244話
この世界にはあまりにも多くの思惑が絡み過ぎている。
魔法省とCEM、統一政府それぞれの方針だけではない。
社会構造によるものだろうか。
一等市民という肩書きは多くの人間を狂わせている。
倫理観が捻じ曲がり、道徳は消え去って、歪な常識を持って過ごしている。
三等市民には平穏な日常すらない。
汚染された鉱区で働く労働者は、己の体が壊れていることに気付いてもツルハシを手放せない。
路地裏から人を誘う少女たちは、乱雑に使われて体中を痛めつけられながら媚びたように笑みを浮かべる。
それでもまだ幸せな方だ。
それを見下ろす一等市民という存在。
間に挟まれ、思考停止して受け入れている二等市民の存在。
「……」
クロガネはゆっくりと操作画面に手を伸ばす。
接続が承認されさえすれば、後は誰でも扱えるようだ。
――政府最上位権限:アグニ・グラ。
画面左上に表示されている文字列。
この権限は統一政府に関する全ての情報を閲覧可能だ。
――入力:異なる世界について。
《エラー。該当するデータが存在しません》
――入力:並行世界について。
《エラー。該当するデータが存在しません》
政府が把握している範囲では確認されていないらしい。
そうなれば、フォンド博士の研究には一切無関係ということになる。
あれだけ大規模に行っている非道な人体実験の数々も、ろくに共有されていないようだった。
自分がこの世界に呼び出されたことが何よりの証明だ。
現代日本で過ごしてきた記憶は確かなもので――。
「……チッ」
元の世界の記憶が曖昧だ。
魔女として目覚めたことによってマギ=トランス忘失を引き起こし、朧げに日常風景を思い出すだけでやっとだ。
自分の本当の名前も、両親の顔さえ思い出せない。
帰還したら思い出せるだろうか。
記憶を失った自分を両親や友人が見つけてくれるだろうか。
――入力:空間を司る遺物について。
《該当ファイル一覧を表示します》
統一政府の所有する遺物リストが表示される。
幾つかのカテゴリーに区分されていて、その中でさらに能力種別に並んでいた。
クロガネは懐から小型の煌回路記憶装置を取り出して機械に接続させる。
気になった遺物のファイルを全てコピーしつつ、次を検索する。
――入力:人造魔女について。
《該当の文書ファイルを表示します》
CEMの研究に関する文書が表示される。
閲覧可能な範囲は限られているが、その中にファンド博士が書いたであろうものも含まれていた。
――人為的な魔女覚醒実験。
メディ=プラントと呼ばれる特殊な構造をしたコア。
その内部に遺物を埋め込むことで、内包された魔力を被験体に通わせることが可能となる。
出力は遺物の格に依存しており、高位のものほど適応手術の成功率は下がる。
「……これは」
フォンド博士から提出されたデータの中には、同じメディ=プラント施術でも条件毎にグループに振り分けられていた。
中でも高位の遺物を使用しているものはΣシリーズとΔシリーズだった。
クロガネは不快感に眉を顰める。
実験に使われたサンプルの数は各グループ毎に三桁前後ほど。
詳細なデータは得られなかったが、この中で生存している者は一割にも満たないだろう。
この文書ファイルは概要しか記されておらず有用な情報は得られない。
それさえも、大半の情報が伏せられているのだろう。
統一政府に対して秘匿されているデータの中に、元の世界に戻るための手掛かりはあるだろうか。
――入力:"実験体"0040Δ"について。
《エラー。該当するデータが存在しません》
――入力:無法魔女『禍つ黒鉄』について。
《対象に関連する情報を表示します》
これまで関わってきた事件について表示される。
魔法省から送られてきた文書ファイルだろう。
作成者の中には、幾つか知っている人間の名前もあった。
それぞれのファイルに軽く目を通していく。
事件内容と被害状況、また当日に記録された音声やPCMAによる計測結果など。
内容は充実しているがクロガネについて詳細なデータは記されていなかった。
少なくとも、魔女としての能力や普段身を隠している拠点などは割れていない。
カラミティに関しても言及はなかった。
――入力:ラプラスシステムについて。
《エラー。閲覧可能な権限レベルではありません》
クロガネは訝しげに画面を見つめる。
統一政府はラプラスシステムを管理する機関のはずだ。
その筆頭議員であるアグニは、画面に表示されている通り最上位権限を持っている。
より上位の閲覧権限があるとは考え難い。
何者かによって妨害されている可能性があるとすれば――。
「あの男が……ッ」
クロガネが一等市民居住区に侵入することを彼だけが知っている。
ラプラスシステムに対して干渉可能な権限を持っているのか。
与えていい情報とそうでない情報があって、ラプラスシステムの仕組みまで明かすつもりはないのだろう。
――入力:一望監視制管理社会について。
《該当の文書ファイルを表示します》
画面に映し出されたのは、観測装置の理論と実施に至るまでの研究データだ。
提唱者はCEMの煌学士チェリモッド・ゲヘナで、ラプラスシステムの持つ高出力のエーテルを用いて世界全体の動向を常時把握するという絵空事が記されている。
そんなはずはない……と否定する。
仕組み自体は至ってシンプルなもので、クロガネが扱う『探知』をより広域に展開するだけのものだ。
もしチェリモッドの理論通りに機能しているのであれば、その魔力を感じ取れないはずがない。
だが、それ以外にこの監視社会に関する記述はない。
市民に公開された"一望監視制管理社会"政策は実態と異なっている可能性がある。
これは犯罪組織への抑止力というだけではない。
一般市民に対しても政府の立場をより強固なものとして確立させられる。
そして何より、魔女適正管理法に基く無法魔女の捜査及び捕縛にも有効だ。
実際に多くの無法魔女が魔女名簿に登録され、戦慄級『雷帝』を始めとした強い能力を持つ魔女も多く取り込んでいる。
ただのブラフだけで、ここまで事を進められるとは考えられない。
そもそも、統一政府が魔法省を疎ましく思っているのであれば、登録魔女が増えるような施策を行うことにも違和感を覚える。
議員も一枚縄ではない……もしくは、アグニが異端なのだろうか。
File:マギ=トランス忘失
魔女とはエーテルによって変質した人間の姿である。
先天的な魔女は胎児期にエーテルを取り込むことで目覚めるが、後天的な魔女はエーテルによって肉体そのものを作り変えられるため大半の記憶が失われてしまう。
胎児期に適応できなかった場合は流産となり、出産以降に適応できなかった場合は魔物化してしまう。