260話
華やかな雑貨屋が建ち並ぶ大通り。
買い物を楽しんだ後には、喫茶店でゆったりとした時を過ごせる。
観光向けの高級ホテルが幾つもあり、滞在する上で不満を抱くようなことはないだろう。
一等市民や、二等市民の富裕層が訪れるような街。
そんなフィルツェ商業区には裏の顔がある。
『――この様子だと、当面は検問が続きそうね』
「そう」
マクガレーノから一通りの報告を聞いて、クロガネは通信を切る。
予想通り厳重な検問が敷かれているようだ。
裏通りを歩きながら思案する。
現状、外部に逃げることは困難だろう。
魔法省は一帯から逃げ道を奪って物理的なやり取りを封じている。
包囲網を抜け出す隙間はなく、商業区内も捜査官たちが駆け回っている。
身を潜めるアテがなければ、たとえ戦慄級であろうと逃げ延びることは不可能だ。
脅威はラプラスシステムの監視だけではない。
現場には雷帝が駆り出されて操作しているため、この状況では火輪も遅からず捕縛されることだろう。
だが、易々と捕まるような能無しには見えなかった。
それに堕の円環は無法魔女による互助機関でもある。
取り残された仲間を救出するために他のメンバーが動く可能性が高い。
「お手並み拝見……ってこと?」
色差魔が尋ねる。
現状、クロガネが自ら動くことのメリットはゼロに等しい。
事態が落ち着くまで身を隠していた方が賢明だろう。
幸い、この近くにもセーフハウスを用意してある。
魔法省と堕の円環が衝突しようとしている。
テロ行為とのイタチごっことは違い、真正面から戦力が衝突するのは初めてのことだった。
「堕の円環の戦力を測る良い機会になる」
どの程度の頭数を揃えているのか。
同じ反政府組織だった黎明の杜と比べ、まともな戦力を用意しているのか。
そして、彼女たちのリーダーは優秀なのか。
外部の情報はカラミティの構成員たちに逐一報告させている。
先ほどのホテル前での戦闘から一時間ほど経過したが、未だに連行された無法魔女はいない。
さすがに魔法省に匹敵する戦力を保有しているとは考え難いが、戦慄級相当の魔女が複数所属している可能性はある。
「けど……」
クロガネが注目しているのは、魔法省でも堕の円環でもない。
フィルツェ商業区を牛耳る――ガレット・デ・ロワの動向だった。
検問は市民たちにも平等に行われており、物流にも多大な影響を及ぼしている。
今回の事件を利用して、堕の円環以外も捕縛しようという魂胆なのだろうが、
「自分の庭で騒がれて、黙っているような性格じゃない」
所有するホテルを爆破され、密輸ルートも塞がれて。
今頃、どのような手段で介入するか考えている頃だろう。
大悪党アダム・ラム・ガレット。
彼の恐ろしさは、個の人間という範疇に到底収まるものではない。
あの裏懺悔が友人として認めているほどの人物。
極限まで煮詰めた"悪"という特性のみで対等だと見做されている。
もちろんアダムも本気で対等とまでは思っていないだろうが、こういった状況で彼が動くとどれほどの影響を及ぼすのか興味があった。
後のことを思案している間に目的地に到着する。
放置している間に人が立ち入っていないか、ドアノブの仕掛けを確認して頷く。
「入って」
「お、お邪魔します……」
鍵を開け、色差魔を招き入れる。
そこは高層マンションの一室。
作りこそ頑丈だが富裕層向けというわけではなく、どちらかと言えば貧困層向けの集合住宅のようなものだ。
コンクリートが剥き出しになっている手狭なワンルーム。
家具らしきものはシングルのパイプベッドと作業用のデスク、そして壁面のガンラックくらい。
年頃の女の子らしい物は一切置いていない。
滞在するために必要な食料や水は備蓄されているが、あくまで最小限。
快適な暮らしとは程遠く、先ほど予約していたホテルの部屋と比べれば天と地ほどの差があるだろう。
「事態が落ち着くまでここで待機する。好きに使って」
クロガネはコートを乱雑に脱ぎ捨て、レッグホルスターを外してデスクに置く。
他にも装備していた武器を一通り外し終えると、
「いつもこんなに持ち歩いてるの?」
色差魔が興味津々といった様子で尋ねる。
ホルスターには頑丈なナイフや改造銃、コートの内側には手榴弾などが隠されていた。
その他にも用途の不明な対魔武器が幾つもあり、拳銃を持ち歩いているだけの色差魔とは随分と差があった。
「用心して損はないから」
特に、今の状況では……とクロガネが付け加える。
ラプラスシステムによる監視を掻い潜るために、魔法に頼らない戦闘技術は極めて重要だ。
魔女として優秀なだけでは生き残れない。
「そっかー」
色差魔も銃をデスクに置いて、気が抜けた様子でベッドに寝転がる。
そして、何気なく天井を見て気付く。
「……っ!」
天井に無数の弾丸がある。
壁に視線を向けると、同じ口径と思われる弾丸が幾つも残っている。
無意味に試し打ちをしたわけではない。
睡眠時にうなされて、反射的にトリガーを引いてしまったのだろう。
修繕するわけでもなく放置されているのは、きっと毎回のように悪夢を見ているから。
「どうしたの?」
「な、何でも……ない」
視線を逸らして誤魔化す。
初めて出会った際、クロガネがCEMに実験体として飼われていたことを思い出す。
過酷な人体実験にも耐え抜いて、隙を見て脱出まで成し遂げる精神力。
それを見て、色差魔は憧れに似た感情を抱いていた。
裏社会に潜って様々な依頼を遂行していく姿にも、理想的な無法魔女像だと思っていた。
だが、現実は違う。
殺し屋として生きていくしか道が無かったのだ。
平然としているようで、その心に酷い傷を残している。
だが、虚勢を張っているわけではない。
苦痛を感じられないほどに壊されてしまったから、落ち着いて見えるだけなのでは……と。
この事実を知っているのは色差魔と裏懺悔だけ。
クロガネに寄り添えるのは自分しかいないと思い、勇気を振り絞って声を掛ける。
「あのさ、今夜は一緒に寝てあげる」
「はぁ?」
不機嫌な声が返ってきて、色差魔は「あれー?」と首を傾げた。