238話
「た、助かった? 助かったのよね?」
「煩い」
機動予備隊の方をちらちらと振り返りながら、心配そうにケリーが言う。
彼らは既に運輸中継所の混乱を収集するために動いていた。
予め"あの男"が手を回していたらしい。
目の前で魔法省の部隊が戦闘を行っていたというのに、輸送業者や中継所の職員たちに大きな混乱はない。
戦闘の痕跡さえ消してしまえば、彼らも普段通りの業務に戻ることだろう。
ここまでが――あるいは、これから先も彼の筋書き通りに進んでいるようだ。
一等市民居住区に侵入することを把握しているというのに、フォンド博士はそれを黙認している。
余計なことを考える必要はない。
カラギとは違い、彼は本物の狂人だ。
その意図を探ろうというのは無理がある。
「予定通りに進める。車両の状態は?」
「積み込みも全部終わってるわよ」
機動予備隊から応援を呼ぶことはない。
だが、事情を知らない第三者が先ほどの戦闘を見て通報している可能性もある。
これ以上、面倒事に巻き込まれるのは御免だった。
とはいえ、今の戦闘で一つだけ収穫もあった。
クロガネはケリーに視線を向ける。
「……な、何か?」
自分が何かミスを犯したと思ったのか、慌てた様子で訪ねてきた。
先ほどの戦闘で役立てなかったことを気にしているようだ。
彼女は優秀な手駒ではなかった。
しかし、交戦中にどれだけ背中を見せても裏切る素振りを見せなかった。
魔法省に対する嫌悪は裏社会の人間共通で、ケリーも例外ではないらしい。
今すぐに見限るほどの愚物ではない。
悪党としての矜持があるなら、まだ挽回の余地は十分に残されている。
一等市民居住区に侵入することはフォンド博士にバレている。
しかし、彼がその筋書きを許したのであれば今すぐに危険が降りかかるようなこともない。
あまり手の内を見せると今後に響いてしまう。
魔法の行使は最小限に抑えた方がいい。
作戦の全容とまでいかずとも、一部が彼の監視下に置かれていることだけは留意すべきだ。
クロガネは徐に端末を取り出して、近場で待機している"彼女"に通信を入れる。
『はぁい、どうしたのかしら?』
「一等市民パリオ・レリクスについて調べて」
『パリオ・レリクスっていうと……あら、大企業のお偉いさんじゃない』
言葉と同時にキーボードを叩く音が聞こえてきた。
命令に対して僅かな思考も挟まず、迅速に仕事をこなしている。
『三日前からメーアトルテ地区に視察……もとい、優雅にバカンスを楽しんでいるみたいね。はぁ~、羨ましい』
マクガレーノがため息を吐く。
一等市民となれば、旅行の際の饗しは他の人間とは比べ物にならないだろう。
メーアトルテ地区と聞いて、クロガネはやはりと頷く。
リュエス港はその西部に位置している場所だ。
「直近の足取りを追って。十分以内で」
『五分でいいわよ』
マクガレーノが自信満々に言う。
通信を切ると、クロガネは肩を竦める。
一帯の監視網を握る彼が不在の間、何かしら事件に巻き込まれたとしても誰も気付けない。
もしメーアトルテ地区に誘き出されたのだとすれば、パリオ・レリクスは既に消されている可能性が高い。
言葉を並べなくともすぐに事情を察するはずだ。
推測が外れているとは思えないが、彼女に裏取りを任せれば安全だろう。
――あの男は何を企んでいる?
考えを巡らせたところで意味はない。
意味はないが、推測する余地も僅かだが残されている。
輸送業者を隠れ蓑に一等市民居住区に侵入して、その後は治療中のアグニを探し出して仕留めるという単純明快な作戦。
それをフォンド博士が是とするなら、彼にとって筆頭議員であるアグニの存在が邪魔ということになる。
何らかの要因によって利害が対立しているのか。
それらしい素振りをアグニからは感じられなかったが、短慮な彼女では目の前に張り巡らされた策謀に気付けるとも思えない。
それが長期的な計画であれば、彼女の周囲にはまだ影響が及んでいない可能性もある。
アグニの存在はクロガネからしても目障りだ。
ラプラスシステムの権能を堂々と行使して、今後も繰り返し立ちはだかってくることだろう。
「……チッ」
まだ殺すのは早計だ……と、クロガネは舌打つ。
彼女は統一政府にとって大きな戦力であり、権力者でもある。
組織間の均衡を乱せば、あの男が何を仕出かすか想像も付かない。
いずれにしても、一等市民居住区に乗り込む計画に変更はない。
ラプラスシステムによって管理されているデータベースにも興味がある。
もしかすれば、自分がこの世界に召喚される羽目になった技術について情報が得られるかもしれない。
「出発する」
先ほどの戦闘もNeef-4の制限下で、大した消耗もしていない。
魔力も装備も万全の状態だ。
内部に侵入すれば支援は受けられなくなってしまう。
何が起きたとしても自分だけで処理しなければならない。
孤立無援の状況で遂行する必要がある。
そのための力を磨いてきた。
もう人を殺すことにも抵抗はない。
自らが犯罪シンジケートを率いて、後暗い稼業に手を染めるほどに裏社会に染まり切っている。
だが、いつまでもこんな掃き溜めに留まるつもりはない。
本来の目的――元の世界に戻るためにも、今はリスクを承知の上で飛び込まなければならない。