229話
「魔法省がゾーリア商業区に手を出そうとしている」
クロガネは不愉快そうに言う。
幹部――屍姫とロウ、マクガレーノの三人を部屋に集めていた。
「いずれ来るだろうとは思っていたが、まさかこの時期とは……」
ロウが冷や汗を垂らす。
統一政府の施策を考えれば遅かれ早かれこうなることは予想していた。
だが、それにしても早すぎる。
「相応の戦力を確保できたってことかしら?」
ユーガスマの離脱によって、魔法省の動きは当面の間は鈍ると予想されていた。
登録魔女の増加によって戦力が増強されたことは確かだが、実戦に投入可能な魔女となると数が限られてしまう。
「大々的に喧伝している戦慄級『雷帝』の名簿登録は裏社会の、特に無法魔女たちにとっても衝撃だったが――」
「より脅威となる戦力を準備しているようです」
首を傾げるロウに屍姫がデータを転送する。
文書ファイルが一つのみ。
――"魔法省特務部・機動予備隊編成図"
訝しげにファイルを見つめ、内容を表示させる。
そして息を呑む。
「これは……これが事実なら、魔法省が強気に出るのも当然か」
ロウは顔を強張らせながら内容を読み進めていく。
そこに記されているのは、裏社会にも流出していないような重要機密に関する概要だ。
改良された施術による次世代執行官の製造。
その試作品として提供された被験体によって部隊を編成し、実戦データを収集するために運用する。
それこそが機動予備隊である、と。
「どうやってこの情報を入手したんだ?」
「私は魔女ですから」
屍姫が笑みを浮かべる。
捜査官を襲撃してアンデッド化させ使役、あとは魔法省に紛れ込ませるだけの簡単な作業だ。
生前の人格を残しているため、真偽官に尋問されなければバレる可能性も低い。
隊員それぞれが施術によって特異な能力を発現させているという。
その詳細までは調べられなかったが、それでも十分すぎるほどの情報だ。
「CEMが提供したサンプル……」
クロガネが呟く。
自分やユーガスマのように人為的に能力を埋め込まれた存在が複数人所属している部隊。
もし同水準で戦闘を行えるとなれば極めて厄介だ。
「機動予備隊の標的リストについては調査中です。おそらくゾーリア商業区だけでなく、ガレット・デ・ロワの牛耳るフィルツェ商業区なども対象となるでしょう」
中途半端な戦力では対処不可能なシンジケートに対して投下するのだろう。
潜伏している殺し屋や大罪級や戦慄級などの無法魔女、場合によっては逃亡中のユーガスマも対象になり得る。
クロガネは単身で乗り込んできたカラギのことを思い出す。
Neef-4による制限下では等級の高い魔女も全力を出せない。
対して、相手は好きなだけ対魔武器もTWLMも使用可能な状況だ。
力を抑えて痕跡を残さないように戦うには面倒な相手だ。
彼に限らず、特殊な施術を受けている特務部の執行官も警戒対象となる。
これまでは魔法を行使するだけで容易く捻じ伏せられたが、今後は接敵しないよう避けなければならない。
そして、機動予備隊の戦力が彼らを上回ることは考えるまでもない。
ラプラスシステムに観測されるリスクを取らざるを得ない場面も出てくることだろう。
「計画を前倒しにする必要がある。周辺地域のシンジケートにこれを届けて」
クロガネは封筒を幾つか取り出す。
中身は直筆のメッセージで、要約すると各組織に対して"傘下に収まるか組織を潰されるか好きに選べ"という脅しをかける内容だ。
魔法省に対抗するためには組織としての規模が不足している。
カラミティがゾーリア商業区全域を牛耳ることで、捜査の手が及ばないような強固な無法地帯を作る必要があった。
「この段階だと、大半は頷かないでしょうね」
マクガレーノは封筒の一つを手に取って考え込む。
長年ゾーリア商業区で活動してきた彼らが、大人しく新興組織に頭を垂れるとは考え難い。
「なら潰せばいい」
クロガネは興味なさそうに言って、残りの封筒を屍姫とロウに渡す。
この時点で頷かないなら手を差し伸べる意味がない。
これは"自分に従えば利益を得られる"というシンプルな提案でしかない。
好機を逃すような人間であれば引き入れる意味もなく、後になって慈悲を乞われたところで裏切りのリスクを抱えるだけだ。
とはいえ、商業区内の勢力図は単純なものではない。
その渦中で一定の勢力を保ってきたロウから見て、やはり現段階で服従を要求することは厳しいと感じていた。
「デンズファミリーは南部のシンジケートを複数傘下に収めている。以前アラバ・カルテルにも誘いの声がかかったが……この状況だと、抗争が終わるまで中立を望む組織も多いはずだ」
禍つ黒鉄という名は知れ渡っている。
戦慄級の力を持ち、幾つもの巨大な事件に関わってきた凄腕の殺し屋。
裏社会において名のある組織と幾つも繋がりを持っているため、個としての存在感は別格だ。
だが、カラミティという組織はまだ未熟だ。
明確な実績がなければ、そこに利益があるとしても他者を惹きつけられない。
そんな状況を理解している上で、クロガネは肩を竦める。
「能無しにやるエサはない」
状況を見極められないようでは、味方に引き入れたところで末端として使うのが精々だ。
組織規模に大差はないが保有している戦力が違いすぎる。
今回の抗争は一方的な蹂躙でしかない。
こんな簡単なことに気付けないような者は下っ端扱いで十分だろう。
「返答が早い組織は優遇する。それと――」
もう一つ封筒を取り出して、それをロウに投げ渡す。
中身は先ほどと同じ降伏勧告の手紙だが、宛先は別のものだ。
ロウは冷や汗を垂らしつつ、同時に笑みも浮かべる。
デンズファミリーはよほどボスの怒りを買ったらしい、と。
「やれる?」
「お任せを」
水面下での抗争は続いているが表向きはまだ対立関係にはない。
魔法省の件は重大事項のため、近隣の有力シンジケート――カラミティとデンズファミリーは組織幹部による会合を行うことになる。
既に相手側からは話し合いの場を設けないかと提案がされている。
だが以前とは状況が異なり、こちらは取り込まれるだけの獲物ではない。
「潰すなら徹底的に」
それこそがクロガネにとって最も大きな利益となる。
他者から舐められない強大な組織として、カラミティの名を畏怖と共に広めるため――その筋書きが定められた。