233話
この世界において最も厳重な警備が敷かれている街――一等市民居住区。
広大な土地を一等市民たちが分割して治めており、領内の人間は全てが彼ら彼女らのために働いている。
庇護下に入れば、外では味わえないような華やかな世界の一部になれる。
見るもの全てが一級品揃いの空間。
そんな場所で働くことを夢見る者も少なくはない。
だが同時に、一等市民は何気ない思い付きで従者の人生を奪うこともできる。
贅沢の限りを尽くし、残虐の限りを尽くし、欲望のままに生きることを許された者たち。
それこそが一等市民であり、発言そのものが法的拘束力を持つほどに絶対的な存在だ。
大半の人間はリスクを恐れて近寄ろうとしない。
「……あれがリュエス運送の車両です」
車両検問所から約二十キロメートルほど離れた場所に位置している運輸中継所。
各地から飛行機や輸送船を介して集まってきた積荷を、作業員たちが慌ただしくトラックに積み込んでいる。
その中の一台。
オイルタンカーによって運ばれてきた石油を、この中継所で大型タンクローリーに積み替えている。
それが目的の車両だ。
「リュエス港……アルバのコンビナートで精製された石油?」
「よくご存知で。しばらく前に一帯を牛耳っていたカルテルが消えたおかげで、うちの下部組織を割り込ませられたのよ」
ケリーが自慢げに胸を張る。
漁夫の利を得る形で勢力を拡大させた手腕は見事だろう。
デンズファミリー側にほとんど被害を出さずに利益を得られるのだから。
「……そう」
だが、クロガネは現時点で"この作戦はダメだ"と見切りをつける。
既に情報が漏れている可能性が高い。
マッド・カルテルを捻じ伏せた当事者であるガレット・デ・ロワが、利益を生む稼業だと分かっていて手を伸ばさなかったのだ。
近隣区画の密輸ルートを牛耳っていたレドモンドはアグニと繋がっていた。
当然、リュエス港周辺の裏稼業についても全て漏洩している。
統一政府にとっては悪党の狩り場でしかないのだ。
リュエス港近辺のシンジケートは厳重な監視下に置かれ、より巨大な悪を誘き出すためのエサとして使われている。
そして、迂闊にも手を出してしまったデンズファミリーが標的に選ばれてしまった。
そう考えればロシオの裏切りも自然な話だ。
ゾーリア商業区という悪党たちの街を潰すために、野心家である彼は非常に扱いやすい人材だ。
一等市民推薦枠をチラつかせれば即座に食い付くことだろう。
この思惑はかなり以前から――クロガネが最初の依頼を達成した直後から動いていたのかもしれない。
もしクロガネがカラミティを結成していなければ、ゾーリア商業区は統一政府の介入を許してしまったはずだ。
デンズファミリーは既に商業区内で複数のシンジケートを傘下に収めている。
戦慄級『禍つ黒鉄』という脅威がいなければケリー・デンズも手を止めることはなかっただろう。
リュエス運送が認可を受けた納品業者であるのも当然のことだ。
既に一等市民の息がかかっているのだから。
ケリーの提案自体が、統一政府の思惑通りに事が進んでいる証明になっている。
「それで、どう落とし前を付けてくれる?」
「えっ、な……なんで……?」
銃口をケリーの額に押し付ける。
自分たちが置かれている状況を理解していないようで、彼女は狼狽えながら自身の過ちを必死に探し始めた。
こんな馬鹿を手元に置いたところで役立つとは思えない。
一等市民居住区に潜入するどころか、自身が一方的に危険に晒されるだけだ。
襲撃されることを予測した上で話に乗ることも考えたが、あまりにもリスクが大きすぎる。
石油を積んだタンクローリーごと爆破されでもしたら死は免れない。
そうでなくとも、この場所を訪れた時点で何かしら襲撃を受けることは確定してしまった。
「……チッ」
広域を『探知』するとラプラスシステムに捕捉されかねない。
だが、出力を抑えて発動したところで、運輸中継所の外側までは探ることができない。
それでも第六感が激しく警鐘を鳴らしている。
杞憂であればいい……などと楽観的な考えは捨てるべきだろう。
一連の推測が外れているとは思い難い。
「不合格……と、言いたいけど」
クロガネは銃を下ろして、中継所の入口側に視線を向ける。
目視可能な距離まで魔法省の輸送車両が近付いていた。