府にとって盾でしかないのでは……と。
一等市民という立場を脅かされないようにするために。
アグニはラプラスシステムのリソースを全て社会の管理に向けようとしていた。
そうなると、有事の際に統一政府の防衛が手薄になってしまう。
筆頭議員たちはそれを警戒して監視システムを不十分な形に書き換えた。
テロメアの思惑が不明な以上は断言出来ないが、政府と軍務局の関係は思っていたほど良いものではないのだろうか。
――筆頭議員たちは軍務局に反抗している?
圧倒的な戦力差。
魔法省を上回る性能の装備を潤沢に用意していて、その上層部はテロメアやプロトのような化け物だ。
政府機関を乗っ取ろうと思えばいつでも可能なはずだった。
ラプラスシステムというイレギュラーを除いて。
「資料は誰に渡したの?」
「えっと……」
「本当に裏懺悔から斡旋された?」
「そ、それは……」
さすがに依頼内容を他人に明かすのはマズイと思ったのだろう。
色差魔は気まずそうに口を噤む。
だが、これは一つの手掛かりとなる情報だ。
色差魔の肩を掴んで、その目を見詰めて再度問う。
「TECセキュリティの機密を欲しがったのは誰? その内容は?」
知らなければならない。
場合にっては尋問してでも聞き出す必要がある。
黒い思惑が複雑に絡み合った社会、その一端でも解き明かせるなら。
「……アルケミー製薬の後任社長だよ。最近決定したって噂の」
色差魔が小さく呟く。
本来は明かすべき情報ではないが、頼られたら応えたくなってしまう。
そんな心情を"利用"している自分に嫌気が差しつつも、クロガネは有用な情報を得るために冷徹に振る舞う。
「どうして一企業がそんな情報を?」
「わからない……けど、最近になって色んな依頼を無法魔女に出してるみたい」
アルケミー製薬の前任はヴァルマン・レセス――黎明の杜の一件で、フォンド博士の指示を受けて暗躍していた人物だ。
彼は既に死亡しているが、もしその仕事を引き継いでいるとなれば厄介だ。
またあの男が動き始めたのかと警戒してしまう。
端末を取り出して即座に検索をかける。
どうやら、一時間前に各社のニュース記事で就任が発表されていた。
その人物は、本来ならもう姿を見せるはずのない――。
「……レドモンド・アルラキュラス」
全てを失ったはずの男が、再び社会に舞い戻ってきていた。