236話
『拒む理由もあるまい? 不完全な力のままでは、強者に捻じ伏せられるだけの矮小な魔女にしかなれないのだから』
この世界で生き延びて来られたのは『破壊の左腕』という強大な力を宿す遺物があってこそ。
原初の魔女による庇護があれば、もしかすればラプラスシステムさえ恐れずに力を振るえるかもしれない。
今では遺物は消滅してクロガネ自身の力となっている。
同時に、使徒として魔力の供給を得られなくなっている。
もし本来の『限定解除』を使えるなら、煩わしい全ての事情を排除することだって容易だ。
『下らぬ意地を張って命を捨てるつもりではあるまいな?』
「必要ない」
クロガネはハクアを解放し、絡みついてきた昏い魔力を振り払う。
耳を傾けるだけ時間の無駄だ。
確かに『破壊』と対になる『創造』の力は魅力的だが、いまさら誰かの傀儡に成り下がるつもりはない。
何よりも――。
「お前は信用できない」
銃声が幾つか響いて、ハクアの体から溢れていた昏い魔力を散らす。
クロガネ自らが手を下してしまうと危険だ。
状況を整えて、手駒たちに仕留めさせるべきだろう。
ハクアが緩慢な動きで立ち上がり、再び槍を構える。
虚ろな瞳からは何も意思を感じ取れない。
完全に傀儡に成り下がっていて――もしかすれば、自分も同じような運命を辿っていたかもしれない。
今は目先の問題を解決しなければ……と、クロガネは銃を構える。
間もなく"彼女"が動くだろうと考えていたが――。
「来たわよッ――」
ケリーが声を上げて、運輸中継所の入口を指差す。
黒塗りの車両が五台。
デンズファミリーから応援を呼んだらしい。
同時に、上空を紫電が走る。
大型のドローンによって特殊な力場が形成され――『探知』を発動。
「――『能力向上』『思考加速』」
半径三百メートルほどの範囲が効果圏内。
これより一分の間、周辺にNeef-4より高度な観測阻害を及ぼす。
戦況を遠くから観察して、最大限の効果を見込めるタイミングでドローンを起動させた。
こういった時に彼女の観察眼は信用できる。
組織の財政を支える稼業の拡大から戦闘支援まで――マクガレーノは多彩な能力を持つ"魔女"だ。
「ッ――ドローンを破壊しろッ!」
ジンが咄嗟に声を上げるも、デンズファミリーの構成員たちを無視して上空のドローンを狙うことは困難だ。
それに、意識を少しでも逸らしてしまえば――。
「どこを見てるの?」
致命的な隙を晒したジンを標的に選び、瞬時に距離を詰める。
特殊な力場による影響下では、先ほどまでとは異なり大罪級相当の出力で魔法を行使することも可能だ。
咄嗟に飛び出してきた実験体の女がクロガネの蹴りを受け止める。
腕をへし折るつもりで力を込めていたが、思ったよりも強化骨格の性能が良いらしい。
大雑把に強度を確かめた上で、次はさらに力を込めて蹴り付けようとする。
だが、今度はハクアが割って入るように槍を構えて突進してきた。
今度は『思考加速』によって動きがはっきりと見える。
一切の無駄がない洗練された突き。
最短で命を刈り取るための一撃は何の雑味も感じられない。
意思が感じられないせいだろうか。
直線的で読みやすい。
クロガネは蹴りの軌道を変え、体を捻るようにして体勢を整える。
そのまま近くにいた実験体の女を捕まえ、ハクアの突き出してきた槍に向かって放り投げる。
「ぐぁっ――」
槍が強化された骨格ごと腹部を貫く。
さすが"原初の魔女"の力を持っているだけはある……と、クロガネは感心しつつ追撃に出ようとする。
だが、ハクアの判断は早い。
槍に刺さっている状態では隙だらけになってしまう。
最短の動きで――躊躇なく引き抜いて、出血する味方を気にも留めずに襲い掛かってきた。
想定し得る範囲で最も冷酷な手だ。
実験によって強化された肉体であれば耐えられるのだろうが、そんな非情なやり方を選べる人間は早々いない。
そこに悪意も感情も何も感じられない。
任務を最優先とし、それ以外の全てが盤面の駒でしかない。
それこそが、彼女が脅威足り得る理由だった。
「任務を遂行します――『アクセラレーション』」
ハクアの速度がさらに増す。
こちらを脅威と見て、全力で排除するつもりのようだ。
殺さない程度に弱らせて、後は部下たちに片付けさせればいい。
そう考えてエーゲリッヒ・ブライを構えるが――。
「待て待て、降参だ」
どこかに身を潜めていたらしいカラギが割って入る。
ハクアの槍を抑え、それ以上進もうとしないように制止していた。
彼も執行官として改造手術を受けているはずだ。
在籍年数を考えれば最新式の施術ではないはずだが、適性が高いのか振り払おうと抵抗するハクアを抑え込めている。
「なっ、カラギ主任――」
ジンが驚いて声を漏らす。
同行していることに気付いていなかったのだろう。
どうやら、機動予備隊の到着より前から運輸中継所の中で待機していたようだ。
「何故止めるのですかッ。標的が目の前にいるというのに!」
「分からないならそこで大人しくしていなさい」
厳しい声でジンを咎める。
上司の命令に逆らえないため、武器を構えたまま不服そうに黙り込んだ。
彼に倣って他の隊員たちも武器を構えたまま動きを止める。
ハクアも抵抗することを止め、無感情にこちらを見つめていた。
「あぁ、すまなかった。見ての通り、我々に戦闘を続ける意志はない」
カラギ自身は武器さえ携帯していない。
彼の命令によって機動予備隊の隊員たちも動きを止めている。
「どういうつもり?」
「なに、簡単な交渉をしたいだけだ」
そう言って、カラギは懐から缶コーヒーを取り出す。
殺気を向けられている中でも気にすることなく、遠慮なく飲み干してしまった。