230話
――ゾーリア商業区東部、ルード街。
無法者が集う街の中でも一際治安の悪い区画。
悪党の中でも過激な犯罪に手を染めている者たちが行き交っている。
利益も快楽も全て欲望のままに。
魔法省による取り締まりも意味を成さず、地上のディープタウンとも呼べるような楽園だ。
「やはり良い街だ」
用心棒を引き連れ、黒のスーツを着た長身の男が闊歩する。
淡い青色のサングラス越しに街並みを眺め、
「この場所さえ手中に収めれば、きっと――」
口内の唾液を呑み込む。
ゾーリア商業区の統一は極めて大きな功績だ。
シンジケートの規模拡大に繋がり、さらに魔法省の捜査が及びにくいことで他組織に対してアドバンテージを得られる。
だが、それさえも男にとって通過点に過ぎない。
今この街で最も強欲な男といえば、彼――デンズファミリー幹部のロシオ・ゼアに他ならない。
眼前に聳え立つ悪趣味な建物――旧アラバ・カルテルの本拠地を前に、彼は余裕の笑みを浮かべる。
いつものように組織の威光を振り翳して従えるだけ。
近辺にデンズファミリーに並ぶ規模のシンジケートは存在せず、その名を口にするだけで思い通りに事が進む。
「あれほど栄えたはずのアラバ・カルテルも、今や新興組織に取り込まれ……無様なものだ」
哀れみではなく嘲り。
かつてゾーリア商業区で幅を利かせていたアラバ・カルテルも、幹部同士の軋轢によってあっという間に転落していった。
そんな状況下でも一定の組織規模を保っていたロウを評価している。
同時に、それ以上のことは成せない凡人だと見做している。
「デンズファミリーのロシオ・ゼアだ。招待状を預かっている」
ロシオは見張りの無法魔女に招待状を手渡す。
巫女装束を身に纏った少女――大罪級『鬼巫女』の肩書きよりも、近辺では"ハスカ"という名の方が知られている。
ハスカは招待状を軽く確認して、中に招き入れて会合の場まで案内を始める。
その一挙一動を観察しつつも、ロシオは堂々とした歩みで突き進む。
以前と変わらない派手な内装。
飾られている骨董品の全てが高価なもので、過去のアラバ・カルテルの栄華を誇示するように取り残されていた。
「良い趣味をしている」
やはりこの程度か……と、内心で嘲笑しつつエレベーターに乗る。
彼から見て、今回の会合は一方的な脅迫でしかない。
名も知らないような新興組織に対して、こうも強引に迫るのは彼でさえ哀れんでしまうほどだ。
そんな簡単な仕事に自分が駆り出されていることに少しだけ苛立ちつつ。
エレベーターが最上階に停止すると、ロシオはそのまま正面の扉を蹴破って挨拶する。
「邪魔するぞ?」
予想通り、部屋に待機していたのはロウ・ガルチェただ一人。
部屋までの案内を終えたハスカが傍らに付き従うも、それ以上の戦力は見当たらなかった。
「随分な挨拶だな」
「礼儀を語るほどの仲でもないだろ?」
扉の破損など気にも留めず、ロシオは乱暴な所作で椅子に座る。
「元気にしていたか? あの時以来だが、まだ無事なようで何よりだ」
アラバ・カルテル程度の規模であれば、一望監視制管理社会の実現によってすぐに踏み潰されてしまうことだろう。
ゾーリア商業区内に拠点を構えていたおかげで生き永らえているだけだ。
「……饗しの酒さえ出せないのか?」
気分を害したらしく、ロシオは微かに眉を動かす。
前回招待された際には最低限の体裁は整えていたはずだった。
それを見て、ロウは嘆息する。
「無駄話をするつもりはない。どのような提案であろうと、我々はデンズファミリーからの要求を拒むと決めている」
「飼い主の言いつけを守るとは利口な奴だ」
ロウ・ガルチェは野心を捨てたのだろうか。
そう疑問に思ってしまうほど、ボスに対して従順でいるらしい。
「ならばこそ、アラバ・カルテルは――」
「カラミティだ。我々は『禍つ黒鉄』の手駒であって、貴様らに下るつもりはない」
何度も言わせるな、とロウが殺気を顕にする。
既にアラバ・カルテルという組織は存在しない。
この建物も彼の所有物ではなくなった。
「この建物の扉を蹴破っていいのはボスだけだ。ロシオ、貴様は莫大な不興を買ったぞ?」
「ハッ! そんなもの、幾ら買ったところで懐は痛まない」
ロシオが笑い飛ばす。
彼の認識は誤りではあるものの、それに気付くことは不可能だ。
「どうやらデンズファミリーは、規模"だけ"は自慢できるらしい」
「落ちぶれた弱小組織が何を――」
「あぁ、そういえばデンズファミリーは"潜って"いなかったな」
地上に取り残されたシンジケートが次々に魔法省によって壊滅させられている。
デンズファミリーの本拠地はゾーリア商業区より北に位置しており、少しでも隙を見せれば瞬く間に暴き出されてしまう。
「お前達が? 馬鹿な話も大概にしろ」
信じられないといった様子だった。
裏社会の中でも超の付くような一流の悪党のみが立ち入りを許される街――ディープタウン。
そんな場所に、目の前の男が入れる器だとは思えなかった。
「ディープタウンに招待されていないような三流であれば、知らないのも無理はない」
ロウは嘲笑を返す。
とはいえ、彼自身も目の前の男と何ら変わらない。
運良くクロガネに拾われただけという事実を理解しつつ、この場ではあくまで演者としてロシオと対峙している。
「我々のボスはデンズファミリーにも慈悲の手を差し伸べようとしている」
上からの物言いにロシオは言葉を返そうとするが、その前にロウが手紙を投げ渡す。
「ケリー・デンズに見せるといい。凡愚でなければ、この好機を投げ捨てるような真似はしないだろう」
中身は至極単純だ。
デンズファミリーがロウに従属を迫ったように、同じ事をやり返しただけ。
中身を見ずともロシオはそれを予期していた。
「意趣返しのつもりか?」
即座に銃を取り出してロウに突き付ける。
これ以上の侮辱は我慢ならなかった。
だというのに、護衛として控えているハスカはピクリとも反応しない。
銃口を向けられているロウも顔色一つ変えずに構えている。
安い脅しに怯えるほど小物ではない。
「……一度だけ、本心から忠告をしておこう。我々のボスは慈悲深いが、敵対者には一切の容赦がない」
「そんなもの、どの組織だって変わらないだろ」
「好きに受け取ればいい」
これで従わないのであれば、その時は徹底的に潰すことになるだろう。
従属も壊滅も――方向が違うだけで、いずれもクロガネにとっては利益に変わりない。
「そんなに潰されたいなら望み通りにしてやる。覚悟しておけよ?」
ロシオは憤った様子で吐き捨て、銃を懐にしまう。
さすがにこの場で発砲すれば彼の価値を大きく落とすことになる。
投げ渡された手紙を破り捨て、ロシオが荒々しく退室する。
唯一助かる手段を躊躇せず破棄してしまった彼を見て、
「忠告はしたぞ」
いっそ哀れみさえ感じつつ、ロウはその背を見送った。