237話
カラギの行動が読めない。
殺気を向けられて平然としていられる精神も、単なる異常者と断定するわけにもいかない。
この男には何か裏がある。
警戒しつつ、クロガネは彼の言葉に耳を傾ける。
「ここでの交戦について、まだ政府に情報が流れていない。そして流すつもりもない」
「だから見逃せと?」
「そういうことだ」
自分が加勢したところで機動予備隊は劣勢だと判断したらしい。
事実として、このまま戦闘を続けていると"一方的な蹂躙"になるはずだった。
「政府に連絡する機会も手段も幾らでもあった。だが、それをしなかった」
その意図を汲んで欲しい……と、カラギが言う。
彼の立場であれば、政府でなくとも魔法省から増援を用意することだってできたはずだ。
「だからといって、見逃すメリットがある?」
容赦なくカラギに銃口を向ける。
丸腰で現れた胆力は評価すべきだが、彼の存在もまた不確定な脅威でもある。
そして、そんな彼の観察下に置かれている機動予備隊もいずれ脅威になり得る。
「政府を抑えなければ社会のバランスが失われてしまう。市民への締め付けはより過激になり……まぁ、元より酷いものではあるが」
三等市民の扱いに対して言及している。
たとえ嘘や冗談だろうと彼のような立場の人間が口に出せば危うい話題だ。
統一政府に共有されていないというのも事実だろう。
魔法省の人間は三等市民をリスクとしか見ていない。
テロ行為などを引き起こす危険因子か、もしくは人間未満の下等生物か。
それは公安のみならず、一般市民――二等市民まで常識として刷り込まれている。
三等市民には戸籍も人権も無いのだから。
虐げられて当然という倫理観が蔓延る世界で、彼のような狂人の方が常識的な思考をしているように見えてしまう。
あるいは、こういう世界だからこそ常識から外れた人間がまともに見えてしまうのか。
それは自由を謳歌する悪党たちと似たようなものだろうか……と、クロガネは疑問を抱く。
「今回の件について全て黙認させてもらう。これで、穏便に収めてもらいたい」
「……そう」
カラギの意図を察してクロガネは肩を竦める。
彼がこのためにどれだけのリスクを抱えているのかが理解できた。
全て黙認する――この輸送中継所から一等市民居住区に向かうトラックに紛れ込んだとして、彼は何も報告するつもりはない。
すると、カラギは神妙な面持ちでこちらに歩み寄ってきた。
味方にも聞かせたくない話があるのだろう。
クロガネは銃を向けたまま問う。
「今回の情報源は?」
「一等市民パレオ・レリクス……TECセキュリティの幹部だ。彼がリュエス港近辺の裏稼業を監視している」
カラギが懐からメモを取り出して手渡す。
乱雑な走り書きだったが、リュエス港近辺の監視網について詳細に記されている。
「これは閲覧権限が無ければ入手不可能な情報だ。ラプラスシステムに接続された巨大なデータベース上で管理されている」
魔法省やCEM、統一政府等の重要機密が管理されている。
権限にも等級が割り振られており、大半は自身で管理している情報か共有ファイルしか開くことは許されない。
だが……と、カラギが続ける。
「そのデータベースを上位の権限によって監視していたCEMの最高責任者――グリムバーツ・アン・ディ・フォンドが、この場所に機動予備隊を派遣した」
クロガネはカラギを見詰める。
ある程度の事情は予想出来ていたが、ここまでの情報を自ら開示するとは思っていなかった。
この男と立場が見えない。
魔法省特務部主任という立場にありながら、公安の利に反するような言動が目立ちすぎる。
だが、反乱などを企んでいるようにも見えない。
一体何が目的なのか。
そんな訝しげな視線を受けて、カラギは笑みを浮かべる。
「あぁ、狂人とでも思ってくれ。それで構わない」
素性を明かすつもりはない。
だが、少なくともクロガネにとって不利益となるような思惑は抱えていないように見える。
もっと先の"何か"を見据えているようだ。
「無法魔女『禍つ黒鉄』……そして、君が所有する組織と利害が対立するような状況にはならないはずだ」
意図が見えない人間を放置するリスクは大きい。
同時に、そんな人間が万が一に備えていないはずもない。
この場での対立は双方の利益にならないのは事実だ。
一等市民居住区に向かうことを止めないのであれば、現時点で言うことはない。
「なら、一つだけ答えて」
クロガネは銃口をカラギの額に突き付ける。
ピタリと当てているというのに、彼は臆することなくこちらを見据えている。
「アレの危険性をどこまで理解している?」
クロガネと同様に原初の魔女の遺物を埋め込まれた人造魔女。
CEMから提供された実験体の中でも、ハクアの存在だけは異質すぎた。
既に彼女は供物を捧げるための殺戮兵器に成り下がっている。
自我も感情も失って、命令のままに戦闘を行うだけ。
目の前の男がどこまで事態を把握していて、物事を語っているのか。
「あぁ、全て理解しているとも。他ならぬフォンド博士の研究成果だからな」
「そう」
クロガネは納得したように銃口を下ろし――そのまま肩を撃ち抜く。
後方で待機していたジンたちが即座に救出に移ろうとするが、カラギはもう片方の腕を上げて制止する。
「殺されるわけじゃない。大人しくしていろ」
痛みがないわけではないはずだ。
だというのに、彼は平然を装って佇んでいる。
カラギ・シキシマ――魔法省特務部・特殊組織犯罪対策課主任。
TWLMを扱う適性を持ち、戦闘面だけでなく様々な能力が優秀な執行官。
その正体は"倫理観の狂った人間"を装っているだけの常識人でしかない。
彼が見据えている先には何も無いのだ。
虚勢を交えた話術によって場を掌握することに長けているようだが、より詳細な情報を持っている相手に試されては何もできない。
これまでクロガネに見せていた姿は彼の本性ではない。
だが、虚偽の情報を渡したというわけでもない。
手に持ったカードの効果を最大限まで引き出せるように、自身の虚像を膨らませて対峙していただけだ。
統一政府も魔法省も把握していない今回の一等市民居住区侵入計画。
機動予備隊単独で作戦行動を起こしているとなれば、フォンド博士が絡んでいるという情報は信用してもいいだろう。
この場でカラギを放置する危険性は低い。
応援を呼べば独断での出動が判明してしまい、むしろ政府からは咎められる立場にある。
魔法省に対しても情報を共有しなかった説明責任を問われかねない。
だが、何よりも。
フォンド博士は政府や魔法省を通さずに情報を伝えたのだ。
あの男の意向に背くことが、カラギや機動予備隊にとって最も危険と言えるだろう。
「すまなかったな」
カラギが傷口を抑えながら軽く会釈する。
腕を負傷してしまったが、治療に一ヶ月とかからないような怪我だ。
騙そうとしたことの代償にしては安いくらいだろう。
「駆け引きをしたいなら、今後は相手を選んで」
「あい分かった。忠告に従うとしよう」
返答を聞くとクロガネは視線を外し、本来の目的であるリュエス運送の車両に向かう。
それを見て、ケリーも慌てて後ろからついてきた。
交渉は成立した。
彼から開示された情報の真偽は確認する必要があるが、リュエス港近辺の監視網については興味がある。
これを上手く利用すればカラミティが占有することも不可能ではない。
統一政府と殺り合うには組織規模を拡大していく必要がある。
ラプラスシステムを恐れずに済むような力を――それこそ裏懺悔のように自由でいられたなら、あの男に"異世界から人間を攫う"技術について問いただすこともできるかもしれない。