246話
アグニの権限は使い物にならない。
政府最上位権限という肩書きは言葉だけ――そうなると、他の議員が軍務局への牽制として制限を掛けているのかもしれない。
より上位の権限を持つ一等市民に接触するべきだろうか。
もしくは、その権限を奪い取るか。
他の議員を引きずり降ろして、筆頭議員の一人として議会に参加するという選択肢もある。
いずれにしても多くの時間を必要とするだろう。
友好的な一等市民を見つける事も困難だ。
自らの特権が揺らぐような真似をする者がいるとは思えない。
「ラプラスシステムの本体はどこに隠してある?」
「知らないよ。転送収容を要請して入る以外に方法がない」
アグニは手をひらひらと振って得意げに語る。
嘘は吐いていないようだ。
「そもそも、システム中枢は"彼女"の本体でもあるんだ。キミが向かったところで、支配領域内でなにかできるとは思えないけどね」
ラプラスシステムは生きている――そう考えていいようだ。
アグニが接触可能なのは、軍務局長にとって不都合がないということ。
もしくは代行可能な仕事を任されているのか。
場所を暴いたところで、ラプラスシステムという化け物のような存在と対峙するのは無謀だ。
アグニが言う通り魔女としての格が違いすぎる。
システム自体がどのような仕組みで構成されているのかも不明だ。
今回はこのくらいで十分だろう。
クロガネは接続していた端末を引き抜いてデータを確認する。
「統一政府と敵対するつもりなら、やめておいたほうがいいよ」
アグニが警告する。
底知れない戦力を保有する組織を相手に、真正面から立ち向かうのはどう考えても無謀だ。
「別に敵対するつもりはない」
アグニの顎に手を添え、顔を持ち上げる。
クロガネの鋭い眼光に射抜かれて思わず視線を逸らしてしまう。
敵も味方も善も悪も関係ない。
最終的な目的は元の世界に帰ることであって、その手段を選ぶつもりはない。
もし利益となるなら、どんな相手だろうと利用するつもりだ。
逆に自分にとって支障となるのであれば――。
「必要があるなら排除する。それだけ」
それ以外に拘りはない。
服従を選ぶなら、アグニだって手駒にするつもりだ。
もっとも、彼女の短絡さを考えれば手元に置くとリスクも生じてしまうが。
まさかクロガネにそんな目的があるとは誰にも分からない。
それ故に、思惑を見通されることがない。
「……分からないな。キミが望むなら、一等市民の地位だって得られるのに」
身一つで放り出されたこの世界。
殺しの技術と魔女としての力を駆使して名を馳せ、今では裏社会で確固たる地位を手に入れた。
余程のバカでなければ喧嘩を売ってくるような事もない。
だが、そんなことはどうでもよかった。
この世界で成り上がったところで、それは自分にとって幸福には繋がらない。
目的を果たしたクロガネは、アグニを放置して屋敷を後にする。
時間が経てば彼女も力を取り戻すだろう。
それでも、敗北の味を知った彼女がすぐに報復に来ることはないはずだ。
「……チッ」
力で全てが解決できるわけではない。
今回も、複雑に絡み合っていた思惑の、ほんの一糸だけを手に入れただけ。
未だラプラスシステムの全容は分からないままだ。
今のクロガネが手を伸ばせる範囲では、元の世界に戻るための情報は得られない。
もしそれがデータベース内にあるとするならば――。
「……」
その権限を得るために、動く必要がありそうだ。
◆◇◆◇◆
「……カラギ主任。申し訳ありませんでした」
輸送車両での帰路。
クロガネに敗北を喫したジンは、自分たちに代わって交渉を申し出たカラギに頭を下げる。
「いや、ミツルギ君。誰が悪いというわけでもないだろう」
「しかし――」
宥める言葉も耳に届かないようだった。
十分すぎるほどの戦力を用意していたというのに、結果は惨敗。
もしカラギの介入がなければ全滅していた可能性もある。
「ラプラスシステムも完全ではない……と、まぁ、それを学べただけでも成果と言える」
死者を出せずに経験を積めたのだ。
また次の機会がある。
機動予備隊の練度向上のために、今回の反省をしっかりと活かせばいいだけ。
「……はい」
機動予備隊のメンバーも、まさかここまで通用しないとは思っていたなかったようだ。
それぞれの強みを十全に発揮できる状況で捻じ伏せられてしまっては、自信を失ってしまうのも無理はない。
結果として、主任という立場にあるカラギが負傷してしまった。
腕の治療には一ヶ月ほどかかるだろう。
「なに、落ち込むことはない。相手が悪かっただけだ」
本当に、相手が悪かった――カラギはそう呟く。
機動予備対に与えられた執行対象リストの中でも別格だと。
「カラミティは首領だけが秀でているワケじゃない。その強みを活かして、部下たちが必要なバックアップを行っている」
戦慄級の魔女が率いる犯罪組織というだけでも脅威だ。
それだけでなく、作戦行動における無駄のない動きは部下たちの補佐による部分も大きいと考えていた。
「多彩な能力を持つ部下を集めて、物資も過剰なくらい揃えていると聞く。本腰を入れて対処するには、それこそ戦力を惜しまず――総力戦を行う必要があるな」
「カラミティはそれほどまでに……」
クロガネと何度か対峙したジンは自身の責任を重く感じてしまう。
もし初期に取り逃がさず捕縛していたなら、これほどまでに巨大な力を持つことはなかったはずだ。
そんな後悔を悟ってか、
「君が抱えるべき責任じゃない」
カラギは肩を竦め、そう告げる。
――あの無法魔女はフォンド博士のお気に入りだ。
実験体0040Δ――戦慄級『禍つ黒鉄』という名で知られる魔女の過去。
その全容まではいかなかったが、得意げに語るフォンド博士から機動予備隊のメンバーと同じ実験体であることを知らされている。
ただの成果物にあれほど執着するはずがない。
その活躍を語る際、彼の言葉には珍しく熱量が感じられる。
他の実験体と違い期待をしているように見えた。
「カラミティといえば、大罪級『屍姫』――アレもまた、執行対象リストに入っていたな」
極めて危険性の高い能力を持つ魔女。
死者の軍勢を使役することで、個の範疇に留まらない被害を齎す。
彼女がいる限り、カラミティに対して数の有利は得られない。
魔法省のような大規模な組織であっても。
「それも、CEMからの?」
「いや、彼女は違う」
ジンの質問を否定する。
どのような背景があるのか不明だが、対処を要請してきた相手については判っている。
「――アレは軍務局の要請だ」
面倒そうに呟いて、カラギは大きく嘆息した。